【刀剣乱舞サプリメント?】「偽物」の謎~山姥切の逸話を狙う鬼~
白山吉光「政府は我々を見ています」
刀剣乱舞ONLINEとは世界観やキャラ設定が掲載されたルールブックであり、Twitterなどのファンダムの言説をもとに運営がルールや設定を追加・修正するTRPGのようなゲームだという噂があります。そのため、メインシナリオやサプリメントのようなギミックがいくつか仕込まれていると。これはそのひとつかもしれない仮説の話です。都市伝説的な感じでお読みください。
その前に、まずあまり一般的でない解釈として、私は「山姥切長義」は「山姥を斬った本物の山姥切」ではなく、「本作長義」が「山姥切国広の本歌」をやるために「山姥切」を演じているという解釈をしています。これを前提に話を勧めます。
詳しく知りたい方は以下の記事で(この記事とは若干解釈が違います)
また、以下のWikiより引用したボイスや回想のネタバレが大量にあります。よろしくお願いします。
審神者を斬れる「山姥切」
考察界隈では「山姥切」にまつわる不穏な噂があります。
「山姥切国広」が「山姥切」として闇落ちすると審神者を斬ってしまうという考察です。
「山姥切国広」の修行前のモチーフのひとつは金太郎と言われています。これは刀工・堀川国広の幼名が金太郎であることが由来です。おとぎ話の金太郎の母は山姥と言われるため、山姥切国広には「山姥の息子」という属性があることになる。だから国広にとっての「山姥切」は親殺しにつながるため、「親」と見なせる刀工国広、本歌の長義、そして刀剣男士を人として顕現させる審神者にとって危険な存在になってしまう。そのどれと繋がるかはともかく、唯一「一周目のみのラスボス」がいなかった特命調査・聚楽第の本来のボスは、この「闇落ちした山姥切国広」であると言われています。
何故「山姥切国広」が、現在では号の由来として間違った説という見解が主流の「山姥切の写し」なのか。これは実装当時はまだ「山姥切」の号が本歌のものという認識も優勢だったことも理由にありそうですが、もう一つは金太郎要素を持つ国広が「山姥切」だった場合、審神者にとって危険な存在になってしまうという理由から、山姥斬り伝説を持っていない必要があった可能性がある。
だからこそ国広はこう主張します。
「山姥退治なんて、俺の仕事じゃない」
これは「俺は審神者を斬るような刀じゃない」とも取れる。
山姥切国広の闇落ちの姿「酒呑童子」
国広の闇落ちモデルと考えられるものに「酒呑童子」があります。
戸隠山は長義の山姥切伝説がある土地です。その申し子、つまりIF金太郎とも呼べる存在が美貌が原因でもらった恋文を焼き捨てたために成ってしまった鬼が「酒呑童子」
「綺麗とか、言うな」
このセリフは自身の闇落ちを恐れてもいるのではないか?
しかし同時に、この酒呑童子を討ち取ったメンバーには、金太郎が成長した姿である坂田金時がいます。山姥切国広極のデザインモチーフは、この坂田金時と言われています。また、それを率いていたのは源頼光であり、この頼光の刀が「童子切」です。おそらく童子切は、酒呑童子を斬るために現れる……かもしれない。
豆まきといい抜丸といい、本丸では「鬼」に対する警戒網が敷かれている。その「鬼」の候補が酒呑童子です。しかしどうも、国広の闇落ちだけを警戒すればいいわけではないようなのです。
刀剣男士に紛れる「偽物」
山姥切国広の口癖、「俺は偽物なんかじゃない」。写しを「本歌の偽物」と勘違いするな、という意味に見えますし、実際それもあるでしょう。しかし、「偽物」と思われるのを警戒している刀剣男士は国広だけではありません。
まず以下に山姥切国広以外に自分に関して「本物」または「偽物」という言葉を使う男士を、wikiで私が見つけた限りの例を載せます。見落としがあったらご容赦ください。
ありふれた単語の割に、案外使用者が少ないです。特にもっと「本物」を主張していそうな長義でさえ、手合わせ会話以外では「本物」という単語は使いません。国広を「偽物くん」と呼ぶだけです。
「偽物」に関して、気になる回想があります。
厚藤四郎と五虎退の回想「藤四郎だらけなのは」
偽物だったらどうしようと泣きそうになった五虎退に、厚が偽物と決まったわけではないと言いますが、刀剣としての五虎退には偽物かもしれないという話はありません。むしろ厚のほうが偽物扱いされたことがあるくらいです。
なら何故五虎退が「偽物かもしれない」を恐れなければいけないのか。
五虎退は、粟田口の短刀ですが「藤四郎」という名を持ちません。また、「五匹の虎を退けた」という逸話にちなんだ名に反して、五匹の虎を連れています。
名に反した様子についてツッコミをされる覚悟をしている。さっき例に出した小狐丸も、顕現時「大きいけれど小狐丸」という名に反した姿ゆえに「偽物ではない」と主張している。
ところで「写し」は本来どうあるべきなのでしょうか。
「ソハヤノツルキ ウツスナリ」を名乗り、それが自身を示す言葉だと言うソハヤの実装名は「ソハヤノツルキ」です。つまりソハヤは、本歌そのものの名で登録されている。
もしソハヤのほうが写しとして正しい姿だとしたら、国広が本物の「山姥切の写し」なら、「山姥切」として登録されて「山姥切の写し……長義の刀の写しだ」と名乗るのが正しい可能性がある。
山姥切国広は、「写し」を「偽物」と誤解されることだけでなく、「山姥切国広」なのに「山姥切の写し」と自己紹介しているので、「山姥切国広の偽物/山姥切の写しの偽物」と思われるんじゃないかと悩んでいるのではないか?
