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山姥切国広と山姥切長義の原作設定徹底検証

DMMゲーム「刀剣乱舞ONLINE」において、刀剣男士「山姥切国広」と刀剣男士「山姥切長義」が話している「自分の設定」と「相手の設定」は、どういう対応の仕方をしているのか? という話をまとめてみました。時折「山姥切問題」と呼ばれたりする件について、そもそも二振りは公式にどう設定され、ゲームの中で何を言っているのかを確かめ、他の男士の回想も踏まえ、あの世界観の中で二振りはどういう関係になっているのか考えてみようというものです。
個人の解釈を含みます。ご了承ください。

この記事では省略する場合は「山姥切国広」を「国広」、「山姥切長義」を「長義」、二振りまとめては「伯仲」と呼びます。以下のWikiを参照しつつ、国広・国広極・長義を中心に刀剣乱舞のボイスや回想についてネタバレしまくりますのでご注意ください。


予備知識

できるだけゲーム内の話だけで納めたいのですが、知らないと分かりづらそうな元ネタ情報(私はあまり詳しくないです)をまとめます。

  • 山姥切国広の号「山姥切」の由来は「本科の長義」の伝説と名だという説が広まったのは、昭和の頃の山姥切国広についての研究。この研究は山姥切国広を写しでありながら本科に劣らない「国広の第一の傑作」だとしてあくまで絶賛している研究でもある。長義の伝説は「信州戸隠で山姥なる化け物を斬った」というもの。(追記:この研究では長義のことを「本科」と表記しているため、国広の手紙の「本科」表記はこの研究が由来の可能性がある。)

  • 山姥切国広の本歌と言われているのは徳川美術館所蔵の「本作長義」。上記の研究で「長義の刀」と呼ばれている刀。

  • 徳川美術館は、本作長義に「山姥切」の号の記録がないため、長義が山姥切本歌というのは事実誤認としている。(追記:徳川美術館ツイートでは長義が入手や刀帳で使う「本歌」表記が確認できる。)

  • 山姥切国広の号「山姥切」の由来として現在有力なのは国広自身の伝説で、「小諸で赤子食いの老婆を斬った」というもの。長義の逸話とは場所や詳細が違う。

  • 長義の通称の由来であり、その長さと史料性の高さからアイデンティティとも言える「本作長義(以下58字略)」の銘を刻んだのは山姥切国広を打った刀工・堀川国広。

  • 長義の銘を入れたのが堀川国広ということもあり、山姥切国広が本作長義の写しだということ自体は「確実性の高い推定」として認められている。

長義が実装される前に国広の修行の手紙で「伝説は両方にある」「どちらも斬っていないのかもしれない(噂が曖昧で事実は分からない)」という話がされているので、少なくとも国広極はこれらのことを知っている可能性が高いです。そして、長義も知っているのでは? という点もこの記事では見ていきます。

2023.8.26追記:実際の山姥切伝説の紆余曲折について詳しい話は、以下のsoubiさんの記事をぜひ。国広の方もやはり斬らずに生まれた伝説かもしれないという話までカバーされています。

霊剣『山姥切』=山姥切長義なのか?

最初に、図録等で確認できる二振りのキャラクター設定文を確認します。
まずは山姥切国広。

霊剣『山姥切』を模して造られたとされる打刀。
オリジナルでないことがコンプレックス。
綺麗と言われることが嫌いで
わざわざみすぼらしい格好をしている。
実力は充分だが、色々とこじらせてしまっている。
(※英語版ではこの紹介文の「オリジナル」は「the original」と訳されていて、「自分が模した霊剣『山姥切』でないことがコンプレックス」というニュアンスの訳になっています。詳細記事

山姥切国広 キャラクター紹介文

実はこの山姥切国広が模したとされる『山姥切』が「霊剣」だという記述はゲーム内では確認できません。以前まで(おそらく2023年4月25日の大型アプデ前まで)はDMMの刀剣乱舞公式HPで初期刀候補の紹介として確認できましたが、それもなくなりました。(追記:2023年9月1日から、キャラクター設定はLINE公式アカウントで確認できるようになりました
 ただし、メディアミックスのキャラクター紹介は全員基本的に設定文をベースにしており、山姥切国広もこの設定文をベースにした「霊剣『山姥切』を模した刀」系の紹介です。「霊剣『山姥切』」について一部表記揺れはありますが、この表記が正確と考えていいと思います。
(表記揺れ一覧
 霊剣『山姥切』:図録、旧公式HP、花丸無双黎明
 霊剣「山姥切」:活撃継承
 霊剣山姥切:Twitter紹介 ※リリース前に公開された、Twitter独自の紹介)

続いて山姥切長義。

備前長船長義作の打刀。長義は長船派の主流とは別系統の刀工となる。写しであると言われている山姥切国広と共に伯仲の出来。美しいが高慢。より正確に言えば自分に自信があり、他に臆する事がない。

山姥切長義 キャラクター設定文

こちらは図録の他公式Twitter(追記:および公式LINEアカウント)で確認できます。
 基本的に「長義の刀」としての紹介で、ここでは「山姥切」も「本歌」も出てきません。それにまつわる紹介は、「山姥切国広が(この刀の)写しであると言われている」という説明だけです。
 長義もメディアミックスでの紹介はこの文章がベースですが、劇場版『刀剣乱舞―黎明―』では「より正確に言えば自分に自信があり」の部分が「本歌としての自信に満ちており」と差し替えられていて物議を醸しました。

 設定段階では、霊剣『山姥切』=山姥切長義というのは、国広と長義の設定両方を踏まえて「山姥切長義の写しであると言われている山姥切国広が霊剣『山姥切』を模したとされているから」という、推定を2回挟んでようやく成立する状態です。
 
つまり、「刀剣男士・山姥切国広が模した霊剣『山姥切』」=「刀剣男士・山姥切長義」だという断定はされていないと言えます。

 キャラクター設定だけを見ると、両者の設定は連動しておらず、それぞれ独立したキャラクターとして設定されている雰囲気です。

山姥切長義は霊剣なのか?

