短所を気にするな、と言われるけど本当に気にしなくて良いのか?
こんにちは。
今日は「短所を気にするな、と言われるけど本当に気にしなくて良いのか?」というテーマについてお話したいと思います。
表題の通りなのですが、世に溢れる自己啓発本やインフルエンサーの方々からよく耳にするメッセージとして「短所は気にするな」という趣旨のものがあります。
私自身も概ね賛成なのですが、個人的には「本当に短所は気にしなくて良いの?」という些細な疑問に対してもきちんと答えられるようにしておかないと説得力がなくなってしまうので、ここで考えておきたいなと思っています。
まず、「短所を気にするな」というメッセージの言い換えとして「長所を磨いていった方が良い」というものがありますよね。人は長所で評価され、短所で愛される、という言葉もある位なので、長所をきちんと伸ばして、短所は武器になる時もあるよ、位の温度感だと考えています。
実際、短所を気にし過ぎず長所を磨いた方が、自分にも周囲にとってもプラスだから理に適っていますし、私たちの人生の短さを考えると短所に対して時間を使っているヒマは無いという事実もあるので納得感があります。
一方で、これを拡大解釈して自分の長所を打ち消してしまう位の短所があった場合、短所を直した方が全体的見るとプラスは大きいケースもあるので注意が必要です。
例えば、商材や業界の専門知識を持っているが「挨拶のできない」セールスがいたとしたら、長所である知識を今よりさらに増やすよりも、挨拶できないという短所による機会損失を減らした方が成果は出やすくなったりします。
上記のようなケースを踏まえると、短所を気にしすぎず長所を磨いた方が良いというメッセージは、必要以上に短所を気にしなくて大丈夫、位に捉えておくのが適切かと思いました。
また、時代軸で考えて見るのも面白いなぁと感じています。
具体的に言えば、30年前の時代のビジネスパーソンが言う「短所を気にするな」と現代人が言うそれは大分意味合いが違うように思います。
両者の決定的な違いは「代替手段の有無」です。30年前の世界では、インターネットもスマートフォンも普及しておらず、個人が生活していく上では物理的に自身の周囲にいる人と良好な関係性を築いていかなければなりませんでした。
また、周囲の人や環境を変えるのに必要なパワーも現代と比較して桁違いでした。そして、そのためには周囲に嫌われないこと・迷惑をかけないことが重要で、短所が人間関係に与える影響は大きく、現代よりも短所の克服に力を入れていたのではないかと思います
そんな状況で「短所を気にするな」と言われたとしても、相手を勇気付けるために言うある種の気休めにしかならないケースもあったのではないかと思ったりします。「短所を気にするな」って言われた時に「じゃあどうすれば良いですか?」と返した場合、返答に困窮してしまうという感じですね。
けれども、現代ではインターネットを介して物理的な距離を超えた人間関係を築くことは日常茶飯事で、そこから仕事に繋がるケースも一般的です。周囲の人間関係が嫌になれば、オンライン上での全く別のコミュニティに移れたり、物理的に移住することも容易になりました。
この環境下においては「自分の短所を直すよりも、短所も含めて愛してくれる人たち、気にしない環境を探した方がお得だよね」という論拠が成り立ちます。
まとめると、短所を気にするな、と言われるけどインターネットが普及した現代においては必要以上に短所を気にしなくて大丈夫です。ご自身の長所を誇りに思って、明るく元気に過ごしてくださいね。
お読み頂いてありがとうございました。
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