つまり刀剣男士たちは、どこかに名に反した中身をした偽物がいる、偽物と疑われては困ると考えている?
逸話を食う者
名に反した中身、からイメージされるのは「なりすまし」です。
気になるのが次の回想。
巴形が「真田の愛槍」という逸話を持つ槍に「物語を持たぬようだな」と声をかけたのは何故か。
こんなこと言ってる刀がいます。
巴形はおそらく、「大千鳥」という個性=「逸話」の部分が見えず、物語を持たない「十文字槍」の集合体と見間違えた。だから静形は「逸話を食われないように気をつけろ」と言っている。
また、回想93では「治金丸」が「千代金丸」の影になりすましています。
名の差分が少ないほど逸話の親和性が高い、つまり成りすましやすい。
そして刀剣男士の逸話を食える存在がいる。
僕を見間違えたりしませんよね、と言った秋田藤四郎のキャラクター設定は「特技のかくれんぼを駆使して、秘密を集めることも好き。」だそうです。(ちなみにこの秋田くん、手紙の「前の主君」ってほんとに歴史人物? という疑惑のある刀でもあります)
偽物ではないと主張する小狐丸は、鳴狐に「じーっ」と見つめられている。
鬼はおそらく、他の刀剣男士の逸話を食って成り代わることができる。
刀剣男士は、偽物=隠れた鬼を探している。
だから「審神者を斬る鬼」の容疑者は山姥切国広だけではなく、それに成り代わるかもしれないすべての刀剣男士です。成り代わりターゲットでもある「山姥切」の名を持つ国広は、そのせいで「じろじろ見る奴が多い」から布で顔を隠している。国広を「じろじろ見る」のは人間というより、刀剣男士なのかもしれない。
そしてそのために、本丸の刀たちは言うなれば「汝は人狼なりや?」をやっている。ボイスや回想でお互いに探ったり白出しをしたりしているから、審神者は狼=鬼を探せと言うわけです。
刀剣男士に鬼が紛れ込むかもしれない。神を審らかにする者として、付喪神たる刀剣男士が本物かどうか見極めろ。
聞いてないよ。
「偽物くん」は本物認定かつ本物主張
長義が何故国広を「偽物くん」と呼ぶのか。これが基本「偽物」ではなく「偽物くん」なのは、「刀剣男士としての山姥切国広」を偽物と呼んでいるためと考えられます。「本歌、山姥切」を名乗る長義が「山姥切の写し」を名乗る国広をそう呼べば、必然的に「自分の写しを偽物と呼んでいる」という認識になる。だからこそ、国広は「写しは偽物とは違う」と答える。そして「俺を差し置いて」山姥切を名乗っていると言われることで、国広は長義から写しとして認識されている、つまり「国広は長義の本物の写しであり、それを長義も認めている」と思われるようになる。「偽物くん」は本歌の長義による「彼は本物の俺の写し、山姥切国広だよ」という本物認定とも言える。メディアミックスで写しの偽物を瞬時に見分けることで有名な本歌ですが、あれはおそらく伊達ではありません。
また同時に、「山姥切の名で顔を売っている」国広を偽物と呼べば、自分は本物の「国広の本歌の山姥切」であるという主張にもなる。「偽物くん」は国広と自分を同時に「本物の本歌と写し」と主張する呼び方でもある。
『山姥切』と認識されるべきは俺
それに対して、国広はわりと本歌を見分けるのが不得意です。
何故か。
長義の実装名は「山姥切長義」です。しかし、入手台詞は聚楽第報酬・ドロップともに「俺こそが長義が打った本歌、山姥切。」つまり、登録名とは異なる名乗りをしている。ある意味ソハヤの逆です。
これは国広の修行前の自覚が「山姥切の写し」だからと考えられます。国広は修行の手紙で長義について「長義の刀」とは言及するものの、この呼び方をしているのは「俺が会った人々」であるため、おそらく国広は修行するまで本科のことを「山姥切」としてしか知らない。「本作長義」はもちろん、下手をすると「長義の刀」についても全く知らない。
しかし「山姥切」という字数の少ない名=差分の少ない名では、国広にはそれが本歌なのか、本歌や自分に成り代わった誰かなのか判別がつかない。だから「俺を差し置いて『山姥切』の名で顔を売っているんだろう?」という、本歌でなければあり得ない台詞が必要になってくる。
だから国広に対する長義の「『山姥切』と認識されるべきは俺だ」には、「お前の本歌と認識されるべきは俺だ」という意味がある。
