女子大生が思考する“戦争”について【イスラエルの思想と率直な感想】
私の戦争への関心
自分は小学校の頃から社会科が好きで、毎年夏になると戦争について調べる習慣があった。初めは原爆についてが多かったが、近年は沖縄や空襲について知ることが多くなった。太平洋戦争終結から80年が近づいている今、トラウマを掘り起こしてでも現代に伝えようとして下さる高齢者の方々が増加していると考えられる。
自分に大きな影響を与えたことが二つある。そのひとつ「その世界の片隅に」というアニメーション映画だ。忠実に今は無き広島の姿を描き、自然や生活を描いていた。日常と戦争、それでも工夫してなるべく笑顔で過ごそうとする姿をみて、正直現代にはない生命の美しさを感じた。戦争は勿論あってはならないが、そういった苦悩があって人間は成長するのだと気付いてしまったのだ。そして、出来事は1ページではなく続いていく日常の中に確かに存在するものであると実感した。
影響のもう一つは、以前から気になっていた「刀剣乱舞オンライン」を初め、琉球刀に興味をもったことだ。
本土については調べていたが、沖縄戦について詳しく調べていないと今更気付いたのだった。ひめゆり学徒隊や壕での生活を耳にしていても、鉄血勤皇隊や1010空襲のことなど何も知らなかった。
教科書で知ったひめゆりについても当時は解像度が低く、地上と壕の惨状など想像も出来ていなかった。勿論現在も想像は現実の足元にも及ばないが、その想像すらしてなかった時よりは確かに学んできたという実感がある。
戦争は軍や政治の偉い人の下らないプライドや利益のために始まると改めて知った。正論を言った山本五十六はそういった権力によって排他され、その能力を利用されて散っていった。
自分は今学ぶ自由があり、思想や発言の自由があるうちに真実を知り、残していきたいと強く感じ、それが今の日本人の使命とまで思っている。平和を背負う日本が平和という究極の財産を残す役割をしなくてどうするのだと疑問に思う。
しかし、現実はそう甘くないことも知っている、日本を守ることについてアメリカに協力してもらっている以上アメリカには相応の礼として援助する必要があるだろう。そして、ロシアウクライナ戦争に関しても世界各国の目を気にして兵器の援助をするしかないことだってある。医療や保護に関することにだけ援助して欲しいが、きっとそれだけでは味方であるとはみなされないのだろう。国際政治に関してはまだ疎いが、日本が兵器に援助することなく、完全な平和主義国家となることを祈り、更に学んでいこうと思っている。
“正義”はどこに ~ガザ攻撃1年 先鋭化するイスラエル~ を見て
“正義”はどこに ~ガザ攻撃1年 先鋭化するイスラエル~ - NHKスペシャル - NHK
X(Twitter)のポストにて興味を持ちこのドキュメントを視聴した。現在は見れなくなっている。現地の人の考えをダイレクトに感じることの出来る素晴らしいドキュメントで、今から述べる感想の一部は見ないと伝わらないかもしれないが丁寧に伝えていきたいと思う。
まず自分の感想として、正直、選民思想を取り除かない限りユダヤ人が批判・差別されてしまうことは仕方のないことであると考えた。映像を見て、自分たちが正しいと思い込んだ愚行は、自分たちがされたことを繰り返しているに過ぎないと思う。
世界の文化に疎い自分はユダヤ人とイスラエルの地が結びついておらず関心を持つことが遅れてしまった。日本で生まれ育った人間に宗教のことを語ることは不可能であるが、それでもこの世の不幸が減ることを祈ることは許されるであろう。