「霊力」を気にする山姥切国広

 ゲーム内では、『山姥切』が「霊剣」だというセリフは国広にも長義にもありません。「霊剣」に近い用語で確認できるもののひとつは、山姥切国広が使う「霊力」。該当するのは以下の4つのボイス。

「化け物斬りの刀そのものならともかく、写しに霊力を期待してどうするんだ」(本丸)
「霊力、か」(錬結)
 ↓ 極修行後
「霊力があるかはわからんがな。切れ味の冴えは保証しよう」(本丸)
「霊力、か」(錬結)

山姥切国広&山姥切国広極 ボイス

 「霊剣」というワードは出てこないものの、初の段階では「化け物を斬った刀そのものなら霊力もあるかもしれないが、俺は何を斬ったわけでもないその写しだぞ」という理屈で「俺に霊力を期待されても(困る)」という趣旨の発言をします。

「何を期待しているのやら」(隊長)
「山姥退治なんて、俺の仕事じゃない」(出陣)

山姥切国広 ボイス

これらは「化け物斬りの刀そのものならともかく、写しに霊力を期待してどうするんだ」とリンクするセリフと考えられます。これにあわせてキャラ設定の「オリジナルでないことがコンプレックス」を英語版のニュアンスで取ると、「化け物を斬ったオリジナルなら期待される霊力もあるかもしれないが、斬っていない写しの俺に霊力なんか……」というコンプレックスを、「俺は化け物を斬った刀じゃないんだから霊力なんか期待する方が間違ってる」という強がりで隠しているように見えます。

 それを踏まえて戦闘ボイス。

「俺は、偽物なんかじゃない!」(会心の一撃)
「俺を写しと侮ったこと、後悔させてやる。死をもってな!」(真剣必殺)
「俺は、俺だ」(誉)

山姥切国広(初) ボイス

こうしてみると、「山姥を斬っていない写しの山姥切」というコンプレックスがあるからこその、それを跳ねのける「だからなんだ、俺は偽物なんかじゃない」という気合の真剣必殺、からの他の誰でもない自分を確かめる誉、という流れに見えます。
 山姥切国広は「写し」であって「贋作」ではありませんし、本人も言う通り傑作と評価されている刀です。にもかかわらず過剰に「俺は偽物なんかじゃない」と気にする理由のひとつは、「化け物を斬った霊剣そのものじゃないから、霊力を期待されるとそれに応える自信がない」という部分にあると推測できます。(2023.8.22追記)長義の「偽物くん」に対して、刀帳や真剣必殺のように「俺は偽物なんかじゃない」とは言わずに「写しは偽物とは違う」と答えるのも、山姥切である長義に対して「俺は(山姥切の)偽物じゃない」と言う自信がないから(極は長義も偽物になりかねないその問答をしたくないから)、「写し」を「俺」の代わりにして客観的事実である「写しは偽物とは違う」で答えていると考えられます。

 そして極の本丸ボイス「霊力があるかは分からんがな、切れ味の冴えは保証しよう」は、「霊力があってもなくても役に立ってみせる」というセリフであって、「霊力がない」とは言い切っていない。
 隊長ボイスと出陣ボイスを見ても、

「期待には応えるさ」(隊長)
「主の命とあらば、なんだって退治してやる」(出陣)

山姥切国広極 ボイス

 「主に命じられれば山姥退治も化け物退治も辞さない」と解釈できるセリフです。つまり、写しの自分にも山姥斬りの伝説があること、またその伝説が無い自分も傑作と評価されていること、あるいは本科も自分も伝説で評価されているわけではないと知ったことで、手紙3通目「写しがどうの、山姥斬りの伝説がどうので悩んでいたのが、馬鹿馬鹿しくなった」→人間は写しの意味を分かってない、山姥を斬っていない自分に霊力なんてないし山姥退治なんて無理だ、だが国広の第一の傑作としてそれで侮られるわけには……と悩んでいたのがバカバカしくなったから、修行帰還「写しがどうとか、考えるのはもうやめた」→写しに霊力を期待してどうするとか、山姥切(本科)と比べるなとか、そういうことはもう言わないという意味に見えます。

 その結果変化するのが出陣時の開戦ボイス。

「参る!」
 ↓ 極修行後
「山姥切国広、参る!」

山姥切国広&山姥切国広極 開戦ボイス

国広極は、「山姥切の名を持つ国広の傑作」=「山姥切国広」として自己を確立したように見えます。

余談:その他の霊剣・霊力・霊刀

 ちなみに刀剣男士の中で「霊力」というワードを一番使うのはぶっちりぎりで同じく写しのソハヤノツルキです。こちらは「家康公が持ってたからこその霊剣扱い」(回想31)と、自分(と物吉)の「霊剣扱い」の理由を「徳川家康の刀」に求めていたり、かと思えば自分のことは本丸等で「霊刀」と言っていたり、戦闘で「写しの霊力じゃ足りないってか!」等々とにかく「審神者は俺の霊力に用がある」「写しの霊力は(本歌に?)劣る」という認識で霊力を気にしています。また、先日(2023/5/23)実装されたばかりの手紙のネタバレになるので詳しくは伏せますが、「霊力」を高めるのは「持ち主の願い」という話をしています。
 
国広にしろ長義にしろ山姥切伝説は有力な元主の北条や長尾に結びついた逸話ではない上、かたや写し推しの研究者が本科のものと思っている、かたや大切に受け継いできた所蔵元が写しのものだと否定しているので、そういう意味でもソハヤとは事情が違います。その一方、国広極が霊力に言及するのは、今の主(審神者)に願われればあるいは、ということにも見えます。

