「この森で、天使はバスを降りた(The Spitfire Grill)」続き、つながることに、深夜書店。
地続き(じつづき)とは、
ある場所から他のある場所まで、土地が続いていること。
そして地上にあるものは、すべてが果てしない空につながっている。
地をしっかり踏みしめて生きていく。
翼のないこの身体、それでも、。
なくしても、壊せない、
想い、だけでも羽ばたいていく、
彼方に在ろうとも、心は、
同じ空から朝の光をあびて、
続き、つながることに、。
陽光そそがれるのが長くなってきた、そんな時節。
先日、歳月を経ての懐かしい再会をした。
まだ若いけれど、幼子を喪った痛みと向き合いつつも、、
すっかり強くたくましい女性になってた。
懐かしい景色をいっしょに観に行くことになった。
女性の住まう最寄り駅まで電車で俺(詩人)が行くと、車で来てくれた。
若くして夜のお仕事されていらっしゃるとき、飲酒運転には気にしつつも通勤には原付バイクを乗り回してた女性の記憶しか刻まれていないから、なんか笑えた。
途中で、車の運転を交代させられた。
景色地域まで行く土地勘がないのでわからないし、とのこと。
なににせよ、地域に到着してもその景色場所に車で走行していくのは大変だ。
かなり道幅もせまくて坂道も急なので、、。
歳月を経てのおかげで俺(詩人)はゴールド免許だ、久しぶりの運転になるけれど、、安心したまえ、と言ってあげた。
それにまつわることや、想い出ばなしやら、あれこれ車中で話した。
とある場所、とはあくまで小説作主人公の物語での設定だとも、。
そそ、
車間距離、道路の中央に寄りすぎる、わき見運転やめて、等々。
けっこう、うるさいことを言う女性になってた。
昔はそんなことちっとも言わなかったのに、。
それでも昔みたいに、話してるとちょっとのことでおたがい大笑いした。
なにが面白いのかわからないけど、笑ってその場を和ませようとする性格は懐かしかった。
泣いたように、笑うその表情も。
「故郷地の綺麗な空、、。深夜書店。」でも語った地域、墓地からも山手にあがった場所。
俺(詩人)が生まれ育った故郷地、旧家があったところの細道から神社のある山のほうへとあがっていくと、展望台がある。
東部にあたる町の丘陵は海抜100メートルである。
この地域、市では最高峰の場所だ。
ここからの見晴らしがなんとも心地いい。
高層階から見下ろすように映らないのがいい。
一歩、踏み出せば真っさかさまに墜落するような高さではない。
天空を飛翔する能力はないわけだから、、。
地続きに景色が広がっていく場所。
すぐ眼前にはこの足で歩き、踏みしめた地域の町並みが映り、そこから遥か水平に景観が広がっている。
傾斜はあるけれど、この場所からでも一歩、踏み出せる。
しっかりと地を踏みしめていけば、遠い地にそびえる建物がある場所にもたどり着ける。
地続きに景色が映る場所すべて、そこから先の世界へも、。
単純で簡単な理屈を教えてくれる。
幼少のころや、思春期まっただ中に観ていた世界への感じかたとは違うようで同じなのかも、と。
地上にあるものは、すべてが果てしない空につながっていることを。
この場所でいっしょに景色を観つめた大切な存在たち。
時間軸、どんな年代のなかでも。
面影、も。
恋人たちも友人たちも親族一同たちも。
愛犬も愛猫も、この場所にいっしょに訪れたことがある。
黒猫びよんせちゃんは、夜な夜な車でいっしょに連れてこられてまぁまぁ迷惑そうな顔はしてたけど、、ふぎゃ~、とか不満の声をあげることはなかった(笑)。
じっと抱っこされたまま同じように景色をながめている風情だった。
その野性味たっぷりの黒毛からの体温を惜しみなく、抱いてるこの身体にそそいでくれてた。
耳をときおり動かして樹々や葉が風にゆれるさまを、くりくりの黒曜石の瞳でみつめてた。
自然の景観の美しさと神秘を感じとれる生命は、
人や獣であろうとなかろうと、
生涯に飽きてしまって疲れたり孤独に哀しむことはないんやろう、
そう感じさせてくれた場所のこと。
そ~いえば、ふたりして大声だしてここから空に向かって叫んだことがあった。
日頃、外ではクールで、まったくそんなことをする女子には見えなかった、、。
