小説 ー アスノヨゾラ哨戒班 UNSTABLE SKY COLOR ー 第二話
ー 二話 イヤホンと蝉時雨 ー
目を開いた。
朱夏の熱が肌に伝わってくる。そしてその暑さを宥めるように涼しい風が吹いてくるが途中で空気が混ざり合って僕に届く頃には生緩くなっている。外の明るさからして今は、午前六時ごろだろうか。
僕は周りを見ようと右手を地面に突いて上半身を起こそうとした
「ふわり」
羽毛のような柔らかい感触が手のひらに伝わり、じんわりと穏やかなシトラスの香りが広がった。
手元をよく見てみると僕が手のひらで感じていたのは人一人を包めるくらいに大きな少女の翼だった。
それは、僕と眠る彼女を包み込み、鳥籠のように外界の異物から僕らを守るように力強く、そして母鳥が子を優しく包むときのような温かい翼。
純白の白い羽根の一つ一つに見とれていると、外の様子が羽の隙間から見えた。
「..............!」
白い翼の外に広がっていたのは見たこともない景色だった。
田圃には青々とした稲が植えられていて、そんな光景が連続する。ずっとどこまでもどこまでも無限に広がる青い絨毯は水平線の彼方まで広がって、水平線の遠く向こう側には、白い海が広がっていて、その先の海上都市に大きなビルがいくつも生えていて、ビルを見下ろすぐらいの大きさの青白い雲がモクモクと上がっている。
上を見上げると空は、海の青さを爽やかに反射して晴れ晴れとしていて、夏の暑さに何食わぬ顔をうかべる太陽は、温かな日差しをギラギラと差し込みながら僕らを見つめている。
ふと、何かが僕の服を引っ張り、素早く通り過ぎた。
透き通るような音とともに過ぎ去るそれは形がなく、無色透明、しかしそれは僕らに白く生え揃った翼に包まれるようなぬくもりを与え、同時に、溶け出した朝露のような冷たさを含む。
草木がはそれに身をそよがせ、雲はただそれに身を漂わせる。
「風」
それも、ただの風ではない、夏風だ。
夏の熱気と朝の冷気が混ぜ合わさった温い風が、爽やかな白南風が僕を通り過ぎたのだ。
過ぎ去った風のあとに、聞こえてくる音がある。
『………シャワシャワ…シャワシャワシャワシャワシャワシャワ』
『…リィリィリィリィリィリィリィリィリィリィリィ』『………チュン!」
『…ジィ──────────────────────────────』
『…キィキィキィキィキィキィキィキィキィキィキィ』 『……クルッポォ』
『オーシツクツク!オーシツクツク!オーシツクツク』『rrrrラィラィラィ』
『ガチャガチャガチャガチャ』 『ピィィィィィ………ピィィィィィィ………』
『シーシーシーシーシーシー』『リロリロリロリロリロリロリロリロリロ』
『ラーワジリカルラストルレイラーワジリカルラストルレイ』『ラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカ』『ポォーポォーポポォポォーポォーポポォポォーポォーポポォ』『ツクツクシィオ!ツクツクシィオ!ツクツクシィオ!』『バサッバサッ』『リロィオンリィオンリロィオンロリィコンリロィオン』
『ライライノレイラァィライライノレイラィライライノレイラァィレイラァィノレィラァイ』
『ジュワジュワジュワジュワジュワジュワ』『ケ───────ン………』
『カラカラカラカラカラカラ』『ジィヮジィヮジィヮジィヮジィヮジィヮ』
それらには風のようなぬくもりはなく、ただ必死に声を張り上げて叫ぶような、力強い生命の音。個々が己自身の最大値を引き出し、精一杯に息をしている。
それらを包み込む風が
僕らを照らす光が
小煩い虫の音が
全てが、すべてが僕に夏を感じさせた。
綺麗だ、美しい、感動的、泣ける、感心、感激、感銘、感泣、そんな言葉では形容できない、それらを超越したその先の感情が僕の胸の中に虹色に輝き溢れ出した。
それは無限に続く刹那。吸い込まれるような景色に、今までに見たことのないはずのこの景色に僕は、胸が熱くなった。自分の感情が上手くまとまらないまま目を閉じていた。ただこの景色に溶け込み、流されるままに漂っていたいと思ったのだ。
「 」
そうして、自然と目を開く。眼の前には、先ほどと変わらない景色が広がっていて、僕の心には不思議と安堵感が生まれていた。
そして、ふと、何気なく口から出た言葉があった。
「ここが皇国…」
………?
自分で発した言葉に僕は疑問を抱いた。
何度も自分の口から出た言葉を何度も頭の中で反芻する。いつのまにか僕は目の前の景色、突拍子もないこの事実に驚いていた。
え…?いやいや、まさか…そんなことあるか?
墜落した場所は他国だった。いやいやいやいや、そんな都合のいい良いことが起こるわけないだろう。大体、あの高さから落ちたら普通はお陀仏。まさか...!?ここがあの世なのか!?
そうだ!こんな事が起きるはずがない!落ち着け、一度目を閉じて深呼吸だ。
一度目を閉じる。
「ミーンミーンミーンミーンミーン」
「ジーヮジーヮジーヮジーヮジーヮ」
目を開く。そこには青々とした草が生えている田圃が何処までもひろがっていた。
現実かよ...
そういえばあの少女はどうなったんだ?と思い足元を見た。
少女は僕のすぐ横で丸くなってすーすーと寝息を立てながら寝ていた。
少女はその白い手で、僕のズボンの裾をしっかりと掴んで離さなかった。
とりあえずほっとした。二人とも怪我はなかったし、健康状態も正常だった。
良かった。本当にラッキーだった。皇国に来てしまったこと以外は…
実は僕らの暮らしていた国、「合衆国」と、この「皇国」はとても仲が悪くお互い下手に一歩でも動けば、戦争となってしまう拮抗状態にあるのだ。
もし、僕らが皇国の人間と出会ってしまうことがあれば、きっと不法入国罪にかけられる前にボコボコになぶられてしまう.........可能性がある。
とにかく、勢い余って他国に来てしまったことは百歩譲っていいとして、その中でもとびきり関係の悪い皇国だけはダメだ。本当にダメなのだ。
僕は、黒髪黒目の皇国人寄りの顔ではあるが、ロアは、白い髪と澄んだような碧眼、完全に合衆国人にしか見えない。
というか僕の服は見られても大丈夫なんだろうか?