 また、2023年5月現在、とうらぶWikiで検索した限り、キャラクター設定文で「霊剣」と言われているのは鬼斬りの太刀・鬼丸国綱、「霊刀」と言われているのがソハヤノツルキと大典太光世。そして審神者のもとに「霊刀」や名刀が集っていると言うのは祢々切丸(審神者就任五周年ボイス)です。
 その他、三日月宗近(極)が本丸で「さすっても霊力はうつらんよ」と発言する他、錬結ボイスで「霊力が高まる」という趣旨の発言をするのが鬼丸国綱、石切丸(初&極)、鳴狐(初)の狐。修行で霊力を浴びてくるのが蛍丸。
 石切丸(初)は刀帳で「腫れ物や病魔を霊的に斬る」という話をしますが、山姥切国広も花火ボイスで「(初)病も、斬ってみせよう/(極)ああ、病も斬ってみせよう」となぜかそれっぽい台詞があります。やっぱり自信がないだけで本音は霊剣(写し)をやる気があるのか?? 未実装の長義の花火ボイスが気になります。

 とにかく霊力に関しては、修行の手紙で触れている二振りもソハヤは「人の願い」が鍵、蛍丸は「阿蘇の地脈からあふれ出る」と言うなど、調べれば調べるほど「刀剣男士が言う『霊力』って何???」となるのが実情です。

 さらに「霊剣」と似たような用語に、にっかり青江と石切丸の回想『神剣までの道』で登場する「神剣」がありますが、ここでは「(幽霊と言えど)幼子を斬ると神剣になれない」「何百年か経てば(人々の認識が変われば?)変わるかも」という話がされていて、童子切が長年実装されないのってまさか「童子(=子ども)を斬った」って名前だからか? という内容です。他に北谷菜切も赤子を殺した逸話である「怪談じみた伝承」を「作り話」と否定しているので、刀剣男士達の間では「子どもを斬ること」はタブー視されていると考えられます(脱線)

「化け物斬りの刀」の山姥切長義

 ゲーム内で『山姥切』に関して「霊剣」の記述がないだけでなく、山姥切長義は「霊」に関するワードも使いません。代わりに使うのが山姥切国広が本丸ボイスで使っていた「化け物斬り」というワード。

「呪い? 悪いがそういうのとは無縁かな。なにせ、化け物も斬る刀だからね」(回想其の55『猫斬りと山姥切』)
「化け物退治はお手の物だ」(鬼退治イベントボス到達)

山姥切長義

 また、「山姥」を斬ったに相当するのは南泉との回想『猫斬りと山姥切』のセリフ。英語版が興味深かったので併記します。(英語版の詳しい記事はこちら

長義:へぇ、それはやっぱり斬ったものの格の差かな? わかるよ、猫と山姥ではね
長義:Huh, so it’s the difference of what we slayed. I get it, between a cat and Yamanba.(ふむ、それは俺達が殺したものの差異のせいかな。なるほど、猫と山姥だ)

回想其の55『猫斬りと山姥切』
PART55 Cat Slayer and Yamanba Slayer

ここで長義は「山姥を斬った」という話をしていますが、英語版を見ると「猫(a cat)」は可算名詞=一般的に存在する猫なのに対して、「山姥(Yamanba)」は不可算名詞=概念上の山姥と解釈できる翻訳になっています。山姥は実在しない妖怪変化とも言えますが、似たような存在のはずの「鬼」については鬼丸国綱が入手時に「an oni」と可算名詞で扱っているので、可算名詞の「猫(a cat)」と並べられた不可算名詞の「山姥(Yamanba)」は、刀剣男士目線でも非実在性が高いと言えます。(刀ミュ『花影ゆれる砥水』では、長義と鬼丸国綱の間で、実際にそういう認識のずれが確認できる会話がありました)

 さらに、続く南泉とのやりとり。

南泉:そういう性格だからだ……にゃ! ……あぁ、そうか。お前も呪いを受けてたんだにゃ?
長義:呪い? 悪いがそういうのとは無縁かな。なにせ、化け物も斬る刀だからね
南泉:猫斬ったオレがこうなったみたいに、化け物斬ったお前は心が化け物になったってこと……にゃ!
長義:語尾が猫になったまま凄まれても……可愛いだけだよ

回想其の55『猫斬りと山姥切』

注目したいのは、長義は自分を化け物も斬る「刀」だと言い、南泉に言われた化け物斬った「お前」については「かわいいだけだよ」とはぐらかして返答を回避しているということです。つまり、「(刀剣男士としての)自分が化け物を斬った」とは明言していない。

 このためこの回想は、長義は「山姥を斬った」という伝説を「自分が励起された刀が持つ空想の物語」として捉えているように見えます。

 長義が「山姥を斬った」という発言をするのはこの南泉との回想のみ、しかも後半は「化け物」「も」「斬る(現在形or未来形)」という表現に変わります。そして「化け物退治」にしても、節分の季節イベント「都にひそみし鬼退治」でしか口にしません。本丸や戦闘で日常的に聞くボイスには含まれていない状態です。

 というわけで、長義は自分を「霊剣」とは言っておらず、『山姥切』が「霊剣」だという設定は国広側でしか確認できません。長義は自分の「山姥を斬った伝説」を「空想の物語」と捉え、霊剣そのものというよりも「国広が『化け物斬りの刀そのもの』と言っている刀」であることに重心を置いているように見えます。

 長義の実装日は10月31日、ハロウィンです。これは、長義の『山姥切』は仮装ということだったりするのではないか?