この場所を気に入ってた昔の恋人のことを思い出した。
昔、キャバクラ店舗任されていた時代に出逢った彼女に対して、。
面影、の名前と間違えてその名前を何度も呼んでしまったこともあった、、。
それで不機嫌になることはなくて感情をあまり面にださない、猫が好きだった恋人。
彼女は、そんな俺の心に在りつづけてた面影、のことも好きだと云ってくれてたけど、、。
猫みたいにツンデレな性格。
ときどき、つくったような笑顔をしたけれど、その顔がとても綺麗だった。
bar営む幼馴染友人の初期のころの店にも、よく一緒にいった。
お酒はあまり強くなかったから、。
でも、その横顔がいとおしくも懐かしい。
ノンアルコールのカクテルつくってもらって、美味しそうに飲んでた。
一緒に観た印象深い映画のひとつが、その恋人とDVDを買った。
「この森で天使はバスを降りた」。
嘘なんてつきたくてついてる者なんていない、って信じることができた。
やさしい嘘、。
懐かしい再会をした女性もこのDVDは、そういえば観てたことあったなぁ、。
・・ってことから思い出した。
まぁ、ややこしいけれど、年代によってその時代ごとに時間軸が違う歳月を経る生涯だったから、。
「この森で、天使はバスを降りた(The Spitfire Grill)」。
1996年にサンダンス映画祭、日本では1998年1月15日に公開されたアメリカ映画。
ある夜、小さな村にトランクひとつでバスを降りた若き女性がいた。
アリソン・エリオット演じるパーシーは5年間の服役だった刑期を終えて出所し、メイン州の小さな町で人生の再出発を望んだ。
彼女は、見かけは無愛想だが心優しいエレン・バースティン演じるハナが経営する軽食カフェ「スピットファイア・グリル」で給仕として働く。
気難しい年寄りハナが経営する村の食堂で働くパーシーの、魔法のようなアイディアが小さな村に変化をもたらす…。作文コンテスト!!。
美しい田舎町の景色に目も向けなくなっていた町の人々、。
パーシーの純粋な優しさにつつまれ、傷ついた心も次第に癒されていく。
でも、もっとも傷ついていたのは、、
やさしい嘘、がつける女性パーシーだった。
天使、に癒されたような感動に心を満たされる人間ドラマ。
舞台地を囲む森林や谷間の急流など、大自然の映像美は清らかで心地いい。
また彼女はなぜ罪を犯し服役したのか、ハナのとる奇異な行動など、。
数々の謎が描かれ、終幕までついひきこまれてしまう絶妙の物語展開。
尖った雰囲気を少しずつほどいていくパーシー役のアリソン・エリオットの演技がとてもよかった。
本作が初監督作品のリー・デヴィッド・ズロトフが監督・脚本を担当した。
動画↓。 「The Spitfire Grill (1996) Official Trailer 」2分01秒
1996年のサンダンス映画祭で観客賞を受賞したため複数の配給会社による競争入札が行われた。
もっともアメリカでの公開時には、観客や批評家からは、映画祭の時ほどには好評を得られなかった。
2001年には、オフブロードウェイでミュージカル劇化されている。
日本では2009年5月にシアタークリエで上演された。
動画↓。 「The Spitfire Grill Shine」4分55秒
懐かしい再会をした女性は景色を観た後、自分の用事の時間が迫っていたにも関わらず、わざわざ車で俺(詩人)が住まう地域まで送ってくれた。
まぁ、その際は俺(詩人)に運転させてのことだが、帰路はアクセル踏み込んで相当かっ飛ばしたんだろう。驚くぐらい早くに戻った知らせがLINEで届いた。
すっかり強くたくましい女性になってた。
歳月を経てこその心のゆらぎ、。
さみしいくらいに、。
つかの間の再会時間が終わってみたら、
その日のほんの短い時間でしかなかったことにも気づいて、。
続き、つながることに想いを馳せた。
地続き(じつづき)とは、
ある場所から他のある場所まで、土地が続いていること。
そして地上にあるものは、すべてが果てしない空につながっている。
地をしっかり踏みしめて生きていく。
翼のないこの身体、それでも、。
なくしても、壊せない、
想い、だけでも羽ばたいていく、
彼方に在ろうとも、心は、
同じ空から朝の光をあびて、
続き、つながることに、。