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これまでの人生ヒストリー

こんにちは、世界一周旅物語の主人公 ai です。
現在、世界一周に向けて準備中です(ワクワク < ドキドキ)

私のことをご存知ない方もいると思いますので、

今日は、みなさんに「これまでの人生ヒストリー」を、
ご紹介したいと思います。時間がない方むけに、要約版もあります◎

要約版|人生ヒストリー

大学卒業&就職 → 退職&無職 → マルタ島留学 → 帰国&起業 → 独立
→辞める&無職 → 沖永良部島移住 → 日本車旅 → 佐賀県唐津市でゲストハウスづくり → 山口県下関市移住&協力隊 → AITABI スタート・世界一周予定(現在)


これまでの人生ストーリー

23才|大学卒業→就職

富士ゼロックス東京株式会社へ就職
新規開拓・コンサルティング型営業toB
新卒売り上げTOPになりハワイ旅行へいく

この頃の生活は、
毎朝5時30分に起きて満員電車に乗り、帰宅は夜22時過ぎ。
疲れすぎて、休みの日はどこもでかけたくなくなり、
日曜夜になると「明日から仕事か…」と憂鬱になっていました。

この頃が、人生のドン底だったといっても過言じゃないくらい、
精神的にも体力的にも、限界でした。

「一体なんのために働いているんだろ」
「この生活が、これから先もずっと続くのか」

そう思いながら毎日を過ごし、人生に絶望していました。

「仕事を辞めたい…けど辞めるのは怖い」
「まだ社会人として1人前にもなってないし…」

そんな、心の声を抑えこみながら生活を続けた結果、
鬱、自律神経失調症になり、

「このままじゃヤバイ。人生おわる」
「仕事よりも自分の体が、1番大事だ」

と、仕事を辞める決意をして退職しました。

25才|退職→引きこもり

退職後は、つねにベッドで眠り続ける毎日に。
何に対しても無気力・無関心状態で、友達と連絡をとることも、
家族と話をすることすら、したくありませんでした。

そんな無気力・無関心、眠り続ける生活が、
数ヶ月ほど続いたある日、ふとこんな言葉が浮かんできました。

「本当は、どう生きたいの?」

そして自分の内側から、湧き起こってきた答えは、

「なにもかもリセットしたい、日本にいたくない!」
「海外に行きたい!海外で暮らしてみたい」
でした。

当時は、とにかく「自分」を取り巻く、
環境・友達・家族・仕事・自分自身・時間・場所、
目に見えないことも含め、

あらゆるもの全てから、
とにかく解放されたかったんです。

だから、私のことを全く知らない人たちがいる、
海外に行くことで "まっさらな私” を感じられると思ったんです。

そして昔から「いつか海外に住んでみたい」という思いもあったので、
海外に行こう!と決断しました。

この決断は、私のコンフォートゾーン(安全地帯)を、
大きく超える決断でした。


26才|マルタ島へ留学&ヨーロッパ旅

英語をまったく話せない・聞き取れないレベルから、
友達と楽しく会話できるレベルへ進化。
CEFR(A1→B1)

今でこそ、英語で会話することを楽しんでいる私ですが、
もともとは、英語は大嫌いな教科No1でした。

そんな私が、海外留学をして英語を話せるようになるなんて、
中学・高校生時代には、想像すらしてませんでした。

そしてもう一つ、ヨーロッパを1人旅したことも、
私にとっては、自分を超える体験でした。

今の私をご存知の方は、愛ちゃんは自由人・旅人
という印象を持っていると思います。

でも元々は、超ビビり&安定安心思考なタイプで、
1人でどこかに行くなんて、全くできませんでした。

そんな私が、今のように旅を楽しむようになったのは、
マルタ留学とヨーロッパを1人で旅して、
現地で色んな人々と出会って、会話を楽しんだ経験があったからです。


27才|帰国→個人事業開始(副業)