山姥切国広と山姥切長義の紋比較

ここで紋を確認します。まずは二振りの元主の紋について、両者の元主であり国広が刀帳で写しの依頼主として挙げている長尾顕長の紋は九曜巴

長義が長尾に贈られる前の主、後北条氏の紋は三つ鱗です。

刀帳95番 山姥切国広 紋

 国広の紋は、丸の中に、富士山を象ったタイプの紋に似た山紋と霞。霞もちょうど上下で山と対称的な形になっていて、山を隠す霞なのか、それとも水に写ったもうひとつの山なのかという風情があります。持ち主である長尾の紋、九曜巴に通じる部分は見当たらず、「山姥切」と「写し」のみの雰囲気です。
 
しいて言えば、作中では全く触れられない長尾のあとの持ち主と言われる渥美家(と、長らく持ち主と誤解されていた井伊家)は「丸」を使っていたようですが、よくあるデザインなのでそれとつながりがあるかは分かりません。
 国広の紋はこの「丸」自体が「鏡」の見立てではないかと言われることもあり、やはり「写し」に通じる何かにも見えます。
 とにかく国広は、(今のところ)刀帳以外では長尾はもちろん自身の来歴に関する話は一切しません。国広がするのは「山姥切」と「写し」に関する話だけです。「長義の刀」という表現すら、修行の手紙で「俺が会った人々は、俺が山姥を斬ったから、そのもとになった長義の刀が山姥切と呼ばれるようになったという。」という伝聞の中にしかないため、この人々に会うまで自分の本科が「長義の刀」だと知っていたかどうかすら分からないほどです。(手紙ではそれ以降「本科」と表現しています)その印象は紋を見ても変わりません。

刀帳158番 山姥切長義 紋

 長義の紋は、図案化された山形紋に、長尾家の九曜巴の変形のような図になっています。また、斬られたような山の右下は巴に隠れてはいますが、後北条氏の紋の三つ鱗のひとつのような形になると推測できます。九つの巴も最初の小さな三つは完全に塗りつぶされた「星」の状態ですが、この「三つ」の星と▲で三つ鱗と見ることもできるかもしれません。山をめぐって「星」から「巴」に変化する九つの丸、「後北条氏」から「長尾氏」へ、そして「山姥切」と全て盛り込まれている雰囲気があります。

 二振りとも山には斬ったような線が入っていて、これが「山姥切」を暗示しているようには見えるのですが。

刀帳21番 鬼丸国綱 紋

鬼丸国綱の、斬った線が細く、さらにズレていることで間違いなく「(鬼を)斬った」という風情の紋と比べると、山姥切達の紋の筋は「斬った」ことを暗示するものかというと違うような気もします。

「案外、どちらも山姥を斬ったりなんかしていないのかもな。」

紋を確かめてみても、刀剣男士のふたつの山姥切は、国広が手紙で言う通りどちらも斬っていなさそうな雰囲気です。

俺こそが長義が打った本歌

山姥切長義の本丸ボイス

長義が本丸で「山姥切」に触れないという話をしましたが、ならなんの話をしているのか。

「っふふ、減るものではなし」
「どうかしたかな? そんなにまじまじと見て」
「持てるものこそ、与えなくては」

山姥切長義 本丸ボイス

「どうかしたかな? そんなにまじまじと見て」は、通常入手時に「俺こそが長義が打った本歌、山姥切」に続けて言う台詞であり、「俺に似た顔に覚えでもあるのかな?」と写しの国広を意識しているように見えます。ただ同時に、何故「まじまじと」見るのか? と考えると、「あまり似てないと思ってる?」という線も捨てきれません。

そして「持てる者こそ、与えなくては」については、長義の元主である後北条氏の「禄寿応穏」という為政者の心得が由来と言われています。それが正しいかは分かりませが、放棄された聚楽第で確認された北条氏政について「これが正史でない以上、当人であるかどうかは瑣末なこと」と関心がないようなそぶりで巨大感情を隠していそうなセリフ(偏見)を言うので、可能性はありそうな気がします。

「山姥切の写し」と「本歌、山姥切」

最初に確認した通り、キャラクター設定の段階では「山姥切国広」は「霊剣『山姥切』を模したとされる」と推定されているだけです。

「俺は山姥切国広。足利城主長尾顕長の依頼で打たれた刀だ。……山姥切の写しとしてな。だが、俺は偽物なんかじゃない。国広の第一の傑作なんだ……!」

刀帳95番 山姥切国広

しかし刀帳の自己紹介では「山姥切の写しとして打たれた」という断定表現になります。また、キャラクター設定にはない「足利城主長尾顕長の依頼で打たれた刀」「国広の第一の傑作」という記述が追加されます。

俺は、山姥を斬った伝説を持つ刀、山姥切の写しであって、
山姥を斬ったのは俺じゃないと記憶している。

山姥切国広 手紙2通目

国広は修行の手紙でも、記憶では自分は「山姥切の写し」で「山姥を斬ったのは俺じゃない」と言っているので、国広(初)の自認が「山姥切の写し」なのは間違いありません。

では「山姥切長義」はというと。

「山姥切長義。備前長船の刀工、長義作の刀だ。俺こそが長義が打った本歌、山姥切。どこかの偽物くんとは、似ている似ていない以前の問題だよ」

刀帳158番 山姥切長義

こちらもキャラクター設定に追加する形で「俺こそが長義が打った本歌、山姥切」という記述が増えます。
 長義の自己紹介のうち最初に出てくるのは「長義が打った刀」だということ。これは今のところ国広側からは修行の手紙2通目以外では触れられない情報であり、長義(刀)の通称となっている銘の最初の四文字「本作長義」の意味そのままです。
 そして、国広が手紙で言う「山姥斬りの伝説」については一言も触れません。「俺こそが」に続くセリフは「本歌」で一度区切られ、その後で「山姥切」という名乗りが来ます。