お前の本物の本歌は俺だ、間違えるな。偽物の俺に食われるな。
実装名と異なる「山姥切」を名乗るのは、一歩間違えば自分自身が「偽物」と認識されるリスクがある。けれどそのリスクを負わなければ、修行前の国広には自分を本歌として認識させられない。疑われない自信があるからやっているのでしょう。さすが自分に自信があり他に臆することがない。
そして『山姥切』と認識されるべきは俺、には文字通りの意味、つまり審神者を殺せる『山姥切』の逸話を持っていると認識されるべきは俺だ、という意味も考えられる。
長義は国広極の実装後、つまりゲーム内で「山姥切伝説は両方にある」と判明した後に実装されました。「山姥切」の逸話を国広自身が持っているかもしれないとバレてしまった。だから長義は、国広が狙われるのを避けるための囮になるためにやってきた。
さらにまた、本歌である長義も国広の親と呼べる存在である上に、「斬った山姥に呪われて山姥になっている」と認識されることもできるので、「闇落ちした山姥切国広」が狙う「山姥」としてはむしろ最優先のターゲットとも言える。審神者の絶好の身代わりになれます。
一体何重のタスクを背負っているんだ山姥切長義
名は俺たちの物語の一つでしかない
回想56・57「ふたつの山姥切」は、実装タイミング的にはどちらも初対面の回想と考えられます。
修行前と違い、極めた山姥切国広は自分の本科が「長義の刀」であること、また「山姥切」とは限らないことも知っています。その国広極が「俺を差し置いて『山姥切』の名で顔を売っているんだろう?」と名の差分の少ない「山姥切」として声を掛けられたらどう思うか。
お前は本当に「俺の本科」か?
逸話を狙われる立場として警戒する必要が出てしまう。
だから「名は俺たちの物語の一つでしかない」と、「山姥切」以外の「長義」の部分を見極めるための鎌かけをした。「お前とこうして向き合うことで、また一つ分かった気がした」と言っているので、顔を見ておおむね本物か偽物かの判断はできていそうではありますが。
長義にしてみればそもそも国広が本科を「山姥切」としか認識していなかったのが問題であり、また「長義」を知っている極になら疑われるのは心外でもあるのでしょう。なにせ写しの真贋を瞬時に見分ける本歌です。
「『山姥切』と認識されるべきは俺だ」
「認識されるべき」という言い回しは、「本当は山姥切じゃない」とも取れます。成りすました誰かなら、そんなことを宣言する必要は無い。これが「お前ではなく俺」という意味になるのは「山姥切長義」だけです。このため、彼が「山姥切」に成りすました誰かではなく「山姥切長義」なのは確定です。
そして、「お前の本歌、『山姥切』の逸話を持っていると認識されるべきは俺だ」つまり俺が囮になるべきだ、という趣旨の発言と取れる。
「そうかもしれない」
しかし国広はなおも保留します。この解釈も色々できますが、たとえば国広は修行の手紙で「どちらも山姥なんて斬ってないのかもしれない」すなわち「刀剣男士としての俺たちはどちらも『山姥切』の逸話なんて持ってない」と思わせようとしている。
つまり、「お前が囮なんてしなくてもいいんじゃないか」と考えているのかもしれない。自分も強くなったしと。
また、さっき言いましたがこの仮説では長義は呆れるほどの多重タスクをこなしているので、時の政府に都合よく働きすぎじゃないか? と思っているのかもしれません。
「すまんな、俺もまだ考えている」
「なんなんだよ!!」
保留したまま放り出されてしまったので、「俺のこと本物だって信じたのかどっちなんだ?! おい!」とか思っているのかもしれない。お疲れ様です……。
幽霊文字のねねきりまる
鬼候補の話です。私は本丸にいる男士が鬼になるとは思いたくありませんし、思いません。だからあくまで鬼がなりすますかもしれない男士の話です。
次のツイートをご覧ください。
この誤表記、間違いであるころもへんの「袮」は幽霊文字と呼ばれる使われない漢字です。ただの誤記アナウンスではあるのですが、刀剣乱舞、詳細は割愛しますがミスをただのミスと思っていいのか疑わしい気配があります。
このツイートにしても、誤変換だとして一つのツイートに表記が入り混じるのは不自然ではないか? とうがった見方がしたくなる。
この幽霊文字の「袮々切丸」が、もし本丸に紛れ込んだとしたら?