僕の隊服には思いっきり合衆国の国旗が立派に縫い付けられていた。
あ、全然ダメだった。
そして何よりも、この国の軍事組織が今ここに来ていないのが奇跡だ。
普通なら、他国領域内に他国の戦闘機が侵入してきたというだけで速攻スクランブルされて僕らは領海内どころかEEZぐらいですぐに撃ち落とされていただろう。
そんなことになっていないどころか、今、この場所に僕とロア以外の人の居る気配がしない。
もしこの場に軍が来ていたのなら僕らは捕まって誰も知らないところに行くことになっていたのだろうか
...................................あぁ考えただけで背筋がゾワゾワしてくる。
なんか気温もぐんと下がった気がする。
とりあえずここから離れよう。そのためまずはロアを起こす事にした。
寝ている少女の肩を叩いて起こそうと、彼女に手を伸ばした。
「………」少女は何かを呟く、寝言だろうか、よく聞こえないが何かを言っている。僕は耳を少女に近づけて少女の寝言を聞いてみる。
「……たすけて」
小さくて弱々しい声だった。昨日の夜の天使のように綺麗な少女ではなく小さくて触れたら壊れてしまいそうなくらいにか細く、今にも潰れて壊れてしまいそうな繊細な声だった。
『……たすけて』
頭の中を誰かの声がよぎった。昨日、空を飛んでいる彼女を発見したときに聞こえた声と同じく悲しさに溢れている小さくて弱い声だ。
僕は無意識に彼女の手を握ろうとした。出会ったときと同じように、いつものことのように自然に手を伸ばした。
伸ばそうとした。
真っ赤に染まった―――
「ッ………………!」
突然、何かが頭の中をよぎった。
僕の手の中で生気なくくたっとしている赤い───が見えた。
鋭い悪寒が身体の中を通り抜けた。それと同時に心臓の鼓動が限界にまで昂まり呼吸は鈍く、汗が吹き出る。筋肉は絞られた雑巾のように収縮し、腕はブルブルと痙攣を始める。
思わず自分の手のひらを見る。自分でも気がつかないうちにその手は震えていた。
流れるように寝ている少女に目を向けた。真っ白に何色にも染まることのないような純白の少女は静かに眠っている。その少女は僕のようなヒトには触れることすら出来ないような神秘さに包まれていた。
この少女は一体何者なのだろうか?
昨日、彼女は空を飛んでいた。今になって改めて驚いている。なんであの時すぐに僕は少女を追いかけようと思ったんだ?普通なら驚くべきだろう?なぜ僕は、あの時そう思ったn…っていやそうじゃなくて!彼女は一体何なんだ!
その白い翼で、彼女は空を飛んでいた?その光景を僕はハッキリと思い出せる。昨日の夜のことだからってこともあると思うけど。僕は本当にハッキリとあの景色を覚えている。
彼女は飛んでいたわけではなくて、生まれたばかりの雛のように拙くその羽を広げてきり揉むように空から落ちてきたように見えた。でも、「翼が生えていて」なんて事自体ファンタジーの中の出来事であり、所詮、フィクションの話だ。
でも、昨日見たものは本物だ。現実だ。そうでなければ僕はここにはいない。
じゃあ、この少女は一体なんなんだ?昨日見た少女は一体なんなんだ。
何も知らない。僕は何も知らない。彼女のことを。
なら、これは何だ?この震えは一体何なんだ?彼女を知ればこの震えが止まるのか?
自分の手のひらに目線を向ける。それは泥と煤と燻る手。
そして目線を戻す。それは白く淡く輝く少女。
それを幾度か繰り返した。
それになんの意味があるのか。
そんなことをしてこの心臓の鼓動が収まるのか。本当にこの震えが止まるのか?そんなことを頭の中で繰り返しながら純白の少女を見つめていた。
………ブロロロロロロロロロロ
遠くの方から車が近づいてくる音がした。舗装されていない田圃道をぶっきらぼうに突き進んでいく力強いエンジンの鼓動が、ごんぶとのタイヤから地面を伝ってだんだんと近づいてくるのがわかる。
首をもたげて、音のする方を見る。
数キロメートル先に泥に塗れ燻んだような灰色のジープが何台かこちらに向かってきているのが見えた。
灰色のジープ...?あれは...確か...そうだ!皇国軍の軍用車の色だ!!!
でもなんで、皇国軍の軍用車がこっちに向かってきているんだ?
目が覚めたばかりのぼんやりとした頭を動かしながら周りの状況を確認する。
「…………あ」
後方、数百m先を見ると僕らが乗ってきた戦闘機と思われる残骸が黒い煙をプスプスと立てながら横たわっていた。
多分.........というか、絶対これが原因だな。
いくらステルス戦闘機とはいえ、半壊した状態ではステルスの「す」の字も無くなる。そんな状態で国の領域内に入ってしまえば軍のレーダーに引っ掛かりまくるだろう。
その割には、軍が来るのが随分と遅いような気がする。
でもまあ、コレはチャンスだ。皇国軍に見つかる前に逃げることができる。
そう思い、またロアの方に手を伸ばした。
少女に手を伸ばしたその瞬間。
「いッ...............................!?」
また鋭い悪寒が身体の中を通り抜けた。引き締まった筋肉が強張っていくのを感じる。
「かッ....................ハッ!!」
どういうことだ?少女に手を伸ばしたと同時にまた体が痙攣し始めた。わけがわからない、少女から毒か何かでも分泌されているとでもいうのか!?
とにかく、このままじゃマズイ!皇国軍に見つかってみんなお陀仏だ!!!
僕は必死に身体が千切れるくらいに力強く身を捩った。
「ハッ...!!!ハッ...!!ハッ...!」
伸ばした腕を少女から逸らすと、痙攣が完全に止まった。
「はぁッ...はぁっ...!?痙攣が...止まった?」
ずっと震えていたはずの手が、何事もなかったかのようにこちらを向いて止まった。
こんなことは、合衆国にいたときに多分こんなことは起こらなかった。誰かに触れようとすると、体が震えだして触ることができないなんてことなかった筈だ。
「一体、なんだってんだ」
とりあえずわかったことは、僕は彼女に触れることができない。
でも、触れられないならどうやって彼女を起こせば...?