 「偽物くん」に惑わされますが、刀帳で長義は自分自身を「本歌」とは言っても「本物」とは言っていません。長義は実は審神者に向かって「自分が本物」という主張をしたことはないと言えます。

 長義が唯一「本物」という言葉を使うのは国広との手合わせ特殊会話「いい機会だ。本物の太刀筋を教えてあげるよ、偽物くん」ですが、「太刀筋」は習得できるものなので、「俺が本物でお前が偽物」という台詞かというと微妙なところです。また、この「本物の太刀筋」の英語版は「what a real blade is like(本物のとはどういうものか)」となっていて、これまた「本物の霊剣」というよりは「実物の刀」という印象が強いです。つまり化け物斬りの「刀そのもの」。(英語版について詳しくはこちら

 山姥切長義とは長義の刀。俺こそが長義が打った本歌、山姥切。長義の刀帳は「長義の刀である俺こそが本歌、山姥切」という流れの自己紹介にも見えます。設定、紋、刀帳と、長義は「山姥を斬った山姥切(フィクション)」というより、「山姥切国広の本歌で山姥切と語られたこともある本作長義(リアル)」という印象が強まる一方です。

『山姥切』と「認識」されるべきは俺だ

 ときどき誤解されていますが、原作ゲームには長義が自分を山姥切と「呼べ」と言ったという表現は存在しません。これはおそらく「偽物くん」「俺こそが(中略)山姥切」などの表現、あるいは回想57『ふたつの山姥切』で国広極が「名は、俺たちの物語の一つでしかない」と言ったことから膨らんだイメージが、刀ステ『慈伝 日日の葉よ散るらむ』で長義が言った「やめてくれないかな、偽物くんを山姥切と呼ぶのは」「俺がこの本丸に来た以上、山姥切と呼ばれるのにふさわしいのは俺だ」等によって固定化されてしまった誤解です。

 また、山姥切国広が「山姥切」と呼ばれたくないと思っている(言っている)といったイメージについても、原作ゲームに直接的な表現は存在しません。国広が言っているのは「山姥退治」は俺の仕事じゃない、自分は「化け物斬りの刀そのもの」ではなく「写し」に過ぎないということだけです。 「山姥切」の写しが「山姥切」という名になるのは通常の本歌と写しの関係なら当然である以上、国広は自身の名が「山姥切」であることを否定しているわけではないと言えます。この二振りの場合、現実にその当然の関係が成立しないからややこしいわけですが。

 なら長義はゲーム中でなんと言っているのか。

俺こそが長義が打った本歌、山姥切

山姥切長義 入手及び刀帳

長義:やあ、偽物くん
国広:……写しは、偽物とは違う
長義:俺を差し置いて『山姥切』の名で、顔を売っているんだろう?
国広:……そんなことは
長義:でもそれは、仕方がないか。だって、ここには俺が居なかったんだから
国広:……それは
長義:俺が居る以上、『山姥切』と認識されるべきは俺だ。そのことを教えてあげようと思っただけだよ

回想其の56『ふたつの山姥切』

長義は名乗りや刀帳では「山姥切」をストレートに名乗りますが、回想では『山姥切』と二重鍵かっこをつけています。この『山姥切』という表現は、その他の文章では国広のキャラクター設定文「霊剣『山姥切』を模して造られたとされる打刀」にしか出てきません。

この二重鍵かっこつき『山姥切』の表現に意味があるとすれば、

「俺を差し置いて『山姥切』の名で顔を売っている」
→国広が長義よりも先に顕現して、霊剣『山姥切』を模した刀として「山姥切の写しの山姥切国広」を名乗っている(そのせいで「偽物」と呼べるような状態になっている)

とあてこすった上で、それは「ここには俺がいなかったから仕方がない」として

「俺が居る以上、『山姥切』と認識されるべきは俺だ」
→ここに山姥切国広の本歌である俺が居る以上、お前が模したとされる刀の『山姥切』と認識されるべきは俺だ

と言っていると考えられます。

 つまり、長義は写しである国広が本歌の自分よりも先に顕現したことで、国広が模したという『山姥切』が必然的に自分を指すことになったから、自分こそが『山姥切』だと認識されるために、顕現や刀帳で「山姥切」を名乗り、化け物斬りの刀としてふるまい、国広を本人が気にしている「(霊剣『山姥切』の)偽物」と呼んでいる、という線があるわけです。

 長義は山姥切伝説が自分と国広の両方にあることや、自分の伝説は国広の伝説から派生したものと言われているのも知った上で、「自分はあくまで山姥切国広(刀)の本歌なのだから、伝説の真相が何であれ、俺がいる以上お前が模したという『山姥切』と認識されるべきは俺だ」と言いたいのではないか?

他の刀の回想から見る刀剣男士の性質

長義が「国広が模した刀」とわざわざ「認識」される必要などあるのか? それがありそうに感じられる回想がいくつかあります。

元となった逸話に繋がりがないと昔話ができない

まずは特命調査文久土佐藩の3振りによる回想『由来は近く、心も近く』から。

南海太郎朝尊:なるほど。やはり君たちは、元の主の逸話を元にした顕現……と
陸奥守吉行:南海先生、わしらの話は役に立っちゅうか?
南海太郎朝尊:うん。顕現傾向を調べるのに助かっているよ
(中略)
陸奥守吉行:しっかし、わしと肥前のと南海先生で昔話でもできるかと思っちょったがなあ
肥前忠広:願い下げだ。昔話なんぞしてもつまんねえだろが……
南海太郎朝尊:それは残念だったね。僕は元の主ではなく、刀工の逸話が元になっている
(後略)

