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中野坂上デーモンズ『鬼崎叫子の数奇な一生』の感想

中野坂上デーモンズ『鬼崎叫子の数奇な一生』
会場:ザ・スズナリ
作・演出 松森モヘー

 田舎の資産家一族・鬼崎家。鬼崎龍三が全ての遺産を独り占めしようとする中、屋敷で次々と殺人事件が起こる。そしてそのカギを握るのは20年ぶりに帰ってきた女、鬼崎叫子。
 
デーモンズ初のミステリー演劇。横溝正史的世界観で描かれる、
最近のデーモンズは『死んだと思う』『安心して狂いなさい』と、特異な言語感覚をいかしつつもワンシチュエーションで描く物語(というか、マジックリアリズム的文学世界)に主軸を置いたような作品が目立っており、この作品はその頂点になる作品
 
 
 
 
 
 
 
 
という作品を作ろうと思ったけれどが書けなかったので別作品になりましたと、上演前に松森モヘーからアナウンスされる。
ある日、母親が劇団員になることを知った息子は止めようとする。母親は自分が主役の舞台はどこかと探し続ける。
あらゆるところに出現する映画監督、歯科医を探す姉妹、謎の空間の男。
時間も空間もメチャクチャな世界で常軌を逸した登場人物たちの断片が次々語られる。
 
という風に、混沌とした世界で素っ頓狂なセリフがマシンガンのように連発される。デーモンズを呪術儀式演劇と呼んでいる理由である、役者の熱量でこの世ならざる何かを呼び出そうとしている部分が前面に押し出されている。
しかし、奇妙奇天烈な中で徐々に断片同士のつながりが見えてくるミステリー的構成が上手く炸裂する。
 
そう、この断片はすべて一人の人間の人生を年齢別に分けた物であり、その人物こそ鬼崎叫子なのである。
一人を複数人で演じている訳だが、その一人に矢野杏子を入れてるのは流石だが、どう考えても別人にしかならない異常な個性をデーモンズの魔力で上手く違和感を消している。何故なら物語が違和感そのものだから。
やがて、鬼崎叫子は飛翔していく。
一人の普通の女性でしかなかった人物が神となる姿に眩いばかりの輝きを見た。
 
デーモンズのジャンルは神話になりました。

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