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盛夏火『カーニバル・アザーワイズ』 の感想

作・演出/金内健樹 (会場:せんがわ劇場)
 ドリ美という女性が出てきて説明する。これは現在から数週間前に起きた出来事を当事者達で演じる再現演劇だと。
仙川の街はカーニバルの準備で大盛り上がり。劇団を主宰するたつきはYoutubeの撮影をしようとするが、街で犬の失踪事件が起きる。たつき達は怪しい男を見かけていて。

 主宰である金内の自宅である団地の一室で行う団地演劇で知られた劇団だが、今回は前回のせんがわ劇場演劇コンクール参加作に続く二度目、本公演では初の劇場演劇となる。
 これまで団地や劇場を設定の一部に組み込んでいたが今回は劇中で劇場が登場するものの、殆どが劇場のある仙川と隣町の祖師ヶ谷を舞台にしており普通の演劇のようにシーンの場所が切り替わる。
 盛夏火らしいサブカルのパロディやサンプリングが多用されており、最初は祖師ヶ谷の温泉が閉館になるため最終日に行こうとするも何百何千という人が並んでいて入れないという馬鹿みたいな始まりだが、犬の失踪事件が発生してからサスペンスが盛り込まれる。
 ただ、完全にシリアスになることなく終始緩いテンションで進む。
 そして、不気味な予感を漂わせながらそろそろ大事件が起こるんじゃないか、と思っていたら突如舞台から全員いなくなり唐突に終わる。
 これまでの盛夏火は全ての伏線を回収し大スペクタクルのカタルシスある大団円で終わるのだが、それを待っていたら来ることないまま客席の照明が点いて終わり。
 お客様の中にはオチがない未完成な作品だと思う人もいるかもしれない。

これ意味怖。意味がわかると怖い話です。

 そのまま見てるとオチが無く意味不明、でもね!ちゃーんと劇中で描かれた事象を読み解くと唐突な終わり方が伏線の張られた恐怖のオチに変身をするんです。
自分の中の整理も兼ねて伏線とオチの解説文を書くのでモロネタバレです。
戯曲が販売されているので是非とも未見の人はそちらを読んでからお読みください。



 犬の失踪事件、犯人らしき男をたつきと劇団員マヤが追いかけるとその男、荒山乃ヴァは呪いのアイテムを売り歩く呪物商人だった。怪しげではあるが、好事家相手に商売をしている真っ当な男だった。男はカーニバルで人が集まる時期に合わせて呪物のオークションを行う会場探しのためにせんがわ劇場へ来た。折角の縁と、たつき達をオークションに招待する。
 余談だが、このオークションは入場料さえ払えば誰でも入れるというカジュアルなものなのだが、現実には呪物オークションこそないが実はカジュアルな趣味で呪物を集める人は実際にいる。

怪談師の田中俊行は呪物コレクターとして有名で、自身のコレクションを紹介するTV番組 を制作したり、同じくコレクターの人気YouTuberはやせやすひろと組んで呪物展覧会を開いたりしている。
まぁ演劇とは関係ない話だが、余談なので。

 このオークションでは、売る気はないがイベントを盛り上げるための飾りとしてとあるカセットテープが紹介される。猿の声を録音したものだがとある部分に秘密がある。その箇所を聞くと猿が願いをかなえる夢を見るが3度見た後その猿が現実に現れ猿の電車で街とその住人ごと連れ去ってしまう。その街ごと人々は虚構の存在になってしまう。たつき達はそれを信じようとしない、そもそも全員いなくなるならその話は誰が残したの?
 なんとこのテープが窃盗団によって持ち去られてしまう。取り返しはするものの、窃盗団の罠で荒山が問題の部分を聞いてしまう。荒山は仙川の人々に被害を出さないためにも街を去る。
 これで我々観客は大きなカタストロフィを待ち受けると思うのだが、上記のようにそんなことは起きない。オチらしいオチが存在しない
                   それは本当?
不穏なシーンはいくつもある。来るはずのない電車、明らかに様子のおかしいマヤ、犬。
そしてどう見ても物語の途中みたいな場面で全員いなくなるのだが、直前に突然荒山が合流する。仙川の街から去ったはずの荒山が。

 これは、避けられなかった話なのだ。大きなカタストロフィは起きていたのだ。あの、電車の音が聞こえたときすでに呪いは完遂していた。ド派手な物ではない、しかし神隠しという物は静かに行われるものなのだろう。誰もいなくなった空間こそこの作品のオチなのだ。
 今回の元ネタになったであろうネットの有名怪談である「猿夢」。避けようのないバッドエンドを予期させて終わるがこれは怪談内で描かれなかったバッドエンド、猿の電車に連れていかれた後を描いている。(尚、もう一つの元ネタとしてW・W・ジェイコブズ「猿の手」もあるがこれは三つ願いを叶えるという点の引用のみで物語への影響はあまり多くないはず)
 仙川の街ごと、たつきやマヤ達住民は猿の電車で連れ去られてしまっていた。だから、何かを感じ取ったマヤはどんどん生気を失っていき、明らかに失踪するタイミングでVTRの犬は失踪しなかった。恐らく、犬たちは“あっち側”に連れ去られていたのだろうが、飼い主ごと“あっち側”にいるのだろうから失踪するわけがない。
(テープの盗難より前に失踪が起きているのはどういうことかは判断つかないが、呪物の影響だろうか。街を一つ滅ぼすほどの呪力を持ったものなのだから魔が引き寄せられるものもあるのだろう。劇中で起きた失踪事件は荒山が立ち寄った酒場で起きたのだが、それも強い呪力に引き寄せられたものなのだろうか)
 