回想其の66『由来は近く、心も近く』より 

陸奥守は坂本龍馬、肥前は岡田以蔵という元主の逸話を元にしているのに対し、南海は元主の武市半平太ではなく、自らを打った刀工・南海太郎朝尊の逸話を元にしているため、龍馬や以蔵と縁のある武市にまつわる昔話が二人とできないという回想です。(その割に文久土佐藩で南海と出会うのは武市半平太の切腹した場所付近とも言われ、ついさっきまで武市になりかわっていたのでは? という説もあったりしますが)
 この回想からは、刀自体に縁があったとしても、刀剣男士の元となる逸話に縁がなければ過去について共通認識を持てないという設定が分かります。何故この刀たちに回想がないのだろう? という男士たちについては、元となった逸話に繋がりが無い(逸話の出典が違う)からという可能性があるわけです。
 実在しない刀である今剣や岩融、複数の刀の集合体である巴形や静形に顕著な通り、刀剣男士は刀剣そのものではなく「逸話」や「イメージ」、つまり「その刀剣についての情報」が核だという設定が強調されています。(その他、手紙で集合体要素を明言している男士に同田貫正国、集合体ではないかと言われている男士に加州清光などがいます。個人的には国広(初)も「写し」の集合体の側面があったのではないかと思います)
 また同時に、男士たち自身も自分達を形作るものがなんなのか等、全てを知っているわけではないという回想でもあります。(南海先生、なんでそれ調べてるんですか? 好奇心だけじゃないですよね?)

刀剣男士同士の認識の相違

「逸話に繋がりがないと共通認識が持てない」という設定が分かりやすく表れているのが、八丁念仏と泛塵の回想『夏塵』です。どちらも入手難度高めで(特に八丁念仏)見たことがない方も多いと思いますが引用します。

泛塵:八丁念仏は、雑賀の出と聞いた
八丁念仏:まあそうだけど。そっちも紀州ゆかりっ?
泛塵:時代としては少し後だが、山のほうに縁がある。雑賀衆の話は有名だ

八丁念仏:そりゃあ、知ってくれてるのは嬉しいけど。……眼差しがやたら眩しいような
泛塵:その……あの……、……のか?
八丁念仏:これは、もしや……
泛塵:……うっ、馬の上で鉄砲は撃てるのかっ!? 雑賀の鈴木孫市は、どんな場所からでも鉄砲を撃てたのだろう!?
八丁念仏:わ、びっくりした! え~っと……、君が多分思い描いているのは伝説化したキラキラ雑賀で、俺の確かな主は~……
(後略)

回想其の126『夏塵』より

この回想では、泛塵が知る雑賀の逸話が、八丁念仏を形作る雑賀の逸話よりも華々しく脚色されていることが分かります。正直、私としては「伝説化したキラキラ雑賀」という表現に「霊剣『山姥切』は伝説化したキラキラ長義……?」という連想をせざるを得ません。このあとも泛塵の信じる雑賀を否定するのが忍びないのか「撃てる」と発言する八丁念仏、伯仲は国広が信じる霊剣『山姥切』をノリノリで演じる長義ってことでいいですか。

刀剣男士の軸と姿

国広と長義は写しと本歌という関係によって同じ「山姥切」の名と伝説を持つに至った間柄(ただし普通の本歌写しとは逆)ですが、逆に名が似ているために逸話が混同されたことがある二振りに抜丸(別名:こがらし)と小烏丸がいます。これまた抜丸の入手難度が高いですが、その二振りの回想『こがらすとこがらし』から。

小烏丸:ほう、おまえは……
抜丸:ええ、ええ。源氏に落ち延び、この世から消えた伊勢平氏相伝の太刀、抜丸にございますれば
小烏丸:然り。しかし、その姿は……まさに禿のようではないか
抜丸:それを申されるならば、あなたは随分と……

小烏丸:これこれ、あまり見つめると目がつぶれるぞ
抜丸:されど、そのかたち……。後の世で日本刀が生まれ出づる時代の剣と崇められたそのかたち。それが、あなたの軸か……
小烏丸:少々やり口が粗野ではあるが……さればこそ、こうしておまえと向き合い、ここに在れるとも言える。他の子らのように父として見守もろうぞ
抜丸:いやですよ
小烏丸:ほほ……、……ほ?
抜丸:だから、いやです。禿とて神からこの世に与えられし剣。禿とならず別の姿もあったのではないかと思いましたもので
抜丸:それ故、父でも兄でもなく……、我はあなたを小烏丸と呼びましょう
小烏丸:……はは、ははは! さよう、姿など在り様ひとつでいか様にも変わりゆくもの。まさに、諸行無常よな
抜丸:ふふ。それに、父上はひとりでけっこうです
小烏丸:ふむ……、まあそれもよい。では、じっちゃんではどうだ?

回想其の119『こがらすとこがらし』

これは、小烏丸は「日本刀の祖となった形を持つ刀(=日本刀の父)」という、自分がそうだと言い張るにはやや無理のある逸話を軸に顕現しているという回想と考えられます。(2023.9.14追記:「やり口が粗野」をこう解釈していましたが、どちらかというと巴形達のように「刀の形状」を軸にしていることを指している気もしてきました)
 さらに二振りの「平家の刀」という逸話には混同があるため、小烏丸があえてそれを軸にしなかったからこそ別々の男士として向き合えるという話をしています。似たような回想に源清磨と長曽祢虎徹の回想『名を分かつ』がありますが、「名」だけでなく「軸となる逸話」も分かれていないと別々の存在になれないと言える回想です。伯仲の場合、山姥切伝説を軸に使えるのは片方だけの可能性を感じます。
 また、抜丸は小烏丸が平家の禿の姿をしている=平家の逸話とも無関係ではないことを突っ込んでいたり、自分にも別の姿もあったのではと発言するなど、軸以外の逸話にも影響を受けること、同じ刀剣でもどの逸話を軸にするかによって姿が変わる可能性を示唆しています。

 この三つの回想を踏まえると、国広と長義は元となる逸話が繋がっていない「昔話ができない関係」であり、国広が自分の本科を『山姥切』としてしか知らないために、長義はあえて「山姥切」を名乗ることで写しと接点を持とうとしているのではないか?

