私のオーストラリアワーホリ遍歴まとめ、一番でかいのはヒッチハイク旅
こんにちは、安田ケリーです。
オーストラリアから来日(帰国)してから3週間。
現在は祖母の家に滞在中。毎日何かしらが入荷する(母や祖母が差し入れてくれる)ので着実に太り始めています。ヒッチハイク旅のひもじい生活でせっかく痩せた(やつれた)のに。実家最高!
オーストラリアには、ワーキングホリデービザとパンデミックビザで、2022年8月〜2024年4月まで滞在しました。
思えば最初から波乱万丈だったなあ。到着した日に歯が痛くなったんだぜ。定期健診パスしてきたのによ。
例のクレイジー漫画家との出会いをきっかけに、王道ワーホリからは脱落。ヒッチハイクしながらテント生活してました。
全部の州を回りきりました。特にWAは、小さな小さな街まで全部。
車のみならず、現地の人々のおうちにもお世話になったりなんかしちゃったりもして。(個人ブログのヒッチハイクシリーズはこちら)
今回は、そんな奇想天外で波乱万丈な19ヶ月間を、ざっくり振り返ってみます。
こんなワーホリの仕方もあるんだよってね。
(ヒッチハイクまでのざくざくざーっくりとした記録はこちら↓で読めます)
1ヶ月目
ケアンズで大豪遊
ワーホリのセカンドビザ申請のために、ケアンズでホスピタリティジョブ探し。
…するものの、ネットでアプライしたものは1つも返事が来ませんでした。
直接店に行ってレジュメを渡す方が効果的らしいぞ。(他人事)
「仕事ないなら遊ぶしかなくね?」
アホほど短絡的な考えで、ケアンズでできた友達たちと現地の主要観光スポットをしらみつぶしに遊んで回る。
キュランダ鉄道ショートトリップ、グレート・バリア・リーフでダイビング、パブとナイトクラブをはしご酒。しまいにはやることがなくなり市内のラグーンでただゴロ寝。歯痛と戦いながら(詳細)。
短すぎるパンプキン時代
ちょうど1ヶ月くらい経った頃に、Xで見つけたファームジョブが回ってきました。
バッパーで知り合ったそらちんと一緒に、ケアンズから430km北にあるエアという街まで移動。
歯の根幹治療が1本18万という驚愕の事実を知り、インスタで高知のアホな友人たちにアンケートを取ったらほぼ満場一致で「とっとと帰国」に票が入る(貴様ら絶対酒飲み要員増やしたいだけやろが)。
ちなみに現地での治療を勧めてきた唯一の1票は同い年のイトコ(同い年・女)です。この人もこの人でクレイジーよな18万やぞ。
そういうわけでようやくありつけたファームジョブ(詳細)は1週間ぐらいで手放しました。コントラクターが一番「?」ってなってたと思う。
2ヶ月目:日本で歯の治療(&いつもの飲酒豪遊)
知り合いのお医者さんが紹介してくれた歯医者さんが紹介してくれた高知の腕のいい歯医者さんに大変お世話になりました。
渡豪前の定期検診でにこにこと「問題なし」と歯科健診票に書いた、それまで親子3代で通っていた歯医者さんには行くのをやめました。愛想はいいんだけどなあ。
3〜5ヶ月目:ケアンズでホスピタリティジョブ
神経がなくなり痛みをまるで感じなくなった健全とは言い難い歯で、再びケアンズに舞い戻る。
観光する場所ももうなくなっちまったので、真面目にレジュメ配り。
メニューがアホほど多い日本食レストランのウェイトレス、1つの皿が2キロくらいあるローカルレストランのウェイトレス、奥さんがいない日は怒鳴り散らかし放題のモラハラ韓国人オーナーの寿司屋、自由出勤ディナー付きのゆるゆるマッサージ店で、約3ヶ月間労働を全う。素晴らしい。(詳細)
あ、メルボルンのフェスにも行きました。ONE OK ROCKの15年来の大ファンなのでね!
