「江水散花雪」感想 ミュんば先輩が好きすぎる
こちらは江水についてのネタバレしかない記事です。それ以外のステ・ミュはそもそも履修していないのでネタバレはありません。
(2022/7/27:「ふせったー以下略」「まとめ」の項をちょっとだけ加筆修正しました)
(2022/8/4:追記を追加)
(2024/3/11:追記一部打消し線で撤回)
私は刀ステも刀ミュも未履修のてんご初心者です。原作ゲーム刀剣乱舞の山姥切国広(特に極のほう)がものすごく好きなんですが、どっちかというと「俺を写しと侮ったこと後悔させてやる」「俺は俺だ」という意地や根性が特に好きなので、なかなかどストライクな山姥切国広に会えることが実は少なくて(かわいい系も別腹でおいしくは頂くのですが)。そんな中、「刀ミュの山姥切国広はガラスハート」みたいな噂を聞き、「闇堕ちも大好きだから興味あるけどそんな儚いのか?」と思っていたのですが、様々な事情でステやミュを履修したくなったため、単品でいけると聞いて「江水散花雪(初演の配信)」を見ることにしました。その結果「むしろ今までで一番好きな自由すぎる山姥切国広なんだが!?!?」となってしまい、ミュんば先輩ことミュージカルの山姥切国広についてひたすらに語りたいので語りたいと思います。
刀ミュのストーリーは「江水散花雪」しか分からないので、過去作見てれば分かることとか何か間違ってたらすみません。また、普段はW山姥切を「国広」「長義」で呼び分けていますが、この記事では作中に準じて「山姥切」「長義」と呼びます。
また、感想の中でよく「自由」と言いますが、私が言う「自由」は「自分の頭で考えて自分の心で感じて自分の意志で選択している」みたいな意味なので一般的なニュアンスとはおそらく異なります。「自らを由(よし:理由)とする」と書いて「自由」です。
初回視聴時の感想
「これで俺も、ようやくお前のもとに行ける……」
山姥切が初期刀だったのかどうかは結局どっちなんだ…!? という疑問を軽く吹き飛ばすセリフでした。追いかけて会いたいほど折れた刀のこと好きだったの!?!? 大包平に「隊長について必要なものは仲間を全員無事に本丸へ連れて帰ること」とか言いながらそれを躊躇わず達成できなくさせるほど!?!?
この後半部分がミュんば先輩を「マジで自由だな」と思った最初の理由です。大包平がキレるはずだよ。「全員無事に帰すのが隊長の役割と言ったのは、貴様だろうが!!」って言いながら連れ帰りに来てくれる大包平は本当にいい奴だし期待の新人。一周回って「早いところ俺なんか越えてしまえ」と期待されるのも仕方ないですね。
山姥切の後追いを望むようなセリフ、色んな見方があるとは思います。けれど大包平達の迎えを拒むでもなく「すまんな、お前に会えるのはもう少し先になりそうだ」と笑う山姥切は、「後追い」がしたいわけじゃなく、ただ純粋に「大切な仲間にまた会いたい」だけなんじゃないかな、そう感じました。
なんならそのあと「そばをおごれ」と言われて普通に嫌がるところも本当に自由だなと思いました。あれだけ沈黙貫いて好き勝手しまくったんだからそこはおごればいいだろ。少しは気を遣ってもいいだろ。
だけど、そこで簡単におごらないからこそ、山姥切は生きる気があるんだと確信できる。生きるためならお金は大事。お金を未来で使うつもりがある。
生と死の境界線がぼやけている危うさはあるけど、生きるつもりも気力もある。それがミュんば先輩の第一印象です。
ミュんば先輩は初期刀なのか?
これ以降の話題に関わるので先にこの解釈に触れます。
ちょっと迷ったんですが、多分初期刀なのは折れた刀なんだろうと思います。山姥切が隊長をしているときに、初期刀が折れた。そして、山姥切は折れた初期刀の代わりに、初期刀がするはずだった役目を果たしている。これが私の解釈です。
自分のせいで失われた彼の代わりを果たさなくてはいけない、これもミュんば先輩を現世に繋ぎとめる楔なんだと思います。
この本丸の長義は絶対振り回されて苦労してる
「できれば長義がいいんだが、まあ、あいつのほうが嫌がるか」
これでも山姥切国広の人間関係の中では伯仲が一番好きなのですが、初回は最初に書いた部分が面白すぎてすっかり忘れてしまったセリフでした。
任務への適性も理由かもしれませんが、それを差し引いてもミュんば先輩が長義を気に入っているのは間違いないこのセリフ。何故そこまで気に入っているんだ?!
