NSCに行ってた頃の話①
最近は在宅勤務が続き、オンとオフの差がほとんどなく、気が滅入ってきたので、昔の振り返りでもしようかと思う。
テレビ番組のプロデューサーをしているのだから、番組制作の裏側や、アイドルやタレントの素顔みたいなことの方が需要があるかもしれないが
どうせそんなに多くの人は読まない。
気分転換で書くのだから仕事からは離れたい。
雑文だが、少しでも興味ある方がいれば、読み進めて欲しい。
今から14年前、私は大阪にあるNSCに入学した。
聞いたことある方も多いと思うが、吉本興業の養成所で、確か、ニュー・スター・クリエーションの略だったはずだ。
入学式は、なんばグランド花月で行われた。
内容は全く覚えていないが、NSC29期生として、600名程度の同期がいたと記憶している。
今はどうかわからないが、当時NSCは誰でも入ることが出来た。
1回の集団面接を経て合格通知、期限までに入学金と年間の授業料を含めた40万円を支払えば入学が認めれた。
大学生だった私は、1年間バイトで貯めたお金を全てそこに費やした。
当時はとてつもなく高く感じたが、今思い返せば、あの経験を40万円で買えたと思えば、安い。
と、思いたい。
最初の授業は簡単なオリエンテーション。
芸人として活動していく上での心得みたいなものを、誰だかよくわからないおばちゃんが話していた。
この人はこれでお金を稼いでいるのか。ということに関心がいってしまい、大して何の知識を得ることもなく終えた。
そこから数回に渡って、各講師の授業があった。
ネタ見せをする講師が8名いて、あとは発声、ダンス、それぞれ1名ずついた。
授業と言ってもネタの作り方は教えてもらえない。
それぞれが作ってきたネタを、順番に2分程度披露し、講師からダメ出しを受ける。
ひたすら、それの繰り返しだ。
「こいつは、何でNSCに入ってきてしまったんだろう?」と思うような同期もたくさんいた。
ネタを全く覚えていないやつ、人前で声を出すことも苦手なやつ、ネタすら作ってこないでメモ帳に一人で○×ゲームを展開させているやつなど。
入学してからしばらくは、ランダムで約60名程度に分けられた固定のクラスで授業を受ける。
その中で、とても自分たちに敵うような相手はいないと思っていた。私は、ある経験をもとに、とてつもない自信を持っていたのだ。
ただ、そう思っているだけであれば私は相当痛い人間だが、それくらいは皆様に許してもらえるだけの根拠を記しておきたい。
私は基本的に真面目で、博打も好きではない。
出来れば堅実に、個室系のおしゃれな居酒屋よりチェーン店へ行きたい人間だ。
そんな私がなぜ自信を持てていたのか、NSCに入学した理由と合わせて書いておこう。
高校3年生の秋、私はラグビー部の同級生と度胸試しで出たM-1グランプリで3回戦に進出した。
私の芸人としての活動のピークはおそらくこの一瞬であり、これ以上のトピックはないとハッキリ言える。
たった数ヵ月練習しただけで、ほとんどプロしかいない上位200組に残れたのだ。
「これなら、プロでやっていけるやん」
と本気で思うには十分すぎる結果だった。
私は、すぐにNSCに入ってプロになろうと決めたのだが、相方が迷ってしまい、何度か説得している間に履歴書が間に合わずその年は入学出来なかった。
そのまま、相方と一緒の、既に決まっていた大学に進学して、来年入学するためのお金を貯めることで落ち着いた。
ただバイトをするだけでは時間が勿体無いので大学のお笑いサークルに入り、学内でネタ披露を重ねた。
このお笑いサークルには、現在で言うところのカズレーザーさんとさらば青春の光東ブクロさんのコンビ、フルハウスがいた。
フルハウスがいたおかげか、当時の学生お笑いの中では群を抜いてレベルの高いサークルで、運良くNSCに入るまでの1年間でネタを何本も仕上げることが出来た。
他にも、芸歴2~5年目のNSC卒業生が主宰しているインディーズライブに出演させてもらっていた。
ここで、NSCを卒業しても簡単には吉本所属にはなれないこと、ネタの作り方なんて教えてくれないことなど、内情をとことん教えてもらった。
就活でいうと、どの質問にも返せるエピソード持ってて、OB訪問を繰り返したから御社の強み弱み何でも知ってる無敵状態で私は翌年NSCに入学したのだ。
自信の理由を、少しは納得してもらえただろうか。
しかし、この自信は半年持たないで崩れ落ちる。
同期に、見取り図がいた。
続きは、また。仕事に行き詰まったら書こう。