 でも、この文章読んでいる人はこう思うだろう。いや、仙川はまだあるじゃんって。無いんだ。
 あらすじで書いてあるでしょ。カーニバル間近の仙川の街って、仙川でカーニバルなんてイベントはありません。それに加え、そしがや温泉が閉館したのは事実だが、何千人も行列はできていない(はず)。これが指し示すのは、我々の知る仙川と彼らのせんがわは別の空間であること。もしかしたら彼らこそ本来の仙川の住人なのかもしれない。

 驚いたのは絶望感の徹底であり、いつもの盛夏火ならば上記のこともセリフとして説明する。でもそれをしない。
 当事者たちが行方不明なんだから、説明のしようがないじゃないか。彼らは自分の身に何が起こったことを理解したとしてももう“あちら側”に連れていかれているのだから。行方不明になったら話を伝えられない。マヤは何か違和感に感じたとしてもそれを伝える術がない。
 いや、だったらこの『カーニバル・アザーワイズ』という演劇は誰が上演してるんだって話だ。
マヤの妹、ドリ美だ。そう、冒頭に登場し説明し身動きできないたつきやマヤ達を連れ去った張本人。劇中でも不可思議なタイミングで現れた。そして皆を連れ去って物語をぶつ切りにしたのも彼女だ。
これは彼女が語っているのだ。そもそも、本当に彼女は妹なのか?妹にしてはあまりにも出番が少ない。彼女自身が語っているということを考えれば、その正体を偽っていると考える方が自然ではないか。じゃあ、彼女は誰だ。
    猿だ。
 当事者たちが連れ去られてしまったらじゃあその話は誰が伝えたんだよ、という劇中で発せられるツッコミはこの作品自体が答えている。
怪奇現象そのものが伝えているんだ。
  その理由は戯れかもしれない。

役者陣は常連陣慣れ親しんだ演技だが、これまでと比べると樹を演じる金内の過剰なサブカル魂は薄れ気味でマヤ演じる新山志保も生気を失っている。これは一種の幽霊たちによる演劇なのだからそういう演技にしているのだろう。
 その中で一際輝くのが、 ドリ美を演じる三葉虫マーチ(劇団「地蔵中毒」)は出番は少ないが物語を握る不気味な存在を演じる。というか、金内さんは三葉虫マーチさんを超常の存在にしたがる。ただ喋るだけで不可思議な雰囲気を漂わせるマーチさんだからこそ、この作品の不気味さを高めているのだ。


と、怪談としては意欲的。
ただ、空間演出は今回は鈍り気味。いつもはワンシチュエーションにすることで空間そのものを設定に組み込む手法を使っているのだが、今回は仙川・祖師谷エリアを舞台にしていた。普通の演劇ならば当たり前の手法だが得意技じゃないせいか練り込みが甘く劇場空間に負けていた。
 実は一つの空間で場所移動する手法は第2回公演『夏アニメーション』でもやっている。そしてこの作品こそ盛夏火の最高傑作。この時は熟知していた団地の中だったから、狭い部屋の中が様々なギミックで次から次へと変化し舞台移動が縦横無尽の面白さ。
 しかし、今回は劇場という特殊空間でやるにはギミックや舞台装置が弱くて劇場の空白の方が目立っていた。劇中にせんがわ劇場が登場しいくつもある出入り口を活用し得意技も一部顔を見せたが、それが作品全体の盛り上がりにつながらず単発で終わってしまっている。
 
 自分が消えていなくなる話というのは、盛夏火というか金内さんが好んで繰り返し描くテーマ。以前私と金内さんが制限時間1時間で2人芝居をゼロから作って完成品を上演しようというライブをやったのだが、その作品も金内さんが消えてしまう話だった。

この作品は繰り返して描いてきたテーマの極北だろう。
 
こうして、文章書くととっても計算された戯曲なのだが、普通の盛夏火ならここからド派手なクライマックスが始まるだろうという所で尻切れトンボで唐突に終わったので、ショックを受けた。
 その時、後ろに偶然演劇クロスレビューという企画を一緒に行っているヤバイ芝居という方が座っていたのだが思わず振り返って「終わりました?」と聞いてしまった。あんな体験は初めてだった。


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