オーセンティシティ
オーセンティシティと、「本当の自分探し」という日本的な現象の差異を考える、というやり方で、モノカルチャを建前とする日本の文化を問うと、良さそうな卒論が書けそう。
アメリカがプラクティカルな必要性から、メルティングポットになってもらわないと困る、ということと、カナダがプラクティカルな必要性から、モザイクであることを目指している、あるいは標榜している、という観点から、政策の比較をしたり、グラスルーツアクティビズムのフィールドワークの分析を比較検討すると、良さそうな修論が書けそう。
両方をもっと上から見て、国家と多様性の関係について、考える博論のアイデアまで、私もまだ辿り着けない。
そろそろ、私のモードがアウトプット優先から、インプット期に切り替わりつつあります。