六道慧の花暦2024年2月(1)
昭和の下町(4)
昭和三十年代の中頃。デパート――当時は百貨店とも言いましたが、まあ、しのぎを削っていましたね、はい、派手でした。銀座に三越と松屋、松坂屋、日本橋に三越と高島屋、東急百貨店、そして、新宿に新進気鋭の伊勢丹。
私は憧れました、伊勢丹に。トレンディ(死語か)で今で言うところのクール。流行の最先端という感じがしました。あれは忘れもしない小学六年生の12月。子どもには胸躍るクリスマスです。不思議な夢を見ました。
デパートらしきフロアに赤いコートを着たマネキンが立っている。赤いコートは襟と袖に豹柄っぽいフェイクファーがあしらわれており、ボタンは洒落たデザインの金ボタン。それを目が覚める直前の覚醒夢というのかしら、そのときに見ました。ご丁寧に最後にはデパートの看板まで見えたのだから出来すぎかも。
伊勢丹でした。
翌朝、私は興奮して訴えました。両親に夢の内容をね。「クリスマスプレゼントはあのコートがいい、あれじゃなきゃいやだ」と我儘を言いました。はじめは取り合ってくれなくて、一計を案じたわけです。
「それじゃ、一緒に伊勢丹に行ってみて、私の言った赤いコートがあったら買って!」
母親と行きました。
なんということでしょう! あったんですよ、婦人服売り場に立つマネキンが着ていました。夢で見た赤いコートです、豹柄の襟と袖、洒落た金ボタンも言った通り。12000円ぐらいしたと思います。当時としては破格の高さ、ましてや、小学六年生のクリスマスプレゼントです。が、約束は約束、母は渋々でしたが、「まあ、驚いた」と言いながら買ってくれました。
お気に入りで長いこと着ました。父もこのときの話が心に残っていたのかもしれません。大人になって実家を建て替えるとき、箪笥の奥から出てきました、赤いコートが!
そのとき、母はすでに亡くなっていましたが、思い出しました。一緒に伊勢丹に行ったことを……。
デパートは夢を与えてくれる場所でした。夢を叶えてくれる場所でもありました。
遠くなりましたねえ、デパート神話も。寂しい限りです。
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