悪意の塊
最高の恋愛は30前に、そのトラウマのあと金なし仕事なし家庭なしの三十路男は一回り歳下の女を食い漁り、40で尽きる。これが高円寺スタイルだとしたら、渋谷スタイルは金も仕事も家庭もある。けど無力感はそう変わらない。うん、でしょうね、わざわざ聞かなくても分かる。金の使い方を知っているということ、それが実家が太いということなのかもしれない。つまりベンチャー成金は金の使い方を知らない。この違いはなかなか手痛いなと思った。残酷といえば残酷だな。中年になってからジムに通い出し、衰えてきた男性性を補う、この人は松本人志コースか。形骸的な男らしさに固執している男に、占い師だったら「あなた女の子!」と言ってくれるだろうが私は残念ながら星ひとみではない。もちろん、私には悪意しかないよ。特定の人間の悪口だったらもっとレイザーポインターで失明させるように、一思いに射抜くことだってできるのに。
ただの病気を個性だと持て囃し、誰も責任を取らない。治療することによって"よさ"が消えることを憂慮する人は、治療しないことによって"よさ"が消えていっていることについては全く考えていない場合が多く、やはり人は基本的に変わることを恐れるのだなと思う。基本は本人およびその周りが生活に支障を来していたら治療、そうでなければ経過観察でよいのではないかと思うが、人が苦しんでいてもそれを面白がる人間というのはいる。変人に憧れているタイプの凡人。凡人なのは勝手にすればよいが、私は人が苦しんでいるのを笑う人間が大嫌いなんだ。害悪な凡人。最悪なので近くにいたら駆逐しましょう。
私のことを一番理解してくれている人間は結局母親だと思うし、その肝っ玉というか母として彼女がやり遂げたことは私のなかで再評価されつつあるが、同時に、元を正せば私は母のせいで生まれてきたのだよなとも少し思う。産むのと殺すの、どっちが罪深い? 仮に産むのが罪だとしても、産んだ罪に対して育てる罰はいささか重すぎるようにも思う。かなりブラックなジョークであるが、母は前世人殺しなのだろう。今世だけでは辻褄の合わないことというのがある。そして私は依然として出生に関してはネガティブである。それはそうと、母との関係は年々良好になってきており、良くなれば良くなるほど父が母の彼氏みたく思えてきてウケている。実父だよ。父が聞いたら凹むと思うのでこれは内緒で。
数日前、久方ぶりに一夜サーバーがダウンした。私は無意識に「どうすればいいんだ」と繰り返し独り言つ。この期に及んでも私はまだ「どうにかしたい」ようで、そのあまりの健気さに泣けてくる。どうしようもないのだよ。私は常に人生に対して前のめりであり、それは結構なことだがここでは無意味だ。その健気さは報われない。他人のことはどうすることもできないし、私がどうこうすべきことではない。しかし感情は受動的なもので、これといって抵抗もできぬまま、ただただ嬲られつづける。Passionってやはり受難だよなと改めて思う。