これはもう100%幻覚だということは前置きしますが、私の見解としては、折れた刀のことを引きずって「たかが写し」と自虐する山姥切にとって、偽物くんと揶揄してくる長義は自分の認識を肯定してくれる完全なる癒しなのではないかと思います。
山姥切の「写しの俺なんか」という言葉は、本来は「霊剣『山姥切』」に対するコンプレックスのはずだったのに、よそでトラウマ作った結果「隊長も満足に務められなかった写しの俺なんか」「初期刀みたいなことしたって俺は初期刀じゃない」と意味が塗り替わってしまっているのではないか?
傷を抱え頑なになっている山姥切は、きっと皆が「お前は悪くない」と言ったところで受け入れられない。和泉守が大包平に「山姥切を探してきてくれ」と言ったのも、一人になろうとする山姥切に、事情を知る自分ではかえって踏み込めないから、新人で隊長の大包平に山姥切のことを託したように見えます。
周囲がそんな風に何も言えずに見守っている中で、全然別方向から「本当にお前は駄目だな」と言ってくれる長義。これは間違いなく癒し、癒しです。だいぶ退廃的な癒しですが。
ミュんば先輩は大包平に「俺のようになるな」と言っているので、過去に囚われた自分の現状がよくないという自覚はおそらくある。そういう意味でも、長義の「偽物くん」その他はミュんば先輩には子守歌みたいなものなのではないかと思います。ダメな俺を叱ってくれる優しい本科くらいにしか感じてないのでは?
長義が山姥切に対してどんな感情を持っているかは分かりませんが、そりゃ嫌がられるだろうなという気だけはひしひしとします。
「まあ、あいつの方が嫌がるか」
重ね重ね、自由だな!!!!
ふせったーにしようとしてやめた内容なのでノリが突然変わります(これをnoteにしたくなってこの記事を書き始めました)
ミュんば先輩、「隊長を語る資格はない」その他の言葉に後悔を滲ませまくってはいるけど、だからこそ繰り返さないために現世にまだやることがあるとは認識してるし、「やるべきときに」つまり自分が散ってでも仲間を守るべき場面と思えば躊躇うつもりはなくても、「どいつもこいつも」と自分を現世に繋ぎとめる仲間がいることを嫌がってはなさそうなとこが最高なんですよ。
あんな思いはもうしたくないから、強くあることも後輩を強くすることも手は抜かないくせに、大包平に「いい隊長になれよ」とかいう一言さえ残せば自分と同じ経験をさせてもいいと思ってるところがもうめちゃめちゃに身勝手だしそれにキレてちゃんと言われた通り迎えに来る大包平はしかし期待されるだけのことはあって言葉にできない。
彼岸は渡り切ってしまえば此岸みたいなノリで、ミュんば先輩は「あの世とこの世に大した違いはない」と思ってるイメージなんですよね。向こうに行けばあいつに会える、早く会いたいんだけどな、という気持ちがある。でも一度渡ると帰れないことだって当然知ってる。今いる仲間が先に向こうに行くような経験は二度としたくない。でもそれが嫌なら、一番簡単な解決法は自分が先に行くこと。二度とあんな思いをしないための一番簡単な方法を封印しながら、二番目のしんどい方法をやり続けてる。
それができるのは「彼が果たしたはずの役目」があるからなのかなと思います。彼岸にいった初期刀の「お前」を此岸で写している。失われた歴史の浮世絵描いたのも似たような感じかもしれない。失われた面影を写すことがせめてもの弔い。
……とか考えると浮世絵まき散らしたのは「でもどうせ写しなんか/俺もいつかはお前のように」って感じがあってヤバイんですよ!!!! 意味が重い!! あれ「散花雪」にもかかってる演出だと思いますが本当に最高ですね……。
そんな風に思ってるから、大包平を生還させるために、きっと自分がされたのと同じように叩き出しちゃうけど、大包平は隊長として山姥切を迎えにくる。
写しは偽物じゃないってお前いつも言ってるだろ!! お前がお前として皆に必要とされてるんだ! ……それがどんなに痛くても。
そんなことを思います。「俺は俺だ」ミュんば先輩は、それが痛いんだと思う。自分は自分でしかない。どんなに代わりをしようとも、失われたものが戻らないことが痛い。
彼と同じことはできなかった。それは大包平に阻止されてしまった。だからここからの山姥切国広は、折れた初期刀というレールを失って、変わっていくのかもしれない。
まとめ
そんなわけで、ミュージカルの山姥切国広は超絶自由で大好きです。自由だからこそあんなこともしてしまう。キレてくれる大包平はちょういいやつ。
