繰り上がりのたし算
繰り上がりのたし算に出会ったとき、ちびっこたちはどのような反応をするだろうか。
①特に反応を示さずに、たし算をする。(数え足し)
②繰り上がりのたし算だ!と先行知識をもとに反応する。
③数が大きくて混乱する。
この3パターンありそう。これは仮説。
ここから、授業をデザインしていく。
繰り上がりのたし算で大事なことは、10のまとまりで捉えることだと思うけど、これは先行研究をもとにちゃんと述べた方がいい。
これからに向けて、まとまりで捉えることはとても大切なはず。これも仮説。
ちびっこたちは、どう揉めるんだろう。
今までとの違いに気付くことができたとしたら、それはとても面白い。
例えば、
「答えが10より大きい!」
「10といくつのやつだ!」
「たし算はたし算」
「でも面倒くさい」
「数えるのが大変」
「9+9とか、めっちゃ大変」
「1,2,3,4,5,6,7,8,9 たす 1,2,3,4,5,6,7,8,9は1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16,17,18で、答えは18」
「大変」
「数え間違えするかもしれない」
「10+10は楽なのに」
「10といくつとするといい」
「10と3だと、すぐに13だとわかる」
など、ちびっこたちで揉めてほしい。
「繰り上がり」という言葉を知っている子がいたら、それについて知っていることを書けばいい。
「10のまとまりをつくること。」
「10のまとまりができちゃうこと。」
では、なぜ10のまとまりをつくるのか。つくらないといけないのか。つくるといいことがあるのか。
そのようなことを考えることで、まとまりにすることのよさを考えるだろう。それを、教員の介入なしにやればいい。
先行知識をもっている子が、それに対して、深く考えたい。考えることでいいことがある。それは、褒められるという外的な刺激からでもいい。その子が、それによって気持ちよくなればいい。内的なものになればいい。気持ちよくなっている子をまた褒めたならば、それを昇華?させていけばいい。
先行知識の有無に関わらず、数学を楽しめばいい。これが多分根本にあるわたしの願い。
単元観、児童観、指導観
どれが一番最初に来るのか。
それは、単元観。
じゃあ、次は?
児童の実態に合わせるのはもちろんだけど、わたしは、指導観が先に来る。それは、その単元との出会い方を演出するのは、授業という場では、教師であるから。
児童観とは、何か。
児童の中で養われていてほしい見方・考え方はあって、さらに養われてほしい見方・考え方があって、それに対して、今の実態はどうであるか、それをちゃんと見極めないと授業が上滑りするのはわかる。
でも、指導観は、揺るがないから、わたしの中にあるものだから、それを実現するために手立てを打つ。仕込む。
それは、エゴか?
教師の、わたしのエゴかもしれない。
これは、最近ずっと考えていることだけれども、どこからがエゴかを線引きするために日々実践(実験)を繰り返すのかもしれない。これもエゴか。
こういうのが、ふと舞い降りてくるから、おもろいです。どうすか。
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