 国広と長義は、それぞれ自分のことを「写し」「本歌」とは言っても、自分を「お前の写し」「お前の本歌」あるいは相手を「俺の本科」「俺の写し」と言ったことはありません。長義が「本歌」を使い、国広が「本科」を使うのも、軸となる逸話(出典)が違うからで説明がつきます。刀帳の「どこかの偽物くんとは、似ている似ていない以前の問題だよ」というのも、「あの国広は厳密には俺の写しとは言えないから、似ている似ていないをどうこう言う関係ではないよ」ということなのではないか?

 回想56で戸惑う国広(初)に長義が「『山姥切』と認識されるべきは俺だ」と意味深に言い残して去ってしまうのも、修行前の国広には長義が言っていることの意味が完全には理解できないからと考えると納得しやすいです。
 その場合、刀剣男士の自分達が直接本歌写しとして繋がっているわけではないと言えること、あるいは「本歌のことをよく知らない写し」というだけでも、長義が国広を「偽物くん」と呼ぶには足るような気もします。国広にしてみれば、そう形作られたんだから仕方ないだろというところではありますが。

俺達が何によって形作られたのか

 何をオチにすればいいか分からなくなったのでここから更に独自解釈度が上がります。ご了承ください。

極めた写しは長義の写し

 刀剣男士の二人は逸話が繋がってないのでは? とは言いましたが、なら二人を本歌と写しと考えてはいけないのかと言うと、私はそうは思いません。山姥切国広極は、初のときに比べると山姥切長義に似ている度が間違いなく上がっています。

詳しくは上記記事で。(一年前の記事なので若干解釈が変わっていますがまとめなおすのは大変すぎるのでご勘弁ください)

 初では「山姥切の写し」である「山姥切国広」は実態が「本作長義」であろう「山姥切長義」とは逸話上の繋がりがなかったものの、修行によって山姥切伝説の全貌を知ったことで、山姥切国広極は「長義の刀の写し」という面を獲得していると考えられます。その上で、独り立ちしているからこそ普段は「写し」の面を表に出していない。あるいは形作る物語が「山姥切の写し」であることは変更できず、「長義の写し」であろうとすれば「山姥切の写し」を隠すしかなかったという可能性もあります。
 これが「形作る物語が何だろうが山姥切国広は長義の写しだが????」という態度だった場合、「形作る物語が何だろうが俺は山姥切国広の本歌だが????」というノリで「山姥切」を名乗っているだろう本歌にそっくりで大変健康にいいです。

長義の銘と特命調査聚楽第

 長義は入手時も必ず「長義が打った」と言うこと、そして紋から後北条から長尾へという歴史が読み取れるため、軸はそうした経歴を証明する「銘(本作長義以下58字略)」ではないかと思います。巴形薙刀などが「銘も逸話もないが」と言っているので、「銘」も軸になり得るはずです。
 そして、今のところゲーム中で銘を出さない(あるいは出せない)原因の一つが、放棄された世界「聚楽第」の歴史が修正されていないことではないかと思います。

特命調査聚楽第は、他の調査に比べ違うところがいくつかあります。

  • 特定の歴史人物を匂わせる一周目限定のラスボスがおらず、最初から固定

  • 歴史改変が修正されたという表現がない

  • 監査官が評定時に「状況終了」という言葉を使う。これは「実戦」ではなく「演習」の終わりを指す

  • 回想タイトルが初期刀が初か極かで変わる(他の特命調査は初と極で内容が違ってもタイトルは共通。国広と長義は通常回想『ふたつの山姥切』がこの仕様)

  • 調査タイトルに元号(本来なら「天正」)がない

特に最後について、もしも歴史改変のせいで「天正」という元号が失われていて、その歴史が元に戻っていない場合、銘の中に「天正」という元号がはっきり刻まれている長義にとっては致命傷と言えます。
 この元号は山姥切国広の銘にも刻まれていますが、だからこそ国広は来歴に関わる逸話ではなく、フィクションに近い「山姥切の写し」という逸話を軸に顕現しているとも考えられます。
 そして長義が「本作長義」ではなく「山姥切長義」なのも、聚楽第の歴史改変のせいで完全な姿になれないから、あるいは逆に聚楽第の歴史改変のせいで写しが打たれず山姥切国広の存在が危ういので、国広の逸話を補強するために山姥切を名乗っている、もしくは歴史改変の影響は受けやすいが切り札にもなる銘を隠しておく必要があるなど、色々と夢は膨らみますが何もわかりません。霊剣『山姥切』=長義ということにしておかないと、第三の『山姥切』が化け物として顕現してしまうから説とかもあります。

メディアミックスで聚楽第の詳細が描写されないのも、聚楽第はまだ改変を修正する本番が控えてるからなんじゃないか? とも言われています。ちまたで勝手に「天正小田原」と呼ばれたりする聚楽第本番(仮)ですが、個人的にはこれがないと長義極は無理なんじゃないかと思っています。

もっと大切なことがあるのだと思う

二振りの軸をそれぞれ「山姥切の写し」と「本作長義」だと仮定すると、『ふたつの山姥切』という回想はどちらも長義が写しの国広にはじめましての挨拶がしたかっただけと考えられますが、その場合国広極との回想はどう転んでも大事故です。

長義:やあ、偽物くん
国広:……写しは、偽物とは違う
長義:俺を差し置いて『山姥切』の名で、顔を売っているんだろう?
国広:……名は、俺たちの物語のひとつでしかない
長義:……なに?
国広:俺たちが何によって形作られたのか。それを知ることで強くもなれる。けれど、もっと大切なことがあるのだと思う……
長義:……なにを偉そうに語ってるんだよ
国広:お前とこうして向き合うことで、またひとつわかった気がしたんだ……

長義:俺が居る以上、『山姥切』と認識されるべきは俺だ! お前が御託を並べようと、それは変わらない
国広:そうかもしれない。……すまんな、俺もまだ考えている。
……こうして戦いながら
国広:……また話をしよう
長義:…………
長義:……くそっ……くそっくそっくそっ! なんなんだよ!

