NSCに行ってた頃の話②
NSC29期生として、万全の態勢で入学した私だったが、ハードルが上がることを恐れ、M-1で3回戦に行ったことや、既にインディーズで活動していたことなどを隠して過ごしていた。
いや、ハードルが上がることを恐れていたというよりは、その方がカッコいいと思っていただけかもしれない。
お笑い論みたくなってしまうが、人は知っていることの方が笑いやすい。
もっと言えば、面白いと世間から思われている人が、自分の知っていることに関して話していると、笑いやすい。
逆を言えば、誰からも知られていない人が、どんな面白いことを言っても笑いにくいし、それが自分の知らないことだとしたら、聞きもしない。
伝わってるだろうか?
文章が下手で嫌になる。
つまり、NSCに夢見て入学してきた若者Aと、M-1である程度実績を残している若者Bがいて
全く同じことを言ったとしても、若者Bの方が笑いを取りやすかったはずた。
それは、講師にとったらなおさらで
自分が審査員をしている大会で勝っているコンビだとわかれば、もっと、最初の頃から真剣に見ようという気になったのは間違いない。
結局、何を言いたかったかというと
入学してから3ヶ月近く、全く評価されない日々が続いていた。
評価がわかりやすく形にされるイベントがあった。
選抜クラス入りの発表だ。
選抜クラスに入ると、ネタ見せの授業の回数が増えて、週に何度もネタを見てもらえる。
20組近くが選ばれていたが、その選抜に我々のコンビの名前はなかった。
焦った。
私のいるクラスからは誰も選抜クラスには選ばれていなかったことから、ただ自分のいた場所がレベルが低かっただけなことを知った。
その時期からネタ見せへの取り組み方を変えていくことにした。
それまでは「せっかくのネタ見せなのだから、新ネタを見てもらおう」と毎回、新ネタで挑んでいたが、それをやめ、過去に出演したライブでウケが良かったネタを披露し始めた。
ネタを探求するより、先ずは講師に認められなかったら何も始まらないということに気付いたのだ。
すぐに結果は出た。
特にM-1の予選を勝ったネタは評価され、直後に「明日から選抜クラスに来い」と吉本の社員さんから連絡を受けた。
はじめから実績を名乗っておけば良かった、本当に。
NSC生の夏は、二大イベントがある。
今宮戎マンザイ新人コンクールと、全組ネタ披露した実力で振り分けされるクラス替えだ。
今宮戎は、かつてダウンタウンさんやナインティナインさんが受賞されていて、ここで賞を獲ることが、同期から一歩抜け出すチャンスとなる。芸人になろうと決めた時から、ここで優勝してからのサクセスストーリーを想像するくらいの夢舞台だった。少なくとも当時は、そうだったと思う。
予選会は審査員の方だけに、ネタ見せと同じような形で行われた。
ハッキリと覚えているが、自分たちがネタ披露している間、2人いる審査員のうち、1人のおばあちゃんは寝ていて、おじいちゃんはお菓子をつまんでいた。
それだけで、私の描く夢物語は、儚く消えていった。
ただ、同期で1組、今宮戎で賞を獲ったコンビがいた。
そのコンビの名前は瞬く間に同期の中で広がり、一気に注目されるようになる。
ネタは1度も見たことのないコンビだったが、見た目に華があって、廊下で彼らとすれ違った時、NSCに入ってから初めて悔しさという感情が芽生えた。
だが、そんな彼らが29期の先頭を走るわけではなかった。結果を残し続けないと評価されない世界だということも、同時に彼らから教わることになった。
続いて行われたのが、クラス替えだ。
クラス替えのためのネタ見せは、NSC生の全組が、講師や社員などの前で1組ずつネタを披露していき
A、B、Cの3段階でクラス分けされるというものだ。
我々のコンビはBクラスで、Aクラスは該当者無しという結果だった。
確か、Bクラスは4つあり、1つのクラスに10組程度が所属することになった。
吉本から「29期は不作の年だ。」と言われ、夏が終わった。