でも山姥切も、仲間のことをものすごく大事に思ってる。今いる仲間もいなくなった仲間も同じくらい大事だからこそ、折れた刀を忘れたくなくて傷が消せない。そういう感じなんじゃないかと思います。「お前は性格が暗い!!」見事すぎる一言。多分長義もそういうところに呆れつつ不本意ながら面倒見てるんじゃないでしょうか。
山姥切国広が「あの時と同じ展開」を阻止した大包平達と、未来に進んでいけることを期待します。
江水散花雪、本当に面白かったです。続編があるなら、絶対見ます……。
追記:次の日のふせったーとか呟き
ふせった
ミュんば先輩、めちゃくちゃ自由で人の言うことろくに聞かないで周囲を振り回しまくってるのに仲間への巨大感情はものすごく大きい感じ。自分のせいで一人欠けた、そのたった一人欠けたがためにこの世に現実感がない、それもまた巨大感情故
生きた気がしねえ〜♫
自分が審神者にも仲間にも大切にされてることを分かってる。だけど、折れたあいつを忘れられない、忘れたくない、なかったことにできない。欠けた世界に満足できない
満足できないのに、その欠けた世界にお前は生きてると引き止められる。どいつもこいつも、もういいよとは許してくれない。それが苦しくて、どうしようもなくいとおしい
愛……
生きた気がしねえ、それでもやっぱり生きているんだ
呟き
こころのなかでいっぽうつうこうの愛を抱えるのが得意すぎるやまんばぎりくにひろ 少しは言動に表したまえ
みゅんば先輩に関しては、周りの現実が自分の目の前に置かれた箱庭とかスノードームみたいで、それを外から守ろうとすることはできても中に入れないみたいな感じなんだろうな~と思う
世界への参加の仕方を忘れてしまった
手を伸ばされるたびに、自分がその世界の中にいることを思い出す
傍目から見てる分には「こいつ仲間のこと大好きなんだな…」としか見えなかったりはする。それこそラストシーンとか。
にしても気を遣わなさすぎなんだ それが「世界への参加の仕方を忘れた」ってことなんだけど 伸ばされた手は取れるけど 手の伸ばし方が思い出せない
単に怖いのかもしれないけどな。
人の話を聞かないというか、正確には「人の話は聞いてるけど咀嚼して飲み込んで消化して答えを出すまでめちゃくちゃ時間がかかる」んだよな山姥切国広
その代わりそこに手は抜かないので昇華したものはものすごく強くて綺麗
そんなイメージ
追記:ひょっとして彼、長義くんに後釜任せたかった?
7/28 伏せった
ミュんば先輩、ひょっとしたら泣いたことないかもなーとふと思った
絶命の声が産声に似ている、あの世とこの世の違いがわからない感じは、折れた刀にちゃんと「さよなら」が言えてないからかもなと
泣いてさようならを言うことが必要なのかもしれないという話
単に「推しに泣いてほしい」という欲望も混ざった解釈ですはい。
8/1 伏せった
ミュんば先輩が長義に割とえげつねえ甘え方してそうなんだよな…初期刀代役をあとはよろしくしてあの世にトンズラする気だったんじゃないのか…本歌を写しの代わりにする気!?&お前がいなくなって俺がなんとも思わないとでも!?で草も生えない
「折れた初期刀の代わりをしてた説」が当たってたらなんですけど…
この役を放り出すわけにもいかないしな、と思ってたら長義くん来たら「俺なんかよりよっぽどしっかりやってくれる!!」とか言い出すでしょあの写し。
(追伸:花暦第十話『金木犀』聞いてこのへんは完全に撤回しました。あの健気さ何?????)
少なくとも審神者は絶対山姥切がいざとなったら自分がしんがりで身を挺す気なの気づいてたから長義くんつけなかったし和泉守送り込んだでしょ。和泉守が「たまたまタイミングが良かっただけで、これが俺じゃなくてもかけつけただろう」っていうのは、「折れた刀」の話知ってる仲間は、みんな山姥切がそういうことしそうなの分かってて心配してるってことでしょ。ゆうて山姥切もそういう気持ちは分かってそうなのがなんともいえねえ。だからギリギリ「仕方ない」と言えるシチュエーション狙ってるんでしょ。言葉にできない。(追伸:やらかした自覚あるみたいなんで、このへんも撤回しときます。別に積極的に狙ってはなさそう。どっちかというとあの行動が気の迷い。)
ミュんば先輩は「死にたい(この世を去りたい)」じゃなくて「死ぬことに抵抗がない(あの世に行きたい)」=「折れた刀にまた会いたい」なんだと思ってる。
あの世とこの世の仲間を両方とも大事に思うからこそ、死生観がフラットになっちゃってこの世への執着がない。そのせいで本人は死ぬことがなんとも思えなくて、周りがすごい振り回されちゃう。
そんなヤベーミュんば先輩が大好きだよ…折れた刀にいつかちゃんとさよなら言いなね…。(彼がこの世に軸足付けるために必要なのは「折れた刀へのちゃんとしたお別れ」なんじゃないかと今は思っている)