ファッションの自問自答は生き方の自問自答だったお話
ある日突然「迷子」になった
小さな頃から服が大好きで、中高も私服校だったのでおこづかいは服か漫画に費やされてた。
就職してからも服装は割と自由で、デニムだったりカジュアル過ぎなければ問題なくて、
動きやすくて働きやすい格好で社会人の節度を守っていれば自由。
20代の頃はSNSや雑誌で人気のファストファッションを身につけてきたけど、
ある日ふと鏡を見るとそこに映ってたのは…
生活に疲れたママ感溢れた妙齢の姿
独身で子どもはいないのに、なぜか溢れ出るママ感。
ボーダーや綿のカジュアルな服を着てるからか?!と思ってきれい目な服を着てみるものの、今度は参観日のママ感が出てくる…
周期的に現れてくるお洋服迷子現象。
たいていは自分の好みや気に入っているブランドの系統が変わったりして、今期はなにを着たらよいか迷うぐらいだったのが、
今回は
「好き」、なのに「違和感」
ママ感や生活に疲れた主婦という形容詞は、どこか垢ぬけなくて日々の生活に疲れていてもっさりしている を表す言葉であり、決して世の中の主婦やママさんを否定しているわけではない。
けれどアラサー独身女性にはなんとなく似つかわしくない言葉。
同居家族や当時の職場では、人の容姿や性格をずけずけと言ってくる人が多く、私自身もいじられキャラで「いじられているうちが華」など思っていた。
関西人なのでいじられるとオイシイ。
けれど内心は繊細で傷ついていた。
ちょうどその頃にノームコアや断捨離なんかが世に出始め、シンプルやお片付け、整理整頓が好きな流行りものに乗りやすい私はまんまと流され波に乗り、クローゼットの中の断捨離をするものの、買い物がやめられず、買ってはどこか違和感を感じてメルカリに流すことを繰り返していた。
うちの会社は約3年ごとに職場異動があり、次の職場はお客さんと会うこともほとんどなく、いじってくるけれども大人な人達に囲まれ、前の職場の後半から一人暮らしを始めたこともあり、心身ともに穏やかに過ごしていた。
でもどこか感じるファッションの違和感は拭えず。
持ち物は少ないけれど、服はそれなりに多いまま。
ミニマリスト思考に影響されるものの、ミニマリストというとファッションに興味を失った同じ服ばかり着る人が多く、ファッション面ではミニマリストにはどうしてもなれなかった。
あきやあさみさんとの出会い
そんなときに出会ったのが、あきやあさみさんの「自問自答ファッション通信」
クローゼット整理やミニマルワードローブの本や記事にはない、独特のファッション論。
あきやさんは「コンセプトを決めて服選び&毎日の服装の制服化」と言うファッションスタイルで生きてらっしゃるスタイリストさんです。
妄想クローゼットやYAZAWA、糖衣などのワードセンスに、なんといってもあきやさんのお人柄が伝わる文章・・・!
自問自答ファッションがほかのファッション論や制服化となにが違うのか。
それは、徹底的に自分の心や生き方と向き合うことだと私は思っています。
パーソナルカラーや骨格診断などの診断系が流行っているけれども、診断結果にどこか違和感を感じている人って世の中に多いんじゃないでしょうか。
何度も診断を繰り返す人も多いとか。
でも結局のところ、この記事のとおりなんですよね。
型にはめようとしても、結局自分の心と当てはまらないとしっくりこない。
私が「迷子」になっていた理由
結局、自分の本心と向き合わないと、自分らしく納得したワードローブって作れないんだなと。
ファッション好きなおしゃれ迷子の私は、↓の記事もかなり刺さりました。
たくさん服を着て生活をしてきて思うのが、
結局いつも同じ服ばかり選んでしまう ということ。
いろいろな服を着こなせねば
あんなテイストもチャレンジせねば
毎日違う服を着なければ
無意識に自分に課されていた「呪い」だったんだな、と。
もっと自分自身と向き合って
どうありたいのか
どう見られたいのか
「誰か」のためではなく「自分」のために服を纏おう
他人は「私」の人生に責任を取ってくれはしない。
たとえそれが両親や身内であったとしても。
他者軸で生きるのってしんどいなと、ようやく最近気づきました。
ファッションと向き合うことって自分と向き合うことだ
まだまだ自分に自信はないし、お買い物に失敗することも多々あるけれど、
これから少しずつ大好きなファッションを通して、自分と向き合っていきたいなと思う。
ちょうどこの記事を書いている1週間前に、自問自答ファッション教室に参加して、自問自答の道筋が拓けてきたので、
少しずつ理想に近づけたらなと日々修行していきたいです。
教室受講の感想は、また次回以降に。
もう少し教室での気づきを、自分のものにしていきたい・・・!
逃げずに向き合うぞー