クリスマススポット巡りをして、グレート・オーシャン・ロードの観光ツアーにも参加。
6ヶ月目
ドニーブルックでファームジョブ
「オーストラリアって広いしもっと色々行ってみたくね?」
現地の仕事と並行してやっていた旅ブログの全記事のリライト(サムネや画像まで見直す大整理)が完了したケアンズにも仕事にも飽きたタイミングで、移動を決意。
Xで見つけた西オーストラリアのドニーブルックという街でファームジョブをしている日本人男性に連絡を取ると、まさに呼ばれているかのようなトントン拍子でワークホステルへの入居が決まりました。ほんでドニーブルックてどこやねん。
ケアンズから飛行機でパースに飛んでから、電車でドニーブルックなる街へ。
このときは僻地僻地と思っていましたが、このあと旅することになる真の僻地よりは全然僻地ではありませんでした。IGA(大手スーパーマーケット)あるしね。
ワークホステルに入居した数日後、りんごの接木の仕事にありつく。
りんごの接木がしんどかったので、ホステルのオーナーに駄々をこねて仕事を変えてもらう。プラムのピッキングにありつく。プラム食べ放題だった。(詳細)
例の漫画家ヒッチハイカーに出会う
もうね、これが私がドニーブルックとかいう僻地に呼ばれた理由だったんだなと。ここに全部書いてます。
7〜13ヶ月目:オーストラリアdeヒッチハイク旅
私のオーストラリアワーホリの大義となったパート。ZINEまで作っちゃうレベルのやつです。
WAのドニーブルックからNTのウルルまで、丸7ヶ月間、漫画家Moriとヒッチハイク旅。テント生活しながら。(ヒッチハイク旅シリーズ)
マジで色々ありました。
これはZINE2冊目に完全収録します。
あ、アルバニーでは初のミートファクトリー勤務を体験しました。
ワーホリにとってめちゃくちゃ有益な情報はこちらのシリーズで。
14ヶ月目
アリススプリングスからケアンズへ、車旅
引き続き漫画家Moriとともに、乗り捨てられた車を元の場所に戻すリロケーションというサービスを利用し、初の海外車旅!
マウント・アイザ、リッチモンド、ヒューエンデン、アサートン、マリーバを通って、ポート・ダグラスに立ち寄ってからケアンズに到着しました。
ここでも色々あったのでZINE2冊目に全部(以下略)。
タウンズビルに引きこもり
東海岸旅は別々ですることになったので(ここでも色々以下略)、漫画家Moriと泣く泣くお別れし、イタリア人の友達が招いてくれたタウンズビルのキャラバンパークに引きこもってひたすら動画の編集のお仕事。
15〜16ヶ月目
一時帰国
2週間ほど帰ってきて、歯の健診を受けました。
東海岸旅前の、束の間の休息。
東海岸1人旅
ブリスベン、ゴールドコースト、バイロンベイ、ニンビン、シドニー、キャンベラ、メルボルン、タスマニア(デボンポート、ペンギン、バーニー、ローンセストン、ロス、ホバート)、アデレードを駆け足で観光(物価が高すぎて)。
アデレードのバッパーで知り合った日本人たちと仲良くなりました。
17ヶ月目
地獄のインドネシア・バリ島
パンデミックビザのおかげで無料で6ヶ月間の滞在延長ができたものの、「全部の都市回っちゃったしオーストラリアもういいや!」ということでアジア旅に切り替えることにしました。
手始めにバリ島に渡り(アデレードから一番安かった)、ホステルの共有スペースでバリバリ動画編集していたら、突然めちゃくちゃ体調不良になりました。多分コロナ。
地面を這うようにして行ったショッピングモールのスーパーのバナナは熟れ切ってるし(買うしかなかったけど)、コンビニでいつもお釣りをチョロマカシーされるのも、ホステルと街中の独特なニオイも、歩くとジロジロ見られるのも何かの勧誘の声をかけられたりするのにも、もううんざり。
なんかもう色々しんどくて病みに病んで、バリから出る計画を立てました。バリ、バリ嫌い。
日本に戻る用事も別にないし旅を辞めたいわけじゃないから、オーストラリアに戻ることにしました。なーんと、アデレードに!
