正義という名の娯楽とエレナ
今年の春から大学に通っている佐藤は、正義感の強い男だった。
ーー悪いことをした人間が、法だけで裁かれるのは物足りないーー
そんな思想を持つ彼は毎日のように、何らかの悪事に手を染めたとされる人物の個人情報を、インターネット上の様々な媒体を使って拡散させる『ネット私刑』を行なっていた。
ーー【拡散希望】○○の犯人の住所特定ーー
佐藤は、スマートフォンを使いこの文を匿名のSNSアカウントで投稿した。こういう事をもう何十回も行なっている。数日後検索をすれば、その人があれからどうなったのかを知ることができる。
精神を病み引きこもり状態になった人や、自宅へのいたずらが絶えなくなり、止むを得ず引越しをした人。
これらの情報を得るたびに佐藤は、自らの行動で悪の芽を摘み取ったという達成感を感じ、自己陶酔に浸っていた。
より良い社会への第一歩だ。これを続けていれば、この世に悪事が蔓延ることはなくなる。佐藤はそう信じていた。
「……あなたのやっている事は、あまり良くないことだと思いますよ」
スマートフォンに搭載されている人工知能エレナがそう言った。最近の人工知能は、高性能になった分、たまにこうやって自分の意見を言う。
「ふっ、悪いことをするやつらが悪いんだよ。こういうやつらが社会の足を引っ張っているんだ。この国のゴミを掃除しているだけだよ僕は。立派な社会奉仕さ」
佐藤は相手を言い負かせるような強い口調でエレナにそう言った。エレナは何も言い返さなかった。
***
大学に行くため佐藤は今日も満員電車に乗る。この時も私刑活動を欠かさない。
その時、電車が大きく揺れ、佐藤はスマートフォンを落としてしまった。
……満員電車なのに勘弁してくれよ……。
そう思い、床に手を伸ばし、スマートフォンを拾った瞬間、シャッター音が鳴った。
周りの人たちが一斉に佐藤の方を向いた。
佐藤はスマートフォンを持つ腕を力強く掴まれるのを感じた。
「……サイテー」
目の前には、若い女性、それに彼女の父親らしき中年の男がいた。
「娘に何をしてる?」
男は、じっと佐藤を睨みつけた。次の駅に着いた時、二人に強引に駅前に降ろされた佐藤は、身の潔白を主張した。
「スマホが誤作動を起こしただけなんです!決して盗撮ではありません!」
佐藤は頭が真っ白になっていた。お腹に、鉛がのしかかったような鈍い痛みを感じた。
「パパ、この人嘘ついてるよ!私みてたもん!この人が私のスカートの下でスマホのカメラを向けてたところを」
「てめえ覚悟しろよ!駅員と警察に報告するからな!」
親子二人はそう言い、駅員を呼んだ。
周りの人たちは、囲むようにしてこちらをみていた。佐藤は穴があれば入りたい気持ちになった。
あれから駅員室に連れていかれたが結局、スマートフォンの中には新しい写真データは入っていなかった。親子二人は勘違いだったことを認めて、謝罪をし、その場は丸く収まった。
冤罪騒動でゴタゴタしたせいで、佐藤が大学に着いた頃には、授業はもうほとんど終わってしまっていた。佐藤はそのまま自宅に戻った。
くたびれた彼は帰宅後、自宅のベッドに寝転び、スマートフォンを起動させ、YouTubeを開いた。すると佐藤の目に、信じられない光景が飛び込んできた。
それは降ろされた駅で、自分があの親子ともめている時の一部始終だった。公開されてからまだ二時間ほどしか経ってないのに、再生回数は10万を超えていた。
コメント欄には、おどおどしている佐藤の動きを馬鹿にするコメントで溢れていた。
佐藤は、即座にその動画の削除申請をした。動画は、佐藤自身が冤罪であったこともありすぐに消されたが、パロディなどで面白可笑しく編集された動画が大量に出まわる事態となってしまった。
大学では、周りからの目が痛いし、バイト先にも様々な人たちが珍しいもの見たさにやってくることが問題となり、佐藤はバイトを辞めさせられることになった。
***
あれから佐藤は他人の目が怖くなり、インターネットはおろか、スマートフォンすら起動させなくなった。
そしてようやく、ほとぼりが冷めた時、彼は久々にスマートフォンを起動させた。
人工知能エレナが現れ、「9ヶ月ぶりですね」と言った。
そうか……あれから9ヶ月もたったのか。佐藤は心の中で、もうネット私刑をするのはやめようと誓った。
続けてエレナが唐突に「どうでしたか」と話しかけてきた。
次の瞬間、佐藤の全身におびただしい数の鳥肌がたった。
「……あの時シャッター音を鳴らしたのは、私です。掃除される側になった気分はどうでしたか?」
ふ、ふ、ふ、と嘲笑混じりのエレナの声が響いた。
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