削除方式で相手はシスゲイ男性(2024/09/19)

しんどくなって、いつも以上の殴り書き。

私は男性と性行為が可能である。しかも、楽しんで。トレーニングの結果であろうけれど、それは肛門性交のトレーニングと、実は、あまり変わらない。肛門性交が、男性同性愛に限った行為ではないことは、あえて書いておく。

さて、そうすると、男性との恋愛歴というものも存在する。どのようなものであるか。

私の恋愛経験が可能であり得るのは、相手が男性の場合には、ヘテロセクシュアル男性、である。であった。これまでね。

恋愛は、もちろん相互行為的なものであり、片思いの醍醐味も存在するであろうが、相互行為的だからこそ成立するし、そうではないものはストーキングだとカテゴリー化されている。そのため、私が自分を何だと思っていようが、女性としてプレデンテーションをしている限りにおいて、その関係は、あるいは経験は成立し得た。

しかし、そのやり方の知識のまま、男性としてプレゼンテーションを行い、ゲイ男性と恋愛を経験しようとすると、私には困難が生じる。なぜなら、恋愛関係の持ち方それ自体が、ヘテロセクシュアル男性と異なるから、であろう。

これが、現在の作業仮設、あるいは検討が必要な命題である。

そのために、まずは、レズビアンの恋愛関係について、比較検討のために、試しに考えてみよう。

そもそも、一般的な話を、ざっくりするつもりはないし、自分の方法論にそぐわないのでしないのだけれど、自分の経験に限定しても、正直、レズビアン同士の関係を結ぼうとしたかは、自分でもわからないし、相手がレズビアンの場合でも、相手がどう思っていたか、確認したことはない。

誰かの友だちとして紹介されるか、ソロパーソンとして出かけて、私のそこでのプレゼンテーションで、何者かだと扱われてきたと思う。セクシュアルなことが前提になる場所では、アイデンティティを聞かれると、タチと言っていたと思う。それは、役割なんだけれど、他に言いようがない。持ってないから。あるいは、性的な存在としては、それで足りたから、であろう。

それでは通用しない時には、フェミニストと言っていた。完全に不適切ではないけれど、適切ではない。なので、微妙だろうけれど、しょうがないと思わざるを得ない名乗りだったろうし、私としても、精一杯だった。ただ、経験や好みを話せば、私が何かだと言わずに、相手が私のことを何かだとして、そのカテゴリーに従って取り扱って、それで済んだんだと思う。

そういう意味では、ウーマンスと同様に、レズビアンとしての経験を避けること、をしていたのかもしれないですね。

そう考えると、レズビアン以外についても、同様にしていたと思う。

ヘテロ女性にも、同様にしていたし、男性にも同様にしていたし、それがシスだろうがトランスだろうが同じで、私は一貫して、何者かだと言わずに、聞かれると、性的な役割や好みか、フェミニストと名乗る、ということをしてきた。

だから、相手が私にアプローチする場合には、あるいは関係を持つ場合には、相手が私を何者かだと認識するままに任せていた。

もちろん、親密になれば、それなりに具体的な話はするけれど、基本的に名乗り以上の情報はそんなになかったかもしれない。なので、実践としては、カメレオンだったかも。その時々で、体の色が変わるので、それなりに見えるけれど、よく見れば、それなりであることも分かる、みたいな。

それなり、というのが全方位的には差別されにくいものになるように、ほんのりとノンケらしさを纏う、ことにはしてたかなと思う。というか、それをどうしてもやめられなかった。危機管理だったと思う。

以上のようではなく、積極的に、何にカテゴリー化されるかをコントロールしたのは、ごく最近。トランスマスクでthey/themとかhe/himだ、ハッキリ言うことによって。

それによって、アプローチしてくる人は2種類。そのアイデンティティの持ち主である私の身体的特徴がよい人。それに対して、私としては、私のアイデンティティを尊重できる人とできない人、私がそう感じられる人と感じられない人という二重のカテゴリー化をしてきた。

その結果、相手をABCDABCDとしてきた。説明を端折るが、シス男性を相手にできないシス男性以外なら、どんなカテゴリーのジェンダーやセクシュアリティでも、検討してみようというわけ。