A. 声を掛けてみる。
「あのーロアさん...起きてくれませんか...」
「...........」
鳥の囀りがよく聞こえてしまうくらいの声だった。少女が目覚めるわけもない。
今度はちょっと声量大きめに...まず咳払いを一つ。
「ロア!起きて!!!」
「...........ウゥ」
少女が目覚めた。眠たげな目をその白い手で擦りながら少女はゆっくりと起きあがった。
それとともに羽根の色が少しずつ薄くなり、一枚ずつはらはらと落ちていって、地面に触れると溶けるように消えていった。
「.........ソラ?ここは?」
「ロア、起こしちゃってごめん。でも仕方がなかったんだ、僕らは今すぐここから離れなきゃいけなくなったんだから」
「そうなの?なんで?」
「ええっと...とりあえず!理由を話すのは歩きながらでいいかな?」
そうして僕らは歩き出した。
僕らというか、歩いているのは僕だけだが。
どういうことかというと、ロアが裸足だったからだ。
それで、
「じゃあ私をおんぶするしかないね…!」
………と彼女におんぶをねだられたので、僕は渋々と少女をおぶりながら歩いているのだ。
「と、まぁそんなわけで、僕らはあの場所から離れなきゃいけなくなったってわけだ」
歩いている間に、彼女に先程のことを説明した。
ここがどこなのか、皇国軍に見つかってはいけないということ、そしてあの場所から離れた理由を。
「ふーん、なるほどね、軍に見つかっちゃったら私なんかはすぐ捕まっちゃって質問攻めにあってこの国で保護されちゃうのね」
「そうなると、僕たちはどこにも行けずにこの旅が終わっちゃうね」
「...っていうかソラはなんで旅を続けようとしてるの?」
「え?」
「だって、ソラが旅を続ける理由はないじゃない。私は………正直自分がどこに行けばいいのかわからないし、自分が何を求めているのか知るために遠くに行くっていう曖昧な目的でソラを連れてきちゃったから」 ロアは少しうつむいて言った。
「………あ!別にソラと一緒にいるのが嫌だってわけじゃないよ!!まだソラと出会ったばかりだし、もっと仲良くなりたいし!!!………でもだからソラに迷惑がかかっているんじゃないかなって思っちゃって」
ロアが僕の背中でうずくまって小さくなった。
羨ましいくらいに元気でいるのに、こんなにしょんぼりすることがあるのかと思えてしまうほど、彼女の体を小さく感じた。その姿から、微かな声で助けをもとめる少女の姿が見えた。
「…ロア、実は僕はさ、父親のところにいるのが嫌になって飛び出してきたんだ」
「………え?そうなの?」
「実はそうなんだよね、ちょっと言うのは恥ずかしかったんだけど、でも家を出る前はすごく必死だったんだ。あそこにいるのがずっと苦痛だった。いつも逃げ出したかった。けど、そう思ったときいつも、逃げる勇気が出なかった」
「………じゃあなんで、ソラは逃げてこれたの?」
「…流れ星が見えたんだ。」
「………?」
「ほら、『流れ星のおまじない』って聞いたことない?流れ星に三回願い事をすると願いが叶うってやつなんだけど………まあ、それで、それのおかげなのかわからないけど、勇気が出たんだ。逃げる勇気が」
僕はあの逃げたあの日のことを思い出していた。
不安と後悔と恐怖で包まれた暗闇の中に流れた一筋の白い星の軌跡が見えたときのことを。
「………!」
「まあ、その時は勢いで戦闘機も奪ってなんとか逃げ出せちゃって。今考えてみると、逃げることが目的だったからその後のことを全く考えてなくって。だから、あのときロアと出会えて本当に良かったと思ったんだ。僕の『逃げ』に意味が生まれた気がしたから」
「だからね、ロア、ロアと一緒にいることを一ミリたりとも迷惑だと思ってないよ。むしろ一緒にいきたいんだ!僕が!」
「ううっ………!!!」
そこまで話したところで、ロアがプルプルと震え出した。
「ソラっ!!!!!!」
「うおっ!!!」
ロアがガバっと勢いよく僕の背中に抱きついた。
「ソラ!!!私もソラと会えてほんとによかったよーーー!!!」
「…!!」
ロアのその言葉を聞いて、僕の胸の中がぎゅうっと熱くなったような気がした。
自分勝手だとは思うけど、この選択をえらんで良かったと思えたんだ。ロアの向かう先まで一緒についていくっていう選択肢が。
…っていででででd!!!!
ロアが僕の背中に火がつきそうなくらいの勢いでぐりんぐりんと頭を擦り付けた。
「んーーー!!!ぱっ...!なんとか拭き取れた」
「え?」
「え?いっ…いや!別になんでもないよ!ちょっとソラの言葉に感動しちゃって吹き出たものを処理しただkってあはははは!!!」
「………やっぱ、ここで下ろそうかな」
セミの鳴く音が聞こえるとともに遠くから生ぬるい風が通り過ぎた午前八時。
僕たちの旅は始まったばかりだった。
「うぅ、熱いねぇソラ〜」
「そうだねロア」
「そこで、ソラに提案があるんだけど、ちょっと走ってみない?きっと気持ちいい風を感じられるとおもうんだ〜」
「あーそうだねいいかもねーでもね…」
「でもね?どうしたの?ソラならできるでしょ!私、割と軽いし!」
「まぁ確かにロアは軽いけど、そうじゃなくて走ると熱いじゃん」
「私は涼しいよ?」
いや、そうじゃなくて………。
「僕が熱くなっちゃうじゃん」
ロアの返答に少し間が空いた。なんかまずいことでもいったか?いや、そんなことはない………はず。でも、どうしてこんなにも間が開くのだろうか。三十秒以上待っている気がする。僕がなにかしらしてはいけないことをしてしまったのではないか?。
「あ!そっか!確かにソラだけ熱くなる!完全に盲点だったよーソラのことまで計算に入れてなかった」
はい、単純にロアが鬼畜なだけでした。
「なら後ろから扇いであげるよ!」
ロアがそう言うと同時に僕の背中の方からそよそよと風が吹いてきた。
「ほら!こうすれば涼しくなるでしょ?さあ!!!ソラ全力で行くよ!!!!ソラGO!!!!!」
「いやまだ走るって言ってないよ!?」
「もーならどうしろっていうのーどんどん熱くなってっちゃうよー」
「えーならロアが翼でも生やして飛べば早いんじゃないか…」
「えぇ?何を言ってるのソラー人間が空を飛べるわけ無いじゃん!」
え?
ロアは自分が空を飛んでいたことを覚えていない?