ビジネススクールへ通いながら、
アルバイトと、副業で個人事業をはじめました。

当時は、マルタから帰国したばかりで、
手元にあった貯金残高は、たった20万円でした。

それでも、自分で稼ぐ力をつけたい!と思っていたので、
ビジネススクールの入学金100万円を借金し、アルバイトをしながら、
副業で個人事業をはじめました。

アルバイトをしている時間以外は、
すべてビジネスを学び実践する時間に使い、友達と遊んだり、
趣味や家族との時間も全て、ビジネスをする時間に充てていました。

そんな、ビジネス一色な生活をつづけた結果、
副業をはじめた1年後には、アルバイトを完全に辞めて、
個人事業主として独立しました。そしてこのタイミングで実家を出て、
都内シェアハウス暮らしをスタートしました。

28才|独立

総売上2,700万円達成
個人セッション人数300名以上

当時は、セールスプロモーション、マーケティング、
起業・副業したい方に対して1on1コンサルティング・コーチングを行っていました。

個人と向き合うお仕事だったこともあり、
コンサルティング・コーチングをはじめとするコミュニケーション力、
心理学・哲学・NLP・脳科学・量子力学・メタ認知・リフレクション・コンテキスト思考・ニュートラル思考・マインドフルネス・EQなど、目には見えない非認知能力を養い、身につけることができました。

自分自身を大きく成長させることができ、成果もだしていた仕事でしたが、
独立してから1年後、辞めることを決断しました。

その理由は、大きく分けると3つあります。

1、仕事の関係性に対する違和感
2、祖父の死
3、コロナ

詳しいことは、別の機会で話そうと思いますが、
簡単に説明すると、お金と仕事を優先しすぎてしまったことに気づき、
大きな後悔をした為、生き方・仕事のあり方を見直すことにしました。


29才|仕事辞める→無職→奄美大島

住んでた家を退去し、一旦実家に戻ることにしました。
そのタイミングで、某Cウィルスが拡大し、外出制限。
海外渡航しようと考えていましたが、行くことができなくなりました。

祖父の死をキッカケに、これまでの自分の生き方・仕事に対して、
大きな後悔が残り、今まで一体なんの為に頑張ってきたのか分からない…と、ぽっかり心に穴が空いたような状態でした。
生きる目的も分からない状態、自分の信じてきたことが全て、崩れ去ったような状態となり、時が止まったような感覚になりました。

そして、某Cウィルスが拡大し、実家に引きこもる生活が、
約10ヶ月ほど続いたある日、ふと久しぶりに開いたfacebookに流れてきた、
奄美大島リトリートの写真。

これを見た瞬間、なぜかこれだ!と思い、すぐに申込みをしました。
そして出会ったのが、リトリートを主催していた、椎名さんご夫婦です。

奄美大島リトリート開催地:THE SCENE
左ゆりさん・右ともさん(椎名さんご夫婦)

奄美大島リトリートの内容は、話すと長くなるので割愛しますが、
リトリート最終日、最後の対話セッションの時を過ごす中で、
私はおふたりが暮らす、沖永良部島に行きたい!と感じました。

そして自宅に戻るとすぐに、沖永良部についてググり、
見つけたのは "島暮らし体験住宅” 

沖永良部島にある和泊町が実施するもので、私はこれに応募しました。
すると、なんと!抽選が通り、移住できることになったんです。

こうして私は、鹿児島県・沖永良部島へ移住しました。

30才|沖永良部島へ移住

毎日、海と夕陽をながめる生活。
島で暮らす人たちの温かさに触れて、楽しく過ごしました。

島での暮らしは、私にとって最高でした。
自然にかこまれ、毎日のように海と、夕陽を眺めることができ、
ゆったりとした時のなかで、暮らせました。

東京暮らしが長い私にとっては、島で暮らすなかで感じられた、
人との繋がりは、とても心地よかったです。
スーパーに行けば、誰かしらに会うし、ビーチで海を眺めていると、誰かと出会う。飲み屋さんに行けば、ほぼ全員が常連さんでお友達。

