毒親を自覚して、自分はこうなりたいと思った話
どうやらウチは歴代、過干渉という種類の毒親らしい。
朝起きたら母親から必ず送られてきているLINE。今日の天気とか、昨日あった出来事とか、今テレビで◯◯やってるよ!とか。写真も毎日何枚も送られてくる。
心がすごく苦しなったから、勇気を出してやめてほしいとを伝えると、母親はこう答えた。
「だって送りたいもん」
「こんなことで苦しくなるなんてw」
振り返ると、私は母親に、こんな言葉を投げかけられてきた。
「育ててあげたのに」
「心配だからいつどこに行って誰と会うか報告して」
「親はいつまでも親、いつまでも子供が心配」
「あんたには子供がいないからわからない」
母の母、祖母はいつもこう言う。
「あんたたち(孫)を並べて置いておきたい」
「お母さんの近くにいなさい」
「もうあちこち行くのやめてずっと高知で暮らしたらどう?」
「心配だから」
心配しているのは嘘ではないだろうが、彼女たちの言葉にはその先があるのが今ならわかる。
「心配だから(私を安心させて)」
「心配だから(どこにも行かないで)」
「心配してるから(絶対私の前から去らないよな?わかってるよな?)」
この鉤括弧の部分は、私のためではなく彼女たち自身のためだ。
一度おかしいと思うと、全てがおかしく見えてきた。
距離を置きたいと思い彼女らの誘いや言いつけを断り始めると、「あんた誰かに洗脳されてるんじゃない?」と言われた。
彼女たちは、私や親戚が寄りつかないことを「あなたたちが薄情だからでしょ」と言う。自分たちに原因があるなんて、これっぽっちも思っていない。
親が毒親だと気がつけたことは大きな一歩となったので、次の課題は毒親と同じようになってしまった自分を変えることだ。周りの人のためにも、自分自身のためにも。
脳は否定形を理解できないらしいから「こうなりたい」という形の言い方をすると、私は大好きな人たちを心の底から応援できる、彼らの結果を心から喜べる人になりたい。
彼らが逐一連絡や報告をくれなくても、「元気でやってるなら大丈夫」と、「私は私のことをしっかりやっていればいい」と、自分と他人を分けて考えられる人になりたい。
自分の安心のために他人を束縛して制限して要求することは、とても傲慢だ。世界は自分中心に回ってはいない。これを常に覚えておきたい。