「ソラは私のことなんだと思ってるの?」
その問いに僕はどう返答する?少し考えた。ロアと同じくらい時間をかけて考えた。僕がその時頭の中に浮かんでいたのは『白い翼を生やした少女』だった。その情報から思い浮かぶものを連想し続け、その長考の末、僕は返答する。
「…………天使とか?」
ぷっと後ろから吹き出す声が聞こえた。
「あはは!」少女の黄色い声が響く。
「急にどうしたのソラ、私が天使だなんて冗談、あはは!!面白いよ!!!」
少女は僕の背中でコロコロと笑い転げていた。ツボに入ったようだ。
しかし僕は笑顔を浮かべることもなく無表情になっていた。なんだかすごく不思議な感覚に包まれた。モヤモヤしているなにかが僕の頭を横切ったような気がしたのだ。
「はぁーっ。笑った笑った」
「…ロアはさ、覚えてない?昨日のこと。僕と出会う前のことを?」
そうロアに聞き出した。なんでそうしたのかよくわからない。でも確かにそうしなくてはいけないというような気がしたのだ。
「えー?ソラと出会う前のこと?」
ロアは首をひねった。
「うーーーーん。なんにも覚えてないよ…私、記憶喪失なんだから」
「ほら、君がどうやってあの島に来たのかとか」
「えぇ………。ううん全然覚えてないよ」
僕は少し後ろを振り向き、片目でロアの顔を捉え、彼女に問いかけた。
「君は大きな白い翼であの島に飛んで来て一体何をするつもりだったんだ」
……………………………………………………………………。
すべての音が消え、沈黙が流れた。
「………ソラちょっと怖いよ」
そう言われて、ハッとした。
「…あ、ごめん、ちょっとこの暑さでおかしくなっちゃったのかな。ほんとにごめん、怖がらせちゃって」
確かに僕は今彼女に圧力をかけてしまっていた。それは反省。
「いいよいいよ!大丈夫!!許す!!!大体、私が何も覚えてないのが原因なんだから」
そうして少女は僕の背中でにへらと笑った。僕もそれに答えるように笑顔で返した。
しかしなぜ僕はこんなにも必死になっていたんだろう?なにか引っかかるものがあるのかもしれない。空を飛ぶ少女の姿に何を感じているのだろうか。
何を重ねているのか。
「………そういえばロアはあの島から出るときに合衆国軍に追われていたけど、なんでだ?心当たりとかあったりする?」
「うーん…」
って彼女は記憶喪失なんだ。追われている理由なんて彼女が覚えているはずがないだろう。
でも僕がいた国「合衆国」は、国外への出入国も自由になっているはずだ。彼女のように逃げてきただけで追われる身になるというのは相当な犯罪者ぐらいか、もしくは、政府のなにかの重要な秘密を握っている人物ぐらいじゃないのか?
そう考えてみると僕は本当にとんでもないことをしてしまったんじゃないだろうか。確かに僕もあまり人には言いたくないような理由でここまで来てしまったが、もしこの子がそんな人物であるならば。僕ももしあの国に戻るようなことがあるなら機密を漏らした大犯罪者として消されるのではないだろうか。僕は一層戻れなくなってしまった。まあ僕としてもあの国に戻れなくなるほうが都合がいいんだけれど。
そんなことを考えながら僕らは、大きなガレージの横を通り、道を歩いてゆく。
近くにバス停が見えた。赤いバス停の看板には、「シオン山」と書かれていた。バスの先には少しの坂がありそして、ずっと向こうには、都市が見えた。大きな壁のようになっているビル群、その中に雲まで届きそうな塔が聳え立っている。僕らはその景色を見ながらこの坂を進んでいた。
「ねーソラ」「...うん?」
道の近くには上を向いたおおきなひまわりがたくさん生えていた。
ひまわり畑の横を通り過ぎた時。
ロアが僕に声をかけた。
「あっちから白いトラックがきてる!」
道の向こうから白い軽トラックがこちらに向かって走って来ているのが見えた。中に乗っているのは半袖、紺のオーバーオールを着た黒髪の見た目三十代くらいの男性だ。
「……軍の車じゃないだと⁉︎」
(…やばいよ!ソラ!どんどんと近づいてくる。)ロアは耳打ちをするように小さな声で言った。
向こうから近づいてくる軽トラックは誰が見ても農家だろと答えるだろうが、僕らの今の格好は思いっきり不法入国者、しかも合衆国と関係の悪い国となれば捕虜どころかもっと酷いことになってしまうかもしれない。
この状況、何が正解なんだ。
腹も減っているというのも一つの原因なんだろうが急な出来事に頭が回らない。脳内で試行錯誤、熟考の末やっとのことで一つ思いついた。
「は⁉︎」ロアが呆れたと言わんばかりの返事をしたが無慈悲にも選択をする暇なんかないぞとその男性はどんどんと近づいてくる。
『う…うおお!!!』
二人はひまわり畑に飛び込んだ!!!
丈の高いひまわりの下の雑草に飛び込こんで、すぐさま音を消して。草に隠れるようにして静かに伏せた。
「本当にこれで見つからないの…?」
「あぁそうさ、そう習った。きっと見つからないはずさ…」
その男はひまわり畑にまできてしまった!あぁ!お願いだ!見つからないでくれ!そしてそのまま過ぎ去ってくれ!!!
その願いが通じたのか、軽トラックはひまわり畑の横を通り過ぎていった。
よがった‼︎ほんどゔによがった‼ミッションコンプリートだ!!!直ちに帰投する!!!
「………君たち何してるの?」
………………Ah☆
唸るような蝉の音と共に空に響いた。今日の空はよく晴れている。
僕らがひまわり畑で黒髪の男性に見つかってから、数時間後、僕はある仕事の手伝いをさせられていた。
なぁに危険な仕事じゃあない。安全な仕事だ!そう、荒らされた畑の整地仕事………
「おー結構うまい」黒髪の男性が軽トラの荷台の上でそう言った。
「………」
ロアは僕の作業に見向きもせず、軽トラの荷台の上を舞うトンボどもを見上げていた。
「...あ!ソラ頑張れー!!!」
「.............」
僕は両腕の裾を捲りながらポッカリと穴が空いた畑を耕運機を押しながらズルズルと歩く。(ロアが今食ってるのは多分僕の分のおにぎりだな)そんなことを考えていた。
どうやら僕らの乗っていた戦闘機はどうやらこの男の畑に突っ込んでしまったようだ。この男は朝、畑の方から大きな音がしたという事に気がつき畑に向かう途中でたまたま僕らを見つけたのだ。
畑についたときには、戦闘機は皇国軍によって綺麗サッパリと片付けられていた。しかし、畑には大きな穴が空いていたのだ。
「君たち暇でしょ、手伝ってくれない?」と言ってきた。
なんだ急にこの人は?一体何を言っているんだと思い断ろうとしたが、
「........ぐるキュルルルルルルルルルル」
そこでロアのお腹が鳴ってしまったのだ。昨日の夜から何も食べていなかったからだ…。
「お腹へってるなら、ご飯出すよ」
ロアは、ご飯という響きにそそられて、仕方なく僕も彼の仕事場についてきたというわけだ。
そんなわけで僕は今、このとけてしまいそうな炎天下の中、自分の戦闘機があったところを耕しているのだ。
「あ、ゴミあったらひろってー」ポーカーフェイスなわりに妙に通る声でそう言った。
なんでトラクターとか使わないんだよと思ったりでイライラとしていたが、腹が減っていたので騒ぐ気力もなく何もいえなかった。
あぁ、そういえば言ってなかった。この大声を出して僕を呼んでいる男は、名をヒナタというらしい。
額に汗が伝う。汗を拭ってようやく僕はヒナタさんに言われた仕事を終わらせた。
「ソラ君ありがとう。じゃ、今から休憩にしようか」ヒナタさんがそう言った。
よかった、ようやく休める。腹に何も入っていない状態でヒナタさんの仕事に駆り出されていたので、おなかが減りすぎて背中とくっつきそうになっていた。
ふぅぅぅう と、息を吐きながら、近くの木陰に座り込む。
僕はヒナタさんが持ってきた冷たいお茶を飲んだ。冷たいものが喉を通って、心までひんやりとしてくる。
そして、いただきます!!!
