KRYラジオ「大人の音楽堂」:ボブ・マーリー(2022.7.30OA)
1970年代、この方の功績は計り知れません。ブルースが中心のロックシーンに「レゲエ」という新しいスタイルを持ってきました。小さな島国「ジャマイカ」出身。歴史的にも非常に厳しい国です。今でこそリゾートやスポーツで明るい話題がありますが、彼が生まれた頃はまだまだ格差が酷く、スペインやイギリスの植民地時代の暗いところが多く感じられたことだと感じます。アイランドレコードとの契約後、世界的に注目され、その軽快なリズムや曲の雰囲気とは対照的な歌詞の内容が強烈であります。レゲエの先駆者の一人とみなされ、レゲエの神様とも称されるボブ・マーリー。36歳の生涯を、音楽を通じて平和を叫びました。生きていたら〇〇〇〇平和賞でしょう。平和活動の時にジョン・レノンの「イマジン」を世間はよく取り上げ、さもジョンがその伝道師のリーダーのように扱いますが、ボブ・マーリーを忘れてはいけません。
父親はイギリス人、母親はジャマイカ人、彼が生まれたとき母は16歳、父は61歳だったそうです。ボブが誕生直後両親は別れました。10歳の時父が死去。経済的支援が止まります。職を求めてキングストンのスラムに移住。周りのジャマイカの同じくらいの少年と肌の色が違い、スラムでも違う意味の差別を受けました。靴墨を塗っていたそうです。そのままぐれていても仕方ない状況ですが音楽活動を開始…。18歳からトレンチタウンに在住し、少年時代からの親友らと「ウェイラーズ」というグループ名で活動を始め、後に「レゲエの父」と呼ばれたジョー・ヒッグスから音楽的薫陶とラスタファリ運動の教えを受けます。そして1974年、あのエリック・クラプトンがカバーしたボブの曲「アイ・ショット・ザ・シェリフ」が全米1位を獲得。ボブ・マーリーの名は一気に世界に広まりました。ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズはアルバム『ナッティ・ドレッド』を発表。英国や米国のロック雑誌でも絶賛されます。翌年にシングル発表した「ノー・ウーマン・ノー・クライ」も世界的大ヒットを記録。ボブは第三世界を代表するスーパースターと呼ばれるようになります。
私は高校時代、毎晩のようにラジオの音楽番組を聴いていました。「若いこだま」という番組だったと思います。上田正樹さんが歌詞の内容を翻訳して、ジャマイカの歴史を含めこのボブ・マーリーについて熱弁をしました。とてもインパクトがあり、アルバム「LIVE!」というアルバムを紹介。数日後に購入。確かにものすごくインパクトのある内容で、今聴いてもその魂の塊りのような歌に感動させられます。唯一の1976年の来日コンサートを体験できたことはとてもいい思い出です。サウンド的にはオルガンとナチュラルなギターの音色が印象的。独特なリズム、そして歌声、調べないと分からない歌詞の内容ですが…なんとなく分かるんです。凄い世界観です。1981年癌が転移し死去。その後ものすごい多くのミュージシャンが「レゲエ」を使います。ボブの精神を継承するミュージシャンもいますが、スタイルだけファッション的にレゲエを使うのは個人的には嫌ですね。ぼくにとってレゲエはボブ・マーリーだけなのです。「LIVE!」のほか「エクソダス」「バビロン・バイ・バス」あたりのアルバムはお薦めです。“EVERY MAN GOTTA RIGHT TO DECIDE HIS OWN DESTINY”(誰もが自分の運命を決定する権利を持っている)名言です。
さて、次回はPOLICE。お楽しみに。
今回オンエア
IRON LION ZION
ONE LOVE/PEOPLE GET READY
I SHOT THE SHERIFF
EXODUS
NO WOMAN NO CRY
GET UP STAND UP