平仮名の「ねね」にはこんな意味があります。
3番アウト!!アウトです!!「山姥切」に親和性がありすぎる!!
ただ2番は童子切に通じそうなので本物は酒呑童子退治の切り札としても頼もしそうですね!!
そして差分が少ないほど逸話の親和性が高いという話。
幽霊文字の「袮々切丸」が本物の「祢々切丸」になりすまし、例えば山仲間(?)の「山伏国広」を襲って逸話が食えれば「山切国広」まで生成可能です。「山姥切国広」と一字違いです。なりすませば長義ならなめてかかって油断するんじゃないかとか考えるかもしれません。
ここで最初に言った山姥切長義は本当は「本作長義」ではないかという解釈が当たっていたらとっても頼もしい事実があります!!
彼は「山姥切」の逸話の代わりに62字という唯一無二の長い銘を隠し持っている可能性がある!!
つまり本来の彼が「本作長義(以下58字略)」であれば逸話を食われる心配は無い上、名の差分に関して防御力が最強!!
頼もしすぎます本歌。
というかこれもあって長義は自分に成りすまされる可能性は絶対にないと思っているのではないでしょうか。だから回想57で疑われたり「囮作戦はどうかと」みたいな顔をされるとは思わなかった?
冗談でしょう? と思いたいのですがこんなことを言っている刀がいます。
鶴丸(一文字)になってどんな驚きをくれるっていうんです???
本丸の男士がそのまま鬼とは思いたくないのでそういうことしてる鬼がいるよという警告と思っておきます。
終わりに
今回、私が伯仲クラスタであるが故に、連想ゲームで最終目標「山姥切」という解釈になりましたが、他にも何か「鬼の標的」になるような逸話があるかもしれないと思います。そもそも「逸話を集める習性のある鬼」がいるという解釈もできる。
あるいは、「鬼」と「偽物」に関係はないのかもしれない。正直、分かっているのは「偽物」探しや「成りすまし」匂わせが結構な濃度で手紙や回想に組み込まれているということだけです。
もっといえば、刀剣男士達は正真正銘「遊び」の隠れ鬼をしているのかもしれません。ただただこの「ゲーム」を盛り上げ、自分たちの物語を審神者につづってもらうために。2205年という彼方まで、存在を語り継いでもらうために。
それは時間遡行軍と何が違うのか。刀剣男士はもとが時間遡行軍の気配が濃厚なわけですが、ゲーム開始時から動かない「2205年」が仮定されたSF的な未来なら、彼らは時間遡行軍にならないために「今ここ」で戦っているのかもしれない。歴史の侵略者ではなく、歴史の紡ぎ手としてあるために。それはタイムパラドックスです。
すべての本丸が強制的に巻き込まれた大侵寇。
私は当時幽霊部員状態だったので、イベント自体には参加せず、数回ログインして(※配付三日月と初期刀受け取るため)途中経過を垣間見、あとから回想を確認しました。
そんな視点から見ると、あれはまるで、普段人形遊びに使われている人形たちが、夜中に持ち主の手を離れて意志を持って動いていた光景のようだと思います。だからこそ、「意に沿わない物語」として反感を買ったりもしたのでしょう。
リアルタイムで参加しなかったことを少々後悔しているので復刻希望なのですが、正直タイムスタンプがリアルタイムで表記され、何もしなくても進行し、参加していなかった審神者にも強制的に回想が解放されるイベントが復刻される可能性は多分無いだろうと思っています。一回しか「初回」を経験できない特命調査以上に、あれはおそらく「そのとき」にしか起こらない一度きりの物語――「歴史上の出来事」だった。
刀剣乱舞、お前は一体なんなんだ。