モヘ組『せいなる』 の感想
作・演出/松森モヘー (会場: 浅草九劇)
女は路上で死体を見つける。この街では連続殺人事件が起きているが、他の通行者達は急いでいるからと女に押し付ける。どこかの部屋では始まらないオーディションを待ち続けていて、どこかの路上で女性グループが不審な男に絡まれて迷惑がり、友人に未来の演劇を見た話をする女性がいる。不条理なシーンはモザイク画のように一つになって。
中野坂上デーモンズを解散した松森モヘーが、初めて共演する俳優陣と一人の友人と共に演劇を作る新企画。旗揚げとなる今回は、松森によるキャラクター論。
作品手法はデーモンズと同じく会話にならない会話を積み重ねてカオスを積み重ねて物語に仕立て上げる。しかし、全体の構図はあまり複雑ではないのでわかりやすい。演出も全体的には(松森にしては)ラフな手触りで爽やかな後味。デーモンズは人によっては取っ付きにくい所があるが、これは初心者におすすめ。
じゃあ松森モヘーらしさが薄いかというとそうでは無く、
集団で一斉移動し全員すれ違いながらみんなで歌うシーン
世界の真実が明かされた後にこれまでの内容の高速ダイジェスト
など、抜群にキマッているシーンもたっぷり。
中野坂上デーモンズは劇団化前から矢野杏子・中尾仲良のようなアクの強い俳優陣を常連俳優として起用し独自のアングラ路線を切り開いていった。
今回は真っ当な演技をする俳優陣を多数起用しているため、今まで以上にドラマ演劇として地に足をつけている。これがより間口の広さを感じさせるのだろう。
ただ、勿論イカれた奴はいて、それは鳥島明(はえぎわ)。人気劇団の所属俳優だがオルギア系劇団のファンからすると最近の東京にこにこちゃんの客演でお馴染みの俳優。にこにこちゃんではイカれた男を演じるが、今回もイカれた男。ただ同じイカれでも純粋無垢なにこにこちゃんに対し、丁寧な言葉と乱暴な言葉が織り交ぜられ松森印のナンセンス発話で話が通じない。そして正体が明かされてからの落差。イカれ男でも作風でかわるねー。
以下結末に触れる。
途中で明らかとなるのは、描かれた物語や登場人物たちは一人の男が脳内で作り出した妄想だったというもの。
この真相は悪くないものの、昨年に中野坂上デーモンズが上演して同じく物語の断片を積み重ねて一つの物語を描いた傑作『鬼崎叫子の数奇な一生』と比べると軽め。想像の範囲内である。
だがそこで終わりじゃないのがこの話の肝。
死体を見つけた女は妄想から飛び出して、男に会いに来るのである。これ自体も男の妄想なのか判別はつかない。一方、男の妄想内では蘇った人物が死んだ友人が蘇るのを待とうと死体の傍に寄り添い続ける。
妄想の中であったとしても確実にそこには生命があり友情も存在している。
こういうテーマは過去様々な作品が描いていて、は現在映画上映中の某アニメの一作目も同じテーマだった。
ただ、ちょっと一味違うのは作中では未来の演劇としてAIが作った演劇が登場する。それは悪くはないけど上手いって何?と登場人物達に思わせる。
機械の作った物の無機質さに比べて、人の作り出した妄想という物は血が通い独立した人間として顕現し友情さえも持つ。キャラクターという物は虚構さえを乗り越える力を持つ。
松森モヘーのキャラクター論というか愛を感じる。
なんて暖かい話だろうか。