回想其の57『ふたつの山姥切』

「俺たちが何によって形作られたのか」より「もっと大切なこと」というのは、「山姥切の写し」として形作られた国広にとっては「自分(の本体)が長義の刀の写しだということ」ではないのか? 国広極が長義の認識をどう思っていると思ったのかが分からないので私の中で大きく2パターンの解釈があるのですが

  • 初の自分と同じ認識だと思った場合
    伝説の真相を知ったら「自分が山姥切だと思ってたのに違った……」と落ち込むんじゃないかと心配になったので「お前が山姥切じゃなくても俺はお前の写しだし……」と予防線を張ったら、別にそんなことはない長義に馬鹿にするなと怒られたが、怒られた理由も長義を山姥切だと認めなかったせいだと誤解している

  • 自認も本作長義なのにあえて山姥切をしていると思った場合
    長船スーツを山姥切布で覆う姿を手紙の「本科の存在感を食ってしまったようなものだ」が実現してしまった姿だと感じたので、「俺のせいで山姥切なんて名乗らせてすまん、お前はもっとお前らしい姿をしてもいいんじゃないか」と婉曲に言ったら気合入れて山姥切しようと思ってる長義(あるいはお前もちゃんと山姥切をやれと思っている長義)を怒らせたので一時撤退した

言い方があまり素直じゃないのも「偽物くん」呼びで普通に嫌われてると思ったからで説明がつくので全然あり得ると思っています。対して長義の動揺にも本歌写しの関係を拒絶されたと思ったからが何割かは入っているように感じてなりません。一生やってろ。

霊剣『山姥切』とはなんだったのか

 国広が模したという霊剣『山姥切』が、直接「刀剣男士・山姥切長義」ではないことは確かだと思います。それは泛塵が信じている「キラキラした雑賀の伝説」であり、あるいは虚構の刀である今剣が信じていた「自分」と言えるかもしれません。
 今剣は言いました。

「ぼくは、ほんとうはそんざいしないかたなだったんですね。でも、そんなぼくがいられるばしょがひとつだけありました。あるじさまのところです。」(手紙3通目)
「ぼくは、ほんとうのれきしにはいない。……すこしだけかなしいですが、これも、ぼくのれきしですよね。」(極刀帳)

 「本当の歴史にはいなかった」ということも「僕の歴史」。そんな今剣の居場所が審神者のいる本丸にはある。

 山姥切国広を形作った「山姥切の写し」という物語。長義が山姥切だというのは勘違いだったかもしれませんが、長義が山姥切と呼ばれた過去は嘘ではありません。それはあくまで、「そう語られたこともある」という山姥切国広と本作長義の歴史です。だからこそ「歴史を守る」とはどういうことなのか、国広極は考え続けているのだろうと思います。

 個人的には「化け物斬りの刀そのもの」の山姥切長義(刀フォーム)を振るう山姥切国広で合体技☆ハイパーアルティメット山姥切が見たいですよろしくお願いします!!!

おまけ:他にも気になってること

ただでさえ長いから本文から省いたけど諦めきれなかった話です

信濃藤四郎の手紙

「名の由来になった人と縁が切れていて気づいてもらえない」という話をしています。長義も「山姥切」の名と伝説を付与した人(おそらく国広は修行で会っている)と縁が切れていて認識されない可能性を感じます。また、国広が修行で刀工国広と接触しなかったのは昭和の研究で形作られたせいで刀工国広と縁が切れているからかもしれないと思います。むしろ大事な銘を入れられた長義の方が縁が強そう。

大千鳥十文字槍と泛塵&回想其の101『同類異形』

大千鳥十文字槍は、設定文的には「形状の集合体」で作られた男士が「真田左衛門佐信繁の愛槍を(無理やり)名乗っている」状態のようです。だから巴形薙刀から「似たようなの」と言われ、静形から「せいぜい逸話を食われないように」と言われている。
泛塵は銘に真田左衛門が帯びたと刻まれている刀ですが、ボイスは来歴とは関係ない名前ネタが多いです。しかし、大千鳥十文字槍との内番では常に真田の話をしているので、大千鳥の「真田の槍」という逸話を補強しているように見えます。あと泛塵は堀川国広に磨り上げられています。

色々と伯仲を彷彿とさせる点が多くて気になる二振りです。
あと同類異形の「逸話を食われる」云々も気になります。伯仲も何か食われてない??

更新記録
2023.8.22 「霊力」を気にする山姥切国広 加筆
2023.8.26 予備知識 soubiさんの記事へのリンクを追加
2023.9.14 刀剣男士の軸と姿 追記
2023.10.18 序文追記、霊剣『山姥切』=山姥切長義なのか? 追記
2023.12.10 元となった逸話に繋がりがないと昔話ができない 集合体(元となった「刀」が複数ある)男士の例に和泉守を挙げていましたが、和泉守の手紙は元となった「逸話」が複数あるという意味の可能性もあると判断したので消しました。失礼しました。
2024.4.1 予備知識に「本科」「本歌」の表記についての言及を追加
2024.9.5 予備知識から「伯仲の出来」についての記述を誤りの可能性があるため削除。