何故サガン鳥栖を応援するのか

僕とサッカーの出会いは幼稚園。

ご多分に漏れず、キャプテン翼を見て、近所の公園でツインシューとの練習をした。

それから1990年

10歳の時でした。ストイコビッチとマラドーナが出ていたW杯の試合を何かで見て、驚きすぎて理解不能な状態になった。

それからドーハ、J開幕、ジョホールバル、まさかの名古屋にピクシーが舞い降りたこと、中田のセリエA、香川のブンデスと当たり前のミーハーな路線でサッカーを見続けてました。

そんな中、福岡で生まれ育った自分はアビスパ福岡に対戦相手としてやってくる強豪を眺める日々だったのが、転機が訪れます。

そう、サガン鳥栖が、J1に昇格したのです。

もともと大学は佐賀だったので、フューチャーズ時代は知ってました。マラドーナの弟も、松永選手も見ていました。

でも、どうしても「プロとは僕らとは違う最高の試合を見せてくれるもの」という意識が強く、あまり試合を見ることはありませんでした。

あの頃の僕は、TVに向かって平気で「もう下手やなぁ!もっとこうしろよ!」とガヤルタイプのサッカーファンでした。

そして、鳥栖にも「素晴らしい対戦相手」を見に行くようになりました。

しかし、、、

そこで見たものは僕が知ってるサッカーではありませんでした。

泥臭く走り回り、ひとつのボールに群がり、巨漢のFWに当てて何とかする。見てられないくらい、ボール扱いはタドタドしく、「これがプロか?」と唖然としたのを覚えています。

しかし、強かった。

あ、試合に勝つという意味ではないです。

相手に勝つ。目の前のボール争いに負けない。そういう意味の「強さ」がそこにはありました。

強さの象徴の豊田選手。彼ももちろん高校時代から知っていて、いい選手だったけど素行も悪そうで、落ちていったなぁ、という印象でした。

その彼が身を粉にしてひたすらに潰れ役になっていたのです。

気付けばその年から、「サガン鳥栖」を見るために会場に行くようになりました。


そう



サッカーを「見る」のではなく

僕はいつのまにか「サガン鳥栖」を応援していたのです。

池田圭選手

鳥栖の中でも大好きな選手でした。

やっぱり僕は本来は上手い選手が好きで、鳥栖で誰?と聞かれれば鎌田大地選手が1番好きなんですが、それでも、池田選手には大きなリスペクトを持っています。

それは、彼がやっているプレーの素晴らしさに気付けたからです。

トップ下という所謂テクニシャンが多いポジションで、彼は相手の選手を潰し、ボールを受けては潰され、何とかキムミヌや水沼に渡す仕事。

そして鳥栖の中では技術のある彼らから豊田選手へのクロス、というのが鳥栖の必殺の武器になっていました。

その中でスポットライトの当たらない仕事を永遠とやり続けていたのが池田選手でした。


彼らは、僕に、サッカーとは光輝くプレーが全てではないんだよ、と教えてくれました。

鳥栖を見なければ僕は今でも代表戦を見ながらグチグチ文句を言うダメな大人になっていたでしょう。

サッカーとは89分間の我慢だ。

その中にどれだけ真摯に向き合えるか?

一生懸命やっても、走っても、相手の方が上手くてやられてしまう。それでも諦めずに努力する。そのカッコ良さを教えてくれたのが鳥栖でした。

そしてサガン鳥栖はどんな試合でも手を抜かない。

これね、言葉にすると、当たり前やん!となると思うんです。

でも、違う。


例えばライブのツアー。

何回も何回も同じ公演、同じ曲をやるバンド

でも来てるお客さんはその日しか来れないかもしれない。


サッカーも同じなんです。

もう優勝は無理。残留は決まっている。

ともすれば消化試合のような試合で。0-1で負けていても彼らは優勝争いかのような勢いで必死にボールを追いかけ回すんです!

それらの事は僕にとって衝撃でした。

諦めない、なんて簡単に言うけど、やっぱり今日はもう無理だなーとか、もう順位決まってるしなーとか、テンションは変わってくる。

それをいつまでも同じ熱量でたたかえる。

それは、試合の価値というものを、外的要因ではなく、自分たちで高められることだと思うんです。

優勝争いや、大きな大会、そういった外的要因があれば当然試合の価値は高まります。

でもそうではない試合のとき

そして僕のようにフラッと鳥栖に立ち寄った観客にとって、鳥栖が見せてくれた戦う気持ち、その熱量というのは、「何でもない試合を何十倍も感動的なものにしてくれる」ものでした。


だから、鳥栖なんです。

僕にとって応援するのはサガン鳥栖だけなんです。


きっと、こんな物語が全てのJリーグのチームのサポーターにあるんだと思います。


貴方にとって、このチームじゃなきゃダメだ!

そんな理由がきっとあると思います。

僕に、サッカーを応援することを教えてくれたのが鳥栖でした。同時にサッカーとは苦しいものだ、と。だからこそ、耐え忍んだ先に感動があるのだと。

上手いことや、勝つことが全てではない。

今、鳥栖は苦しい時期にいます。

もちろん経営のミスは責められて然るべきでしょう。

しかしだからといって今まで見てきた感動や、情熱が消えるわけではありません。

しっかりと、自浄しながら頑張っていってほしいと思います。


僕にとって、何故サガン鳥栖なのか?


それは、鳥栖を好きになってしまったからです。

彼らのひたむきな努力

僕の見てきたサッカーと真逆のサッカー(笑)

それでも何とかしようと、もがき続ける姿

サッカーで泣いたのは鳥栖対浦和のあのロスタイムの小林選手の同点ゴール

あれが初めてでした


あんな感動が、毎試合鳥栖では繰り広げられています。

安定はしてません

勝ちも少ないです

でも必ず感動がそこにはある。


どんな苦難も乗り越えてきたチームです。

この苦境もきっと乗り越えてくれるでしょう。

コロナで苦しいのは全てのスポーツがそうでしょう。

最後に願わくば全てのスポーツや文化がまた感動と共に見られる日が1日でも早く来ますように。


これを読んでくれた貴方の愛するものが、少しでも元気になりますように。

全てのスポーツや音楽や文化に敬意を。



オワリ

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