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「普通」というメガネでジャッジする大人たち。「みんなに合わせる」生きづらさ。

「あなたの歳なら、年収400万円くらいあるのが普通」

そんな言葉をふと投げかけられて、私は内心こう思いました。「普通というモノサシで、ジャッジしないでくれ」「私は変化を恐れずに、挑戦しながら生きてきたんだ」「絶対あとから、逆転するもんねっ」「なんだか、ウサギとカメの話みたいだな(私、カメさんみたい)」そんな風に感じました。

ちょっと前の自分だったら、他者からの言葉によって心が乱されていました。他者の一言によって、自分で自分のことを「世間一般」というモノサシでジャッジして、「ダメだ」と否定しちゃってたし、”ちゃんとした大人” になれていない自分に対して「ちゃんとしなきゃいけない」と責めていました。

でも今は、自分の生きてきた軌跡に対して「お金というモノサシでは測れない、価値ある経験を積み重ねてきた」と思っています。

そもそも普通って何?

なにげなく使っている「普通・当たり前・常識」というワード。そして、それに付随して「普通は〜だから」「〜が当たり前」「常識的に考えて〜だから」そんなセリフがあります。

でも、そもそも普通って何?
なんで、それが普通なの?
それって誰が決めたの?

そう聞かれたら、どれくらいの人が答えることができるんでしょうか。人によっては「うわ、めんどくせー。」そんな風に思う人もいるはずです。基本的に誰もが、普通・当たり前・常識にたいしては、疑問すら持ちません。だから「そもそも普通って何なのか」なんて考えもしないし、普通・当たり前・常識に対して「自分はどう感じるのか」なんてことすらも、全くノータッチなのではないでしょうか。

1.普通・当たり前・常識は「少数 < 多数」

世の中の多くの人々が「信じていること」「やっていること」「やってきたこと」それを私たちは、普通・当たり前・常識と考えているはずです。言い換えると「みんなそうだから」これが、基準になっているのではないでしょうか。反対に、みんなとは違うことをする人のことを、「変人」または「すごい人」と呼ぶのではないでしょうか。そして、今でこそ普通・当たり前・常識とされていることも、よくよく考えてみるとどうでしょうか。

2.はじまりは「誰か」

今では当たり前とされている「貯金」。多くの人たちが「何かあった時のために」と考えて、貯金するのは当たり前と思っていますよね。今でこそ「貯金」は当たり前ですが、実は今から約150年前の1875年(明治8年)、郵便貯金制度が "はじまり” だったのをご存知ですか。

当時の日本には「貯金」という概念自体がなかったそうです。でも、150年かけて徐々に「貯金」という考えが浸透し、親から子へ、代々教え引き継がれてきた結果、今では「貯金するのが当たり前」となったんです。こんなふうに、今の世間で「普通・当たり前・常識」と考えられている他のことも、元をたどれば "はじまり” があり、それは ”誰か” によってつくられたものかもしれません。

3.過去から受け継いだ「価値観」

”はじまり” は、過去の誰か。そうしてできた普通・当たり前・常識と呼ばれるもの。それを言い換えると、物事の判断基準  =「価値観」です。そして、過去から受け継いできた価値観のなかには「今の時代にあわないもの」「自分にはあわないもの」が、実はたくさんあります。

でも、私たちの多くは、普通・当たり前・常識に対して疑問をもたないので「何が合わないのか」気づくことが難しく、合わない価値観を基準に "人生を選択・決断・行動” しています。そして、そんな古い価値観、合わない価値観が「心のモヤモヤ」「生きづらさ」を生み出すことにつながっていたりします。

世界を旅すると気づくこと

日本の普通は、日本だけ。

日本では、普通・当たり前・常識とされることも、日本の外に一歩でも出れば「日本だけだったんだ」と感じる瞬間がたくさんあります。

私自身、日本から一歩も出たことがなかった時は、「なんか言葉にできないけど、、、なんか生きづらい」窮屈さをずっと感じていました。

当時の私は「もう、日本なんて大嫌い!」と思ってしまうほど、”日本”の何もかもが全て嫌に感じていました。そして「生きづらいのは日本だからだ」と、日本という環境・文化のせいにしていました。でも実際は違いました。

生きづらさを生み出していたのは「自分自身」

当時の私は、自分に対して普通・当たり前・常識というモノサシで、自分自身のことをジャッジしていました。「自分が感じていること」や「本心」は無視して「こうあるべき」「〜しなきゃ」を優先し、無意識にじぶんのことを否定・抑圧・責めたりしていました。そして、それが「生きづらさ」を生み出していました。

でも当時は「自分との向き合い方を知らなかった」ので、「言葉になっていない、自分の考え・気持ち」に気づくことも難しく、なぜ生きづらさを感じるのかもわからず、日本という環境・文化が「自分には合わないんだ、だから生きづらいんだ。」と思っていました。

国・人の数だけ「ある」価値観

25歳のとき会社を退職してマルタ島へ留学しました。いろんな国の人たちと繋がり、友達になり、6ヶ月間という長い期間を共に暮らしたことで、文化や価値観の違いを知り、視野が広がりました。

そして、日本国内でも旅をして、いろんな場所にも暮らし、多くの人たちと繋がり、交流してきたなかで学んだのは「国の数だけ、人の数だけ、価値観はある」ということです。

大切なのは、自分が何を大事にしたいのか、どう生きていきたいのか、本心で感じることはなにか、自分にとって嬉しい・楽しい・幸せを感じることはなにか、「自分にとっての価値基準=軸」で、人生を築いていくことだと感じました。

メガネを外す旅にでよう

もしも今、「生きづらさ」を感じたり、「もっと自分らしく生きたい」と感じているとしたら、それは自分で自分のことを「ジャッジしている」からかもしれません。どんなにお金があり、生活や仕事が安定していても「心が不自由」だと、人は生きづらさや心のモヤモヤを感じ続けてしまいます。

環境を変えることで解決することもありますが、どんなに「自分の外側」を変えても、生きづらさやモヤモヤを感じる場合は「心を自由」にするステップが必要です。それは、自分と向き合うこと(=自分の心の世界を旅すること)です。

そして「旅」は、
自分と向き合う最強のツールです。

なぜなら、1人で旅をすると「必ず、自分と向き合う時間」が発生するからです。そして、国内外(=現実世界)を旅していくと、必ず新しい出会いがあります。その時、旅先で出会った人との「対話」を通して、新たな気付き・学びを得たり、自分が感じていること(=心の旅)を、言語化して伝えることで、まだ知らない自分に出会う瞬間があります。

旅は、人生と心を豊かにしてくれる最強ツール。
心を自由に、人生をもっと自由に生きよう

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