勢いに任せておにぎりを頬張る!
うまい。
これの中身はおそらく昆布だろうか、このしょっぱさが米の甘みと合わさってとても美味しいと感じる。より甘みを感じようと噛み続けているうちになぜだかとても懐かしい気分になっていた。
「って!ソラ!」
「え、なにロア?僕がどうかしたの?」
「泣いてる」
「え?」
太陽が頭上に差し掛かる。気温はさらに暑くなっていく。
僕はいつのまにか泣いていた。右目から涙を流していた、
今日の夜から何も食べてなかったからか、それともこの謎の懐かしさにやられてしまったのか自分でもよく分からなかった。
とりあえず僕は涙を拭って。二口目をいただいた。
僕のおにぎりの一つを頬張ったくせにロアはヒナタさんのおにぎりを狙っていた。
「ヒナタさん!そのおにぎり半分くれない?」ロアは目をうるわせてヒナタさんの方を見た。
「いいよ、なんなら全部あげるよ」ヒナタさんは優しい声で答えて、ロアにおにぎりを差し出した。
「やったー!ヒナタさん優しい!」
「まだまだあるから」
そう言って、彼は持って来たバックの中身を僕らに見せた。
そこにはおにぎりがぎっしりと詰まっていた。
「うわ!すごい…こんなにいっぱいどうするの?」
「ぼくが全部食べる」
「ヒナタさんが!?この量だよ!?」
「食べるの好きだから」
あはははは!と、ロアは笑っていた。ヒナタさんはなんか………ニヤリとしてた。
そんな彼らを僕は眺めていた。
このヒナタという男は黒目、黒髪。身長は高く、筋肉質な腕、顔の彫りが深い。一見普通の三十代のように見える。しかし僕の目から彼を見ると何か不思議な雰囲気をまとっている気がする。
だって、最初にひまわり畑でこの人に見つかったときこの人は、僕のことをじいっっっっっっと見つめていたのだ。しかもその顔には浮かぶものはないもないポーカーフェイス。何を考えているのかさっぱりわからなかった。
それにいくら僕らに優しくしてくれていると言っても僕は一応合衆国の軍人である、だから警戒を解くことはなく、ヒナタんを奇妙な人だと勘繰ってしまうのだ。
突然。ヒナタさんは僕らの着ていた服を見て一言。
「…そういえば君たち服がだいぶ汚れているけどそれ以外に服は持ってないの?」
ドキッとした。先程も言ったように僕は合衆国軍で、身につけている隊服には合衆国の国旗が縫い付けられているのだ。
しかし、ヒナタさんはそんなことは気にもしていないようだった。
「うち来る?女性でも着れるのあるかも」
「本当!」ロアが答えた。
えぇ⁉︎
僕はこの男のことがだんだんと怖くなってきた。
この男、僕らが何なのかわかっているのだろうか?合衆国の少年少女だぞ!?…もしかして、僕らを騙して収容所かどこかに連れて行くつもりなのか?
「女性服の方は…彼女に聞かなきゃわかんないけどね。多分快く貸してくれるはず」
ヒナタさんの左手薬指にキラリと銀色に輝く指輪が見えた。
あっ既婚者なんですか、じゃなくて!!!ほんとになんなんだこの人は!
「ちょ…ちょっといいですか」
僕はヒナタさんに背を向けてロアに耳打ちをするような小さな声で喋りかけた。
『ロア…ヒナタさんについていくのはすごく危険な気がするんだけど』
『急にどうしたのソラ?大丈夫ヒナタさんは優しい人だから!危険な人じゃないよ!』
ヒナタさんは確かに僕らに色々と優しくしてくれている。でも裏側の見えない善意というのは恐怖を感じるものだ。僕はヒナタさんが何を考えているのか全くわからないから彼の善意は全て裏があるように感じるのだ。だからロアがなぜそんなふうに感じることができるのか全く分からなかった。
『私は何となく分かるの、その人がどんな人なのかって。ヒナタさんはなんか…すごく爽やかなの!見たことないくらい淀みがないの!だからすごく優しい人だってわかるの』
『だからソラ!私を信じてほしい、きっと大丈夫だって!』
『お願いソラ!!!!!!!!!!!』
ロアは胸の前で手を合わせ祈るようにして、僕の目を見つめた。
「……………………………………………………なら、信じてみるよロアを」
ロアは蒼く澄んだ瞳でそう願った。信じる理由はそれだけだった。
「じゃあ!ソラ、ヒナタさんの家に行ってみよう!」
僕らは先ほど隠れていたひまわり畑の横を歩いていた。バス停の看板には「シオン山」と書かれている。少女はガレージにあった、ぶかぶかの長靴を履いて歩いている。
ミカンさんのガレージは田畑から少し進んだ、この坂の先にあって、ガレージからは遠くの都市がよく見えた。
坂を三人で降りていく。
「ヒナタさんの家って何処なの?」ロアが不思議そうに、尋ねた。
「もうちょっと歩いたところだねー」
そう言いながら、坂を下っていく。僕は内心彼のことを疑い深く慎重になりながら歩いていた。
お墓が並ぶお寺を通り過ぎ、小さな神社の鳥居を通り過ぎて、ようやくヒナタさんの家に着いた。
外見は普通だ。
一階建てで横に広い。皇国の昔ながらの家といった印象だ、不思議と懐かしい感じがする。
懐かしい感じはさっきからずっとあったが、この家に関しては、懐かしさだけでなくどこか安心感があった。
中に入る。
靴を脱いで玄関を通り、木でできた廊下の先には、緑色の床が広がっていた。ロアがその床にスライディングを決めて寝っ転がる。
「気持ちいい〜」ロアはご機嫌そうだ。
そんなロアを横目に見ながらヒナタさんは箪笥を開ける。僕らが着れる服を探しているようだ。
僕は寝転ぶロアの横に座った。
部屋を見渡すと、ここは広い古畳の部屋のようだった。そして僕らの向かいには、もう一つ部屋がありそのドアが開いていた。
ドアの向こうには、ペンチや先の黒くなったハンダのような工具が綺麗に壁に掛けられているのが見えた。そして汚れたイーゼルが中にありその上にキャンバスが乗っている。
キャンバスには………何かの絵が書いてある?何だろう?