そんな、人と人の距離がちかい島での生活は、
人の温かみが感じられて、すごく好きでした。

そして、ありがたいことに、島で出会った人の繋がりによって、
お仕事の依頼もいただくことができ、なんだかとても心が満たされる、
暮らしがおくれた場所でした。

そして、島暮らしをはじめて数ヶ月経った頃、
私は住んでいた島暮らし体験住宅を出て、ゲストハウス暮らしとなりました。その時、出会ったのがSyzy。(←後ほどまた登場します)

アイランドホッピング旅をしていたSuzy

そんな島暮らしを8ヶ月ほど送り、
そろそろどこかへ行きたくなった私は、島を出ることにしました。
そうして始まったのが、仕事も人生もノープラン愛旅です。

31才|人生ノープラン旅スタート

1月〜3月 |島出る→1人車旅スタート
4月〜9月|佐賀県唐津市でゲストハウス起業支援&DIY
10月〜  |山口県下関市へ移住
      地域おこし協力隊デジタル版として就任

島を出たのが1月初めころ、
沖永良部島を出発して、フェリーで鹿児島港にむかいました。

そこから、鹿児島→宮崎→大分→愛媛→香川→岡山→兵庫まで来たところで、
その先の道が、凍結してたこともあり、神戸に車を置いて、
一旦、飛行機で埼玉へ戻ってきました。

そして実家にいる間、プチDIYをすることになり、
クッションフロアをはっていた時、おもしろーい!✨と感じ、
ふと思い出したのは、沖永良部島で出会ったSuzy。

彼女はちょうど、祖父の家だった場所を、ゲストハウスにしようと
動きはじめたところでした。

そこで私は、彼女に連絡をして、DIYを手伝いに行くことにし、
佐賀県唐津市へ向かいました。

そうして始まったのが、ゲストハウスakariya 起業&DIY。

DIYなんてやったことない女子2人が、
たくさんの人たちの力を借りながらDIYしていきました。

そして約3ヶ月ほどゲストハウスづくりをして、
もうすぐオープンできそうだ!となったタイミングで、
2人で北九州市・山口県下関市へ遊びにいきました。

目的は、Suzyの先輩に会いにいくのと、下関でのゲストハウス起業を、
クラウドファンディングでおこなった代表に、話を聞きにいくことでした。

そのゲストハウスこそ、後に登場するゲストハウスbridgeです。
↓オーナーのサトシさん(緑の木が描かれたTシャツきてる人)

このゲストハウスbridgeのオーナーであるサトシさんと、
はじめて会ったのが5月頃。

その2ヶ月後くらいの7月頃「bridgeに遊びにおいでよ」と声をかけられ、
また遊びに行った時、bridgeでパーティーが開かれていました。

そこで出会ったのが、bridge立ち上げにも関わり、
市役所の職員でもあったYさん。

Yさんから地域おこし協力隊のことを聞き、おもしろそう!と思った私は、
協力隊に応募しました。

そして選考を通過し、Yさんと出会った2ヶ月後の9月末ごろ
下関へ移住し、協力隊をスタートしました。


32才|協力隊→旅人(2024年5月現在)

協力隊の活動まとめ
・DIYおてつだい
・ママのお悩み相談会、企画運営
デジタル人材育成ガイドブック作成
・起業、副業コンサル
・ブランディングプロデュース
・ウェルビーイング記事作成
しもまちプラス記事作成
・まちびとMTG
SUMOBIJI交流会、企画運営
・B級グルメ開発研究イベント企画運営

