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ハカランダの犬『暴力(仮)』 の感想


構成/森田諒一、ドラマトゥルク/大塩誠(会場:おんがくのじかん)
レストランでのライブ。演奏と友人達との食卓が交互に描かれる。が、そこに暴力を語る謎の存在が現れて。

おお、やったぞ変な演劇だ。
食事とライブと暴力論が断片化されランダムに配置されている。
楽しい食事風景や絵しりとりなど男女四人が戯れる。カップルになる前の男女の友人二組のような姿が描かれる、カレーがぬるいと文句を言ったりハンバーグを取り合ったりと遊びの中で、暴力性にも満たないが少しの兆しが見え隠れ。その中で友人の一人が会社をクビになったと告白する。遠く離れた心の距離か。

それに、交わるのが謎の存在。全身ブルーシートのシーツお化けのような存在は暴力性にまつわる論を語る。遊びのような暴力、反動的暴力。果てはヒトラーに至るまで、歌手の男と共に語る。
しかし、食卓パートで共に座る存在は借りてきた猫のよう。じっと座っている。楽しい食卓だと暴力性は身を潜めるのか、それともそんな時でもずっと側にいるということなのか。
存在はコーヒー豆を挽く。女性はそんな存在とやり取りをする。

表面だけ見れば、現代の若者の風景を描いているのだが常に暴力を象徴する存在が舞台に存在しているということの意味深さ。暴力は隣人であり友人である。タイトルの『(仮)』。常に不可視の存在として存在するが(仮)が外れた瞬間恐ろしいものになっていくのだろうかの想像。この抽象を伝えるビジュアル。

音楽は心地よくて、歌声も伸びやかである。劇中と深く関わり合いがあるのだろうがよく分からない。歌詞カードが欲しいと思う。

会場のおんがくのじかん非常に狭い空間で、そこを使いこなそうという意欲を感じた。私は横から見る席に座ったのでよく見れたがステージを正面から見る席だと役者の背中ばっかりなので難しさを感じる。

女優陣の目が良い。初めて見る人たちだが目で存在を伝える。特に歌手の隣に座る女性のほんわかとした佇まい。一級品。

暴力と日常を交えた作品は祝祭的に終わる。これは、安易な着地かそれとも強い意識を持った終わり方か。
どちらにしろ、奇妙な中に独自の意識を感じる作品だった。

ハカランダの犬は秋山将輝、大塩誠至、森田諒一の3人によって結成されたユニットであり今回が旗揚げ公演。大事な大事な旗揚げ公演でこういうのやるなんて、大好き。

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