見出し画像

じぶんのはなし。

「みんなこう考えている、だからこういうものだ」というスタンダードを支えるメディアがある。いまだにTVだし新聞だ。ネットニュースは強くなったけど、やはり主たるタイトルを出してくるのも、何に権威を付けるのか決めるのも従来のメディアだと思う。「ネットで話題」も、拾い上げられて権威付けられるわけだし。

今は。まだ。
あと、10年もすれば、主要メディアの発信媒体は変わるんだろうけど。
中の人が同じ系譜で世代交代するような気はする。「信頼ある」発信者は不利益を被りたくない誰かの都合に合わせて考えられる、"誰かさんの良い子だ"って部分が変わることはないかな。

わたしの主観だから、わたしにとっての"良い子"は幅が狭すぎるんだけど。
体制に楯突いて見えるメディアも大きいところは最低ラインのコードを守ってるように思う。
皇室の扱いとか、分かりやすい例だよね。
良いことだとは思わない。棚上げの問題を誰も棚から下ろせないから、他の議論でも材料不足で結論が出せないって印象がある。

でも、取材できる相手との関係を作るって新しく入ってそうできることじゃない。
結局ね、先輩たちのやったことを受け継げる人たちは強い。取材先にとっても、持ちつ持たれつの部分を守れないなら応じるメリットがないんだよね。
...ほんと、こんな構造が良いとは思わないけど。
「取材先」が社会への説明責任を果たすことをどう捉えるかが変わっていけば、違ってくるのかな。
それが変わった時っていろいろなことが根底から違っている時代かも。

などつらつら考えを述べつつ、
言いたかったのは単にじぶんのこと。

数年来なんかモジモジそわそわしてた、じぶんの肩書きを何にしよう...
漫画家?作家?謎の非正規労働者x?
という問題にふと穴が空いた気がした。

結論として、今の世の中のイメージに鑑み、エンターテイナーでないなら「漫画家」ではないということで良い。風刺は道化の格好をした政治だけど、わたしはそれでもないし。
非正規労働者は幅が広すぎて、名刺に書きづらい。それに、非正規労働を代表するような働き方なんてしてない。なんか他の人に失礼な気がする。
やっぱり「作家」と名乗るなら良いなと思う。
作家なら物語作家、陶芸作家、映像作家、飴細工作家、ぬいぐるみ作家、表現してれば色んな人が使って良い。
たぶんね。
それで食えてなくても使って良い。
たぶん。

ここまでは、前も言った。

肩書きなんてなくてもいい、と言えなくなったのはたま〜に勉強会などに呼んでもらうことがあるからだ。
こちらが決めてないと、主催の人が紹介文をどうして良いのか困ってしまう。

わたしにしてみれば、じぶんが何なのか、社会の中にポジションが欲しくて欲しくて欲しくて仕方ない人間だった。
若い頃はできない恋愛を無理やりして「誰かの恋人」というポジションを手に入れようとしたくらいだ。

世の中の相関図のどこかに書かれたかったんだと思う。

そして、やはりというか、
まだ誰とも繋がりの線の無い、余白に
自分で名前を書いておくことにした。
ずっと誰か、「立派な人」が「君はここだ」と書いてくれるのを待ってたんだと思う。
しかし、年取るって良いことで、もう若く無いんだしと思ったらじぶんで記名する余裕が出たみたい。

はじめのメディアが何とかって話とどう繋がるのかというと、

わたしはお話を描いて、他者の心に揺さぶりをかけるのが人生のお仕事だ。(悪い奴だ)
つまり、ちょっと分かりにくいけどメディアなわけです。
でも、誰かを楽しませたり、今すぐの情報を届けたりということとは、全然合わない。
じぶんの立ち位置は、世の中の主たる流れに横から手を突っ込んで、違う可能性を感じてもらうとこにある。
いや、わたしはじぶんを概ね正しいと思ってるし、やってることはただの横槍ではなく長い目では、世の行く先を大きくブレさせると信じてるけど。

表現方法は何でも良い。漫画にこだわることもない。

とにかく、なんかわたしのフィルターで「加工した現実」を世の人々に頼まれてもいないのにぶつけていく、
そんな迷惑なメディアとしてポジションを取っているんでいいなー、と

久しぶりの本当に休める休日に考えたの。


コミック書籍「働く、働かない、働けば」三一書房より、発売中です。 お役に立つかも知れませんよ!電子書籍版は試し読みできます。よろしくお願いします! https://31shobo.com/2017/09/170065/