オーストラリア南部のドライな気候と、自炊文化によるバッパーの広々キッチンと、大手スーパーマーケットのwoollyとColesが非常に恋しかった。知らんうちにオーストラリアの環境に慣れてたみたいです。びっくり。
18〜19ヶ月目
アデレードで本づくり
「もりもりとしたヒッチハイク旅、めちゃくちゃ楽しかったなあ。そうだ、本つくろう!」
オーストラリアdeヒッチハイク旅、ZINE(小冊子) ver.が爆誕(ブログver.とYouTube ver.もあるよ)。
1ヶ月くらい図書館に毎日通って血眼で作業しました。本業の動画もあるからね。マジで1日中ずっと作業してた。
束の間の休息はバッパーで仲良くなった日本人たちと遊びました。楽しかった。
ひとりdeヒッチハイク旅
文学フリマ東京38への出店が決まり、日本に緊急帰国!
帰りの飛行機を謎にケアンズ出発にしてしまったので、アデレードからヒッチハイクでケアンズを目指します。
…が、やっぱりひとりってかなり不安だし(これまでもりもり(男)がいたおかげで回避できたトラブルがあったことがなかったとは言い切れない、ややこしい)、これでもし事件に巻き込まれてヒッチハイクやオーストラリアがトラウマになったら
、あの輝かしいもりもりとのヒッチハイク旅の思い出も思い出したくなくなってしまう。
もりもりとは今後一生一緒にいるつもりだし、このオーストラリアdeヒッチハイク旅ネタも今後一生擦って生きていこうと思っているので、それだけは回避したい。
というわけで、アデレードから3台乗り継いだところで、私のひとりdeヒッチハイク旅は終了しました。
ヒッチハイクは相変わらずおもしろかったけど、もりもりとのヒッチハイク旅に匹敵するものはやっぱり得られなかった。もりもりがいたから楽しさ100倍だったんだなあ。
ケアンズで本完成!
修正を何度も何度もし、最終確認も何度も何度も何度もし(最終とは)、ようやく入稿完了!長くて短くて長い道のりだったけど、めちゃくちゃ楽しかったですマジで。
本づくりはひと段落ついたけど、本業の動画もまだまだやることが山積み。
残り数日を図書館でひたすら作業して過ごし、19ヶ月のオーストラリア旅をしみじみ振り返る暇もなく帰国しました。
オーストラリアワーホリで得たもの
以上が、私のオーストラリアワーホリです。
渡豪前からすでに旅ブロガー/動画クリエイターとして活動していて「ワーホリビザが取れなくなる年齢までにブログと動画で食っていけるようになる!」が目標だったので、現地の仕事はあんまり経験していません。
とはいえ、海外に出てきたことで安心しグータラしていた私のケツを漫画家Moriがめちゃくちゃ叩いてくれたおかげで、帰国後の現在は一応フリーランスとして本の売り上げと動画編集で食ってます。相変わらずケツ叩かれながらだけど。
もりもりとの旅で得たものがたくさんたくさんあって、しかもそれが今の私をつくってるから、地元高知やケアンズといったcomfort zoneから抜け出す決心と、「もりもりについていく!」と「動画ちゃんとやる!」という自発的な行動をして本当に良かったなあと思います。ほんとにやっちゃう行動力って本当に大事よ。
ワーホリって、“現地で働く”だけじゃないんだよ。
アンテナを張ってみて。きっとあなただけの得られるものがあるから。
私の体験が、いまワーホリをしている人たちの、ほんのちょっとだけなにかになればいいなと思います。