「ソラ、ちょっとあの部屋見に行ってみない?」
ちょうどロアが僕にそう尋ねた。どうやら同じことを考えていたようだ。
こそこそと、ヒナタさんの目を盗んで僕らは奥の部屋へと向かった。
部屋に入ると、こもったような鉄臭さが鼻を通った。
ロアと一緒に部屋を見回す。カラフルな油絵、何かの設計図、そして水彩画とこれはアクリル絵具だっけ?蒼い絵が壁にたくさん飾ってあった。そして横の棚には小さな人形みたいなネジ細工もあった。
「…なんか、いっぱいだね」ロアがいった。
「そうだね」
「あ!この子かわいい!」
ロアはボルトとナットで形創られた白銀色の翼を持つうさぎの小さなフィギュアを指差した。
「かわいいけど...いや、凄い作りだぞコレ!」
そのうさぎをよく見てみると、目は赤く塗られルビーの宝石のようにピカピカと輝いていて、翼は白銀の羽根が一枚一枚丁寧に彫られていてこの小ささからは想像もできないほど精巧な作りになっている。それでいてボルトナットうさぎ本体の作りは、ボルトとナットが角ばっている素材にも関わらず、丸みを帯びていてどこか可愛らしさがある。そうみると確かに「かわいい」
でも、「かわいい」それだけでは片付けられないような作者の途轍もない熱量がこの作品から漏れ出ているように見えた。
そうしてしばらく二人でアートを眺めていた。
僕らの目線がまばらになってきたとき、僕は机の上のある写真に目が行った。
三人家族の写真。幸せそうな写真。
表情の硬い若い男性とにこやかに笑う女性が左右に立っている。
そして、その真中にいるのは、あどけない笑顔を浮かべる少…。
「うぅ……」
部屋の奥の机から音がした。
思わずロアがヒッと声を出す。
人の声?なんだなんだと思っているうちに、その声の主はモゾモゾと動き出した。
ロアが僕の後ろに隠れると同時に、声の主が顔を見せた。
「…………!」
声の主は、僕のことを見て小さく一言呟いた。
「......セ?」
ガバッと起き上がったと思ったら、声の主はみるみる間に近づいてきた。
「...ナツセなの?」
女性の声だ。海風のような爽やかであたたかい声。
女性はいつの間にか僕の両肩を掴んでいて、僕に顔を近づけてじぃっと見つめている。あまりにも顔が近いもんだから目のやり場がなく、僕は不可抗力で女性の顔を見つめ返すしかなかった。
赤色が混じったような茶髪に近い黒髪はショートボブ、キラキラとした黒い目は子供らしさが少し残っていてとても若く見えた。
数十分と感じるような一瞬が過ぎた時、女性は遂に口を開いた。
「...メガネどこ?」
傍にいたロアが素早く床に落ちていた茶色のメガネを女性に手渡した。
振り返ってロアをチラッとみると、ロアの顔には驚いて飛び上がった猫のような表情が張り付いていた。
────────数分後
「ソラくん、本当にごめんなさい...勘違いしちゃいました...」
声の主は手を顔の前で合わせて謝った。
「いや、大丈夫ですよ、僕たちだって勝手にはいっちゃってますし、むしろ謝るのはこっちです」
声の主はヒナタさんが言っていた例のお嫁さんだった。ヒナタさんよりももっと若く見える。服は茶色のオーバーオールと白い半袖だ。
...確かにヒナタさんとはお似合いの夫婦だと感じた。服も似てるし。
「いやー作業に夢中になってたらまさか!寝てしまっていたとは〜でも!色々とアイデアが思いついたし、めちゃよかった」
僕らはいつの間にか仲良くなっていて、他の絵も色々と見せてくれた。
「あ!この絵も可愛い‼︎」
「でしょ!私が描いたの。自分でも可愛く描けたな〜と思ってたんだ!」
「絵が上手く描けるなんてすごい!あ!こっちの絵もすごい!」
「あ!そっちの絵はねぇ…」
しかし、女子トークが続くそこに僕が入る隙間などなかった。
いつのまにか部屋のドアの向こうから紺のジーンズに着替えたヒナタさんが顔を出していた。
「ナツさんおはよー」ヒナタさんは両手に服を持って立っていた。
「あ、ヒナタさんおはよー」ナツさんは手に持ったキャンバスボードを膝に置きながらヒナタさんに尋ねた。
「あぁ、そうだヒナタさん。この子達ってどこの子?」
「知らない子」
「そっか、わかった」
そう言い終えるとナツさんは、膝の上に乗せた絵について説明し始めた。
僕は違和感を覚えた。しかし、見ず知らずの少年少女を出迎える夫婦のその様子にではない。
その光景を見て、なんとも思わなかった自身の心に違和感を覚えたのだ。
僕はまだ若いし、まだまだ未熟だが、これでも軍人の端くれである。人間は見知らぬものには何かしらの警戒心があるはずだ。それも、人との関わりが強い者であればより強固な警戒心が生まれるはずだ。
しかし、この二人から僕は、疑いの心が一つも生まれなかったのだ。
ロアの言うように、ヒナタさんたちはただ単純に僕らに優しくしてくれるいい人、ほんとにそれだけなのだろうか。
なら僕の心に生まれたこの感情は一体何だというのか。
とりあえず僕らはヒナタさんが持ってきた服に着替えた。僕は白色の半袖と黒い長ズボンを着た。風通しがよく動きやすい良い服だ。
ロアが無地の白Tと紺色のジャンパースカートに着替えて部屋から出てきたところで、作業部屋から出てきたナツさんと目が合った。ナツさんはにこやかに手を振ってくれた。
そういえば、ナツさんに聞きたいことがあったんだった。
「ナツさん、そういえば最初に言いかけた『ホシセ』って何なんですか?」
ホシセという言葉を僕が口にしたとき、ナツさんの眉が少し下がった。
「あぁ、そうだねーわかんないよねごめんね」
ナツさんはそう言うと作業室に素早くいって戻って来た。
ナツさんの手には先ほど僕が眺めていた机の上の写真があった。
「この子の名前がホシセなの」
ナツさんは写真の中の子供を指さした。
「それで、私目が悪いし、寝起きだったりでぼやけたソラくんの姿がホシセそっくりに見えたの」
そうだったのか。ホシセは人の名前だったんだな。