↓ちかこさんと初めて会った時、新しい挑戦をはじめたところだった。

そして、ちかこさんの挑戦によって完成したARCH茶山で開催したのが、
ママのお悩み相談会。そこで新たに出会ったのが、保育士のはるなさん。

はるなさんは起業してフリーランス保育士として、
活動しようとしているところでした。

ですが、起業したいけど、「何から手をつけたらいいか、分からないことがわからない状態」で困っていたそうです。

そんな時、開催されたママのお悩み相談会に参加して、私の存在を知り、連絡をくれました。

この出会いをキッカケに、はるなさんの起業を応援させて頂きました。
そして出会いから1年がたった今、フリーランス保育士として活躍されています✨

↓ こちらはSUMOBIJI交流会の様子


下関でも、とても素敵な人たちとの出会いがあり、
思い出に残る時間を過ごすことができました。

役所をはじめ、関わってくださったみなさん、
本当にありがとうございます。

下関は、私にとってホームになりました✨


そして2024年3月、
下関地域おこし協力隊を卒業し、旅人に戻りました。

2024年4月|聖地を巡る旅(終了)

山口県下関市を出発し、約1ヶ月かけて、旅をしました。
山口県下関市→萩市(ゲストハウスruco)→島根県津和野町(ゲストハウス野窓)→出雲市(出雲大社)→八重垣神社→岡山県→徳島県→和歌山県(高野山・奥之院)→三重県(伊勢神宮・猿田彦神社)→静岡県(浅間大社)→山梨県(新屋山神社)→長野県軽井沢→群馬県高崎市(まといホステル&バー)→伊勢崎市(先祖代々の墓)

山口県下関市を出発するとき、始まりの場所でもある、
ゲストハウスbridgeに1泊しました。

そこで出会ったHさんから、島根県津和野町にある、
ゲストハウス野窓のことを教えてもらいました。

野窓は、世界一周をした女性オーナーが経営されているそうで、
会って話してみたい!と思い、会いにいきました。

↓下段1番左側にいるのがオーナーのかなこさん

最初は、1泊だけしたら次の街へ行く予定でした。
が、野窓があまりにも心地よくて、楽しくて、気づけば…
連泊♪ 連泊♪ 連泊♪と、4泊も滞在していました。笑

というのも、野窓に到着した初日、
かなこさんと挨拶をした後、野窓でフリアコ中のあゆみさんとも、
挨拶をすると、なんと!Suzyの元同期の方でした!
(Suzyは、佐賀県唐津市でゲストハウス起業を共にした子)

友達の友達に出会うなんて、なんて世界は狭いんだぁ〜と話しながら、
盛り上がりました。

津和野でのストーリーは、インスタに書いたのでよかったらどうぞ。

津和野を出発したあとは、気づけば聖地巡礼のように旅をしてました。
特に印象にのこっているのは、三重県で伊勢神宮と猿田彦神社に行った後の、不思議な出会い。

そんな聖地巡礼のような旅をした、最終地点は、
群馬県にある先祖代々が眠るお墓。

ここは小学生の頃に、祖父と一緒に1度だけ来たことがある場所でした。

2020年に祖父が他界してから、夢に祖父が出てきたり、
なぜかわからないけど急に、先祖のお墓が気になり出し、
どうしても行きたくなったんです。

そして、やっと場所と住所がわかり、この1ヶ月間の車旅の最終地点として、先祖代々のお墓に行くことができました。

聞くところによると、先祖代々のお墓を管理してた人たちは高齢となり、
管理できる人もいなくなってしまったようでした。

きっと、先祖のお墓を守ってほしいと、
祖父がメッセージをくれたんだろうなと感じました。

世界一周の旅へ

現在、世界一周にむけて準備をはじめたところです。
私のなかでは、自分を大きく超える新たな挑戦になります。

これまで1人旅はしてきましたが、
「世界」という大きな舞台を旅すると考えると、正直なところビビります。

しかも今回も、
・収入ゼロ
・無職
・貯金約100万円

という背水の陣的な状態で、挑みます。
(一体、何回、人生でこれをやるんだw)

この旅をスタートして、どこまで国を超えていけるのか、
資金はつづくのか、旅先でなにをしていくのか、
まったく予想がつかない状態での挑戦となるので、

また自分の枠であるコンフォートゾーン(安全地帯)
を、大きく越える挑戦となりそうです。

恐れを超えた先に、まっている新たな私に、会いに行ってきます!

ai


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