六道慧の花暦2024年3月(1)

昭和の下町(5)

私の住んでいた下町が、買い物難民の区域であったことは以前、書きました。そのせいなのだろうが、千葉県から行商の女性が魚や乾物類などを売りに来ていた。2、30キロはあろうかという大荷物を背負い、総武線に乗ってはるばる売りに来てくれたのである。
電車の中で見かけた方もいるかもしれない。うちに来ていた女性は、九十九里浜の方だった。ご主人は漁師さんだったのだろう。自家製と思しき鯵の干物やしらす干し、漬物などが美味しかったのを憶えている。

夏になると逆に、私たち家族が九十九里浜に出かけた。そう、海の家や民宿を営んでいたからだ。ただ、九十九里の波は荒く、水が冷たくて子どもが泳ぐには過酷だったように思う。
それでも、昼間は浜辺や波打ち際で遊び、日焼けしてヒリヒリする背中の痛みに耐えながら、吊られた蚊帳の中で眠りについたことを、昨日のことように思い出したりする。波の音なども聞こえたりして、それが子守歌代わりだったかな。

やがて、大変な行商は、息子さんが運転する軽トラックに取って代わり、荷台に積まれた冷蔵ガラスケースの中におさめられた品物を買う流れになった。何十年も経つのに、相変わらず買い物が不便なことには驚くしかない。コロナ後、様々な店が辞めてしまったのだが、お墓の近くにあった花屋さんまでもが店仕舞いしたのには本当に驚いた。さらには近くにあったコンビニまで……結局、私の実家は買い物難民という宿命(笑)からは、のがれられないらしい。
困ったもんだ。


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