でもそれなら、どうしてナツさんはあんなに必死そうな顔をして僕の顔を確認していたのだろう。
「…間違っていたら申し訳ないんですけど、このホシセくんってもしかして亡くなってます?」
ナツさんは静かに頷いた。
「そう、ホシセはもういないんだよねー」
気軽そうにナツさんはそう答えた。
「………いや、すいませんでしたこんなこと聞いちゃって」
「あ!いやいや、いきなりホシセなんて言われても『なんのこっちゃ?』だもんねしょうがないよ」
そういったナツさんの顔はどこか悲しげに見えた。
しかし、間髪入れずにナツさんは。
「それじゃあ、今度はこっちが話を聞く番だね!」
「いつの間にターン制を導入してんですか」
「じゃあねぇ、ソラくんたちはどこの子なの?」
うぐぅ………まぁいつか聞かれるとは思ってたけど。でもこんなに遅くなると思ってなかった。でもここで合衆国の子と思われるわけにもいかないから。答えるとしたらそうだな…
「………実は僕たち家出してきてるんで、あんまり言いたくないです」
「家出!?!?」
あ、しまった答えじゃねえぞこれ、終わった。
「家出かぁ、懐かしいな。私も一回やった事があるからね。できる範囲でなら何でも協力するよ!」
え? (スロットが再回転しだす音)
「とりあえず気が済むまでここにいなよ。ヒナタさんもきっとそうするはずだから」
『家出に理解のある人?』で良かったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。
「それと、ソラくんとロアちゃんってどんな関係なの?」
僕とロアの関係、それは。
「友達です。行き先がたまたま一緒の」
「そっか、それはいいね」
ナツさんは笑顔とともにそう返してくれた。
ナツさんとの会話を終え、ロアのところに戻ろうとしたとき。家の外から車のエンジン音がした。
窓の外を見てみるとそこにはOD色をしたジープが一台、ヒナタさんの家の外に止まっていた。空はなんだか優れないような色をしていた。
僕は素早くその場を離れた。
そして部屋の中でくつろいでいるロアを見つけるとすぐさま声をかけた。
「ロア、今すぐにここから離れるよ」
「ん?どうしたのソラ?」
「皇国軍が来た」
僕らは静かに裏口の扉に向かった。そこにちょうどいいサイズのサンダルが一足と、僕が履いていた軍靴が運良くそこに置いてあったのでサンダルの方をロアに渡して扉の外に出た。目の前には雑木林が並んでいて僕らはそこの隙間を通り抜けていった。
雑木林を抜けた先に道が見えた。日陰でジメッとしているあぜ道だ。周りを見てみるとただ田んぼが広がっていて、用水路の水が流れている音と蝉の音のみが響いていた。そこで僕らは一息ついた。
「ロア大丈夫?歩きにくいところを進んで来ちゃったけど」
「なんとか大丈夫、でもソラ。なんで裏口があるって知ってたの?」
「一番最初に家に入ったときに一通り間取りを確認しておいたんだ、だから裏口があるってことを知ってたのさ」
「なるほどね」
そんな感じでとりあえずそのままの状態で飛び出してきてしまった。
どうしようか。どこに行けば大丈夫なんだろうか。乗ってきた戦闘機は壊れてしまったし、(多分皇国軍がヒナタさんの家に来ていたのは壊れた戦闘機の残骸がヒナタさんの畑にあったから、それについて事情聴取をしに来たのだろう)
ナツさんは、気が済むまであの家にいてもいいといってはくれたが今僕たちがあの家にいる理由はない。僕たちが今するべきは、軍にバレずに皇国ではない何処か遠くに行くための移動手段を手に入れることだ。でも移動手段なんて何処で手に入れたらいいんだろうか…
そんな感じで考えながら歩いていると、ロアが話しかけてきた。
「ねーソラ、ヒナタさんとナツさんには何も言わずに出てきちゃったけど大丈夫なの?」
「え?あぁ、多分大丈夫。むしろ、今、僕たちが出ていったほうがヒナタさんたちからしても都合がいいはずだ、それに朝知り合ったばっかりの人にこれ以上にお世話になるわけにも行かないしね」
「いや、この服とかお昼とかのお礼とか必要だったなーって思って」
「それは、きっと大丈夫だよ」
「ソラがそういうなら…」ロアは顎を少し傾けた。
周りを警戒しながら少し先を進むと下り坂が見えてきた。その下り坂の先をみるとその先にはに大きな都市が見えた。
「ソラ、とりあえずあの都市の方にいってみない?」
彼女は横目で目配せをした。
「...確かに良いかも。僕たちの乗ってた飛行機だって壊れてしまったし、この皇国軍の目から逃れられるし、もしかしたら合衆国の追手から逃げるための手段が手に入るかもしれない」
「じゃあ決まりね」
しかし、数分歩いたところで気がついてしまった。
夏だ。
夏なのだ今は、湿気を含んだ嫌な暑さだ。
そしてここは山だ。見ればわかるが山なんだ。
傘も持たずに出ていってしまった僕は馬鹿だった。
空は急に黒く曇り始めてきた。
『ぅおおおおおお!!!!!!!!』
「この辺ッ...なんもないんだねッ!(バシャバシャ)...雨宿りできそうな木すらない!」
「うん!本当に何もないねッ!(バシャバシャ)やらかした!もっとちゃんと考えてから行動すればよかったッ!」
僕らは地面だったところをバシャバシャと蹴りながらこの雨を凌げる場所を探していた。
くそ…正直山を舐めていた。ここから街まではまだまだ遠い。目測で十キロ以上はあるだろう。
このままでは2人ともびしょ濡れになって力尽きてしまうのでは?
んなわけないか。
でも、この状況を切り抜ける手段は僕らには何一つないのだ。
「...この先どうしよう...僕ら無事に街まで辿り着けるのか?」
あぁ、悪天候と不安が重なって嫌な気分になってくる。
ぁぁ...いったいどこで道を間違えたと言うのだ。
ヒナタさんの家から傘も何も持ってこなかったところ?
もっとその前?
戦闘機のステルスさえどうにかなっていれば、僕らはあの家に居続けたのだろうか。
いや、もっと前か...
戦闘機さえ壊れなければこんなことには...
