劇団ヅッカ『祭典:RAKUDA』の感想
脚本・演出:マツモトタクロウ、アートディレクション:渋木耀太
会場:早稲田小劇場どらま館
あらすじ
ラクダという少年は、ユウカという少女のドキュメンタリー映画を撮る。同級生のモグラとメグ、妹のミズキと共に日々は進むもラストシーンとなる卒業式は中止になって。
劇団ヅッカはやっぱり変な劇団だった。トンチキ演劇をアラベスク『ハロー・ミスター・モンキー』に乗せてお送りする。真っ当なエモさも上乗せされて前回の奇妙さはフロックじゃないことを証明。
上演に仕掛けを施すのは前回と一緒、割とアイデア自体は使い古されている。でも、物語もセリフも演出も縦横無尽に飛び回る空中戦から放たれるので破壊力抜群。
舞台上に会場の都合上音響と照明がいるのだが、音響がラジオDJとして喋ったりして、こういうのがもっとあると嬉しかった。
要素過多で手が回りきれなかった部分はあるが、これだけ盛りだくさんな満足。グチャグチャなのに前回の『恐怖について』よりはすっきりまとまっていて観れる、不思議。
前回は同じ演劇を二回繰り返す作品だったが、情報密度が濃いため二回目の方が面白い代物だった。そして今回も同じ話を繰り返す。
ただし前回と違うところがある。繰り返しの直前でラクダが実は偽物だったと明かし、モグラとラクダが入れ替わり上演される。そこでは前回をなぞりつつも、前回では正体が語られなかった倉庫の中にある街の話や転校生の過去などがふれられる。そこで初めてラクダとユウカがかつて知り合いだったことが語られる。
繰り返しというより、マームとジプシー言うところのリフレインに近い感覚。同じシーンが別の目線で語られるというのはいわゆる伏線回収モノのようにも見える。
このリフレインの終わりはモグラが死んだという事実で終わる。
だが、妹へ亡き兄からの声が聞こえる。それは一巡目の偽物のラクダの声にも感じる。
そっかこれは、マルチバース物だったのか。卒業式を中止に追いやったロカビリー集団はアラベスク「ハロー・ミスター・モンキー」に乗りながら呟く。まだ死んでいない。そうです、ラクダは死んでいない。
生者だけど不在のラクダは妹に映画を引き継がせる。
ラクダと転校生の話、に見えてこれは妹の話だなと感じさせる部分が多々存在しておりマルチバースの抜け道は意志を引き継がせることなのか。
死んだ者の遺志を引き継ぐ生者、ラクダのマルチバースは妹の中かもしれない。
結論だけ見たら真っ当だが、そこに至るまで爆音の「ハロー・ミスター・モンキー」が何回もリフレインされて酩酊状態。