知り合いの「マナー違反」を目にした時の心構え

誰でも、それなりに仲良い人でも、ちょっとした知り合いでも、「あーこの人素敵だなぁ」とかって思う人っていますよね。

人として素晴らしい、とか。

そういう人でも、たとえば「タバコをポイ捨てしてた」とか、「列に割り込んだ」とか、何かちょっとした悪いことやズルやマナー違反をしたことを目の当たりにすると幻滅しちゃいますよね。

でね最近思うんですよ。

1つ許せないことがあったら、その人の全てを叩く、もしくは縁を切る、といった過剰反応が多くないですか?

もちろん恋人や近しい人なんかで、どうしても許せないことがあったらそれは当然そこまで考えていいと思うのですが、知人や友人、ましてはSNSだけでのフォロワーさんなんかに対して、1つ間違いを見つけると全力で叩きにいく!といった風潮が多いなぁと感じるわけです。

その人とまぁまぁ合う部分があってそれなりに積み重なったものがあったとして、その積み重ねが10あったとします。

1つ悪いとこ見つけたら、10:1じゃないですか?

その1個の割合にもよりますけどね。

いやいや10をもっと見ようよ?とね、言いたいわけですよ。

じゃあ逆に自分はふわっと付き合ってくれている仲間たちに、まったく不快感を与えていないか?って考えたら怖くなりますよね?

何かしてしまっているかもしれない。

気付かないうちに嫌な思いをさせているかもしれない。

1個ミスしたら仲間から外される恐怖を持ちながらグループ行動できますか?

怖くてできません(笑)

それなら良い部分を見てくれて語り合える輪に居たいですよね。


そもそもね。皆どこか自分と違う。

合う所も、合わない所もある
どんなに仲良くても、信頼してても合わない所って絶対あるんです。

だからってその人の全てを否定はしない。

「そういう所もある」

そう考えていかないと、合わない所見つける度に責めてしまう。

そして難しく考えすぎて、その人を質そうとしたり、距離を取ってしまう。

勿論その方が良い事もあるけど、もったいないと思うし、自分にも他人にも厳しすぎだと思うのです。

そして最近の風潮としてSNSが発達しすぎて、人の悪事を「晒す」という行為が目に余ります。

誰々がこんなことしてたよ?どう思う?

そんなこと聞かれても、知るか!って話ですよ。

好きに思えばいい。

「別に」と答えればきっとその人は不満に思うでしょう。だって一緒になって責めたいからそういうことするんだろうし。

そもそもですよ。考えてみてください。

お店で割り込みやマナー違反あったときに、知らない人がたくさんいる中で「この人こんなことしてまーーす」って大声で言いますか?

周りの人を捕まえて「ねーねーあの人こんなことしてますけど、どう思いますか?」って聞きますか?

やらないでしょ?そんなこと。

SNSで呟く、その人に向けて言うのではなく、写真などを拡散する。

その行為はそういう事と同義なんですよ。

せめてね、お店の人に言う(公式にこそっと伝える)とかその位でしょう。


他人に求めすぎないこと。

自分に求めすぎないこと。

人と人って本当に難しいですから。

「あー、そういうところもあるんだなぁ、そこは自分とは合わないけど、まあ仕方ないな」って感じでいないと、誰とも関わらない仙人になるか、偏屈おじいさんになるしかないですよ。

サッカーの批評でもそうですけどね。

悪いところを批判することはチームのためって言いますけど、悪いところの基準や考えだって違う。

でも批判しているほうがサッカーに詳しい、みたいな風潮もある。


いやいや

良いところ探すほうが難しくないですか?

それこそ負けた試合で選手の良かった点を探してみてくださいよ。

きっとサッカーを見る目も養われますよ。

それと同じで人が間違ったことや目立ったことをしたときは分かりやすいですけどね。叩きたくなる責めたくなる。

1つ悪事があったら全否定。

これ自分の番が回ってきたら恐ろしいですよ?

人の良いところを見つけるような生き方、考え方をしていれば、けっこうストレスなく過ごせますよ。


そんなところもある。


人を変えることはできません。

どんなに間違っている!と自分が思っても、他人を変えることは出来ませんからね。


少しの心のゆとりと偏見のなさを。

1つの出来事でその人の全てが決まるわけではありません。

逆に1個の良い行為で善人に見えることもありますが、それも要注意(笑

全てはその人の「1部」です。


という、僕の考え方の「1部」でした。


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