「戦闘機さえ壊れずにいれば、雨空なんか気にせずに空を飛び続けていたのかな...」
「雨空...?」
ロアが急にそこで立ち止まったかと思ったら空を見つめて、一つ呟いた。「空...雨空...」それだけを言い残してロアは黙り込んでしまった。
「ロア?どうしたの?」
ロアが立ち止まっている間も雨は容赦なく降り荒んでいく。もうとっくにびしょ濡れではあるがこれ以上濡れてしまうと、ロアが風邪を引いてしまうかもしれない。
僕にはロアの足を留めないように先に進ませることしかできなかった。
「ロア!どうしたの!?とりあえず先に進まないと!」
「..........」
「ロア!動いて!!!」
「.........そうだ!」
ロアは突然何かを閃いたように大きな声でそう言った。
「…ソラ、私思い出した!」
「え!なんか雨を凌げる何かがあるのか?」
彼女の方をみてもヒナタさん家で着替えてきた服以外は何も持っているようには見えなかった。
一体何があるというんだ。
「………え!?」
瞬きもしない間に彼女の背中から白い結晶のようなものが吹き出した。そしてもくもくと雲のように結晶が固まっていき、ついには白い翼となった。
そして唖然としている僕の腕をグッとつかんだと思ったら、少女は勢いよくジャンプした。
「…………」
気がつけば、僕らは雲の上を飛んでいた。
僕は彼女の両手に掴まれてぶら下がるようにして飛んでいる。上空は強風が吹いていて今にも手が離れそうになる。下に広がる雲海が全部フカフカの羽毛だったら良かったのにとか考えながら落っこちないことを祈っていた。
「やった!やった!ソラの言う通り、私本当に飛べたよ!」
確かに彼女が言うように僕らはものすごいスピードで空を飛んでいた。これならすぐにでも街に着くことができるだろう。
というか、本当に空を飛んでいるじゃないか。記憶が無いはずなのになんでロアは空を飛べたんだ!?驚きと興奮で心臓がバクバクと唸っていた。
「ロア!なんで急に空を飛べるようになったんだ!?」
彼女は一度大きく翼をばさりとさせてから言った。
「ソラが言ってたじゃない、『ロアが翼でも生やして飛べば早いんじゃないか』って、今!思い出したの!!空の飛び方を!!!」
展開が早変わりしすぎてなんだかよくわからなくなっているがとりあえず、ロアは空を飛べるようになったんだ。
そう思うことにした。
そんなことをしているうちに雲を抜けて雲上に飛び出した僕たちは雲の隙間から見える都市を見つけた。雨に濡れた都市の姿は西日に反照して輝いて見える。彼方はもう雨は降っていないようだった。
「ソラ!前見て前!」
「…!」
目の前には大きな虹が見えていた。都市をまたぐくらいの大きな虹だ。反照した西日は虹にまとわりつく雲を黄金色に染め、奥の空は蒼く碧く澄んでいた。
ポツリと少女がつぶやいた。
「きれいだね」
その景色を見つめていた僕は、静かに頷いた。
景色に見とれているうちに、ロアはぐんぐん高度を下げていた。先程まで見ていたビルがもう目の前だ。
「ロア、人がいないところを探すからそこで降りてくれないかい」
僕が良さそうな場所を見つけるとロアはそこまで急降下して、ふんわりと降り立った。
「よいしょー!!ふー!疲れたー」
お疲れ様と、冷たい飲み物でも差し出したいところだが、近くには自販機すらありそうになかった。
「ロアお疲れ様、とりあえずこの近くには何も無さそうだから少し歩かなきゃ行けないけど大丈夫?」
「うん、すっごくお腹減ったけどなんとか歩けそうだよー」
「じゃあここからは歩いて行こうか、その翼しまえる?」
「オッケーオッケー」
「…っ、翼の生えた子が空から飛んできた…」
「...マジかよ」
『シュッ』っという音とともに羽の色がどんどんと薄くなって翼は完全に消えた。
「できたよーそれじゃいこっかれつごー」
彼女の合図とともに僕らは軽快に歩き出した。
『………………………………………ん???』
今僕ら以外に誰かいなかったか?
ゆっくりと後ろを振り返る。
すぐ後ろで胸ポケットから緑色のイヤホンを覗かせた女子学生と両手で自転車を押し歩いていた男子学生が僕らを見てポカン口を開けていた。
あ、やべ。
「逃げよ!!!」
僕とロアは今出せる力を振り絞って全速力で走り出した。
「あ…まッ待てー!!!」制服イヤホン少女は駆け出した
「って、オイ!なんで急に追いかけようとするんだよ...!」
男子学生は自転車にガバっと飛び乗って走り出した。
後ろを振り返ると先ほどの少女が僕らを追いかけてきているようだ。
僕は顔を向き直してまた足を加速させた。
僕らは路地裏を抜けて、幾つもある自販機の横を通り過ぎ、降り坂を転がるように降りて、今度は逆に這うように登り坂を駆け上がる、カラフルなコンビニの横を走り抜け、ランニング中の学生の中に隠れ、橋の端をわたり、凄い高いビルのエレベーターボタンをを押すところで警備員に止められ、公園のブランコに揺られ、滑り台を滑って。人混みの中に紛れ、横断歩道を横断し、近くのベンチでねたふりをして、古本屋で身を潜め、行き止まりの壁をキックで乗り越え、ロアを担いで、ロアに担がれて、垣根のなかを匍匐前進で進み、寿司と描かれた店の前で腹を鳴らし、焼けた肉の匂いに気を狂るわせ、野外ライブをするギター弾きの演奏にノリノリになり、図書館では静かにし、服屋でマネキンに扮し、蝉時雨に耳を傾けて、夏の夢に染まって、雨が降ってきたので雨宿りして、降り止んだからまた走り出して。
そうして、おそらく数分くらい走って横に赤いタワーが立っている河川敷のようなところで力尽きた。
僕らはその場にへたり込んで息をハアハアとさせた。
喉は限界まで渇き、ロアに至ってはそれに加えて腹の虫がとんでもなく怒っていた。
「ここまで来ればッ…流石に撒けたはず…ハァ」
「いやッ…でも…ソラ、…走ってもう疲れた…ハァ」
「いやー2人とも早いね...追いつくので精一杯だよ…!」
『…えっ?』
すぐ後ろに制服姿の少女が立っていた。
「うわぁッ!?ここまでついてきてるって、嘘だろ!僕らをどうする気だ!?」
「やるってんなら、とことんやっちゃうぞー!」
ロアは両手をギュッと握り締め、握りこぶしを振り回しながら叫んだ。僕もそれにつられて戦闘態勢に入ってしまった。
そんなときだった。
「ぐきゅるるるるるる…」ロアの腹の音が鳴った。同時に体の力が抜けたようで、ロアはその場にパタリと倒れた。
『だッ大丈夫!?』 僕らを追いかけてきた制服姿の少女と僕は、倒れたロアを心配して声をかけた。
「……エネルギー切れ」
ロアはそこで力尽きた。
※この作品は、Orangestar さんの「アスノヨゾラ哨戒班」の二次創作です
※この物語はフィクションです。実際の事件、人物、団体とは一切の関係はありません