ユダヤ人に関して負の歴史としてアウシュヴィッツについては誰もが知っていることだと思う。そこからユダヤ人は差別され、残酷な仕打ちをされた、それを二度と繰り返してはならないと学ぶ。そうしてユダヤ人に関して庇護する思想が出来るが、実際は現在においても、神から賜ったイスラエルの地を自分たちの物にするべく、排他し過剰な抵抗を行っている。選ばれた種族として最も正しい行動だと妄信し、間違いを認めず、自分たち以外の人間から力尽くで奪う。差別され甚大な被害が出た民族が全く同じことを行っているのだ。勿論、ユダヤ教を信仰する全ての人間がそうというわけではないだろう。それでも、国策として行っている以上批判されて然るべきことである。
新しく情報を得たことでそ情報に評価が傾かないよう気をつけながら、感想を交え動画を振り返る。
平和を願う歴史教師
最初に見たのは、イスラエルの歴史教師のSNSの問題であった。相手側で亡くなった子どもの写真を投稿し、事実・真実を残そうとした。歴史や平和に関心のある者がたどり着くであろう行動である。その先生は味方にとって不利となる情報を扱ったとして逮捕された。釈放され学校に戻ると愛していた生徒たちに暴言を吐かれ、非常につらい思いをしていた。そして、戦時の雰囲気を実感できた。日本でも憲兵が取り締まっていてかなり厳しかったと聞いている。しかし、こうして生徒のように国民の広範囲にわたってそのような態度を掌返して行うとはかなり衝撃を受けた。そこから、宗教の強さと軍国的思想の危険さを思い知った。ユダヤ教の強い民族間の結束によって、それを裏切る者を許さないという考えが強いということは言えるだろう。また、継続的な争いがありつつも、激化する現在を強く印象に残している生徒が軍国的思想を抱いてしまっていても仕方のないことだろう。児童・生徒・学生は大人たちの思想や教育の結果そのものであり、彼らに責任はない。選民思想を抜きにしても、伝統と他者との調和は人間が存在するかぎり続く論点であろう。
そして、「どうしてこうなるのだろうね。」と言って訴えかける瞳が印象的であった。きっと、等しく人の命があり、それらは侵害されず守られるべきであり、そして殺生を禁じる神の教えがあるにも関わらず抵抗どころか攻撃をしている自国に疑問を抱いているのだろう。同時に授業を通してそれらを伝えきれなかったことを案じているのかも知れないとも感じられた。そのような葛藤、もどかしさのような、負の感情の全てを混ぜたような表情は平和を願う人間の全てが詰まっていた。
己の正しさを疑わない信者
次に見たのはイスラエル軍を肯定する信者のインタビューだった。この方もまた瞳が印象的だ。進撃の巨人を見たことのある人なら伝わるかもしれないが、物語後半のエレンの瞳のように、自分の運命に抗えず、そのために人を犠牲にする選択が出来る人の真っ直ぐで何にも染められない黒の瞳をしていた。
その瞳を見て、このような人を説得することは出来ないのだと絶望した。争いは無くならないし、宗教は人の生きる力になることも分かっている。信念があることが素晴らしいことも分かっている。しかし、ここまで加害性のある姿勢だと擁護できることは何もない。
先の戦争で、侵略し排他するドイツを止めるために連合国は抵抗した。事実、ヒトラーの思想は危険であり、実害が生まれていたため悪と見なすことは出来る。それに対して自らを正義として鼓舞し戦っていた印象がある。相手を止められないと思った時、武力を使うことは仕方のないことではあると思う。現実は話し合いなどしている場合ではなく、理想なども掲げる余裕もないからだ。
しかし、その戦争を乗り越え比較的平和な時代の実現にたどり着いた現代において、ナチスと似た姿勢で排他するイスラエルに対して武力介入で止めるなどは適していないように思う。とはいえ、殺気立っている疑いを知らない信者に対して「お前らがやっていることは、お前らが憎む存在と全く同じことだ。」というようなことを伝えても、本人たちには最大の侮辱としてしか映らないのだろう。今後の世界維持のためにもこのようなことは考え続けなくてはならない。最も効率的に平和を維持する方法を求め続けることがまだ見ぬ未来を作っていくだろう。
また、歴史教師のパートでも触れたように教育も大きな問題になっていると考えられる。子ども、学生ならまだ余地があるが、彼らに教えている者、インタビューのような信者、そして政治や軍を動かす者は今後改まるとはあまり思えない。しかし、そこで介入してしまえば侵略になる。現在世界を導く国々は異文化を理解し、守っていくことを視野に入れている。相手がどんなに排他的であっても、こちらが理解したいという姿勢を崩しては絶対にならないと思う。誠意を向けない限り相手も誠意を見せることはないだろう。選民思想を取り除くとしたらユダヤ教の存在は揺らいでしまうのだろうか。未だに知識不足が否めない。この領域には答えは一つではないだろう。どのような着地になるか今後に期待したい領域である。そのためにも、どうか武力行使が減ってほしいし、安心して学べる環境になってほしいと思う。自分も力にならないとしても考えていたい。
相手の住処を壊す国民
イスラエルの攻撃は軍だけではなかった。神から授かった土地に住む多人種と見なし、ユダヤ人の中には加害をする者もいる。ショベルカーや銃を持って脅し、民家を壊す映像が流れた。この国民たちもインタビューに答えた信者と同じ考えで自分の正しさのために他者を傷つけることを厭わない。自らの考えを改める気配も全くない。宗教の考えを、政府の意図を盾として攻撃をしているのだ。
同調圧力は抑制だけでなく、促進の方向へも働く。ユダヤ人の中にも、強い信仰を持つ者の加害を恐れ同調したり、自分の意志がない故に周りに流されたりしている者のいるのだろう。自分は集団心理の方面に明るくはないが、国民性はそのように作られると推測する。そうして政治にも共鳴して攻撃の一途をたどっているのだろう。止めるには第三者が圧力をかけるべきだが、その点はずっと論議されている。ロシアの侵攻も三年が経つ。イスラエルの問題もなかなか解決には向かないことは想像がつく。この争点は最新の情報をみて考えていきたい。
まとめ・振り返り
NHKが配信した「“正義”はどこに ~ガザ攻撃1年 先鋭化するイスラエル~ 」の映像について振り返り、感想・推測を行った。
正直、他国のことを考えるほど日本は裕福な国ではない。しかし、他国の問題を見て考えることで、今の日本に必要な物事を見つけるきっかけになるかもれない。自分はその可能性を考えて、様々な事象を知っていきたい。
イスラエルについてはユダヤ教の考え方が暴走していると考えられる。政府軍の行動を見るに信仰を鉾と盾として正義を掲げているように思える。決して自分たちが悪くないという姿勢だ。その意識は国民と共鳴し合って止まることを知らない。
また、国民性に関して、教育の問題を指摘した。教育に正解はないが、大人の都合のための教育はいつか国をも壊すだろう。その点は戦前の帝国主義の日本も、戦後の正しさだけを求める日本も同じことが言えるだろう。そのため、より他人事のようには感じられない。イスラエルに関してはユダヤ教の妥協できない選民思想が他者も、そして自らをも苦しめてしまっている。国際化の進む現代の視点からするとそのコミュニティの伝統を守る点と、その狭いコミュニティに囚われすぎている点が争点になることが推測できる。その点は先進国でも問題になるだろうが、今のイスラエルは視野が狭くなっていると思う。それゆえにその見据える先に集中してしまっているのだ。これは表裏一体であり、加害に集中することは人道的でないと考える。
推測の精度を上げるべく、更に学ぶ必要があると再認識した。そして、現地の人々の言葉の重要性を知った。ユダヤの思想について知識として知らなかったが、インタビューの様子を見て想像を超える根深さであると実感した。ユダヤ教誕生の瞬間から排他的な思想や、土地に関する問題を抱え続けているのだからと言われればそれまでだが、そういったものがない柔軟さと
礼儀を重んじる日本で生まれ育った自分には衝撃的だった。もっと視野を広げ、そして内容により具体性を求めることが重要であると学んだ。今後のブログについてもその点を意識していきたい。