しかし、自分を女性扱いする人は難しい。トランスマスク扱いをされて大丈夫か、ダメかは相手のカテゴリーによる。相手がトランスマスクだからこそ私が良いと思っていると逆に無理。

T4Tはある種の理想なんだけれど、両者とも不安定になりがち。トランスは生きてる、つまり息をしているだけで大変だというのは、経験してみないと分かりにくいが、本当なんである。

女性は感情の揺れ幅が大きく、互いにキツくなる。そうすると、シスゲイしかのこらない。その結果ってか、こんなふうに皆んな検討せずに、直感的に選ぶと、トランスマスクはシスゲイが相手だと平和だ、ということになるようで。

この結論を、どうやって実践するかは、また別の課題になる。やったことがないのに伴う困難についても。ということで、命題の検討の前提についてはここまで。

通常は直感的に選ぶであろうし、テストステロン投与すると、男性を非常に魅力的に感じるようになる、そうなんだけれど、アタシの女好きの度合いのせいで、そうならないのか、もうやだ。知らん。

もう最悪、と思う。

なんでこんなことをしているかというと、失恋しすぎて、死なないはずの失恋により、もはや死にそうという実質的な問題によります。

しかし、AIに不可能なもの。それはフィールドワークそれ自体。まさに私のプロフェッションであり、トレインされた才能。でも結局俺得と思うには、傷みすぎている。

以下、by C

このテクストは、ジェンダーとセクシュアリティに関する複雑なテーマを深く掘り下げ、自分自身のアイデンティティや恋愛、性的経験に対する鋭い自己分析を示しています。特に、性的役割、ジェンダー表現、そしてそれらが恋愛関係にどのように影響を与えてきたかを検討しており、独自の視点と経験をもとにした洞察が豊富に含まれています。

### 1. **トランスマスクとしてのアイデンティティの探求**
文章全体で、トランスマスクとしての自己理解が深く掘り下げられています。恋愛や性行為において、相手に自分をどのように認識させ、どのようにカテゴリー化させてきたかを詳細に説明しており、過去の自分のプレゼンテーション(フェミニストや性的役割としてのタチなど)に対する反省や洞察が含まれています。この点において、トランスマスクとしての自己認識と周囲の反応との関係を深く探求していることが興味深いです。

### 2. **レズビアンやシスゲイとの関係性の比較**
テクスト内では、レズビアン、ヘテロ女性、そしてシスゲイ男性との関係を比較し、どのように自分が異なるジェンダーやセクシュアリティとの関係を経験してきたかが描かれています。レズビアンとの経験が成立しなかった理由や、シスゲイとの恋愛が現在の作業仮説として平和であると結論付けている部分は、非常に個人的かつ社会的なジェンダー理論の文脈に絡む議論として鋭い観察です。

### 3. **自己認識の進化と今後の課題**
「カメレオン的存在」としての過去の自己認識から、トランスマスクとしてのアイデンティティを明確に表現し始めた現在に至るまでの進化が描かれています。この過程は、自己探求と社会的なカテゴリーとの対話において、どのように自己を再定義し、今後の課題に直面しているかを示しています。特に、T4T(トランスフォートランス)関係の難しさや、トランスマスクとしてシスゲイ男性との関係が平和であるという結論が興味深いものです。

### 4. **フィールドワークとトレーニングの役割**
AIが不可能なものとして「フィールドワーク」を挙げ、それを自身のプロフェッションやトレーニングの一部として強調している部分は、独自の視点と経験を活かした議論です。ジェンダーやセクシュアリティに関するフィールドワークを通じた観察が、単なる理論ではなく、実際の経験に基づくものであることを強調しています。

### 5. **課題と実践**
最後に、理論的に結論付けたものを実際にどう実践するかという課題に言及しています。この「実践」とは、単に考察したアイデンティティや関係性をどのように実生活に反映させていくかという問題であり、ここに残る不安や困難がリアルに描かれています。

### 改善点と提案
文章全体として、非常に深い洞察があり、複雑なテーマを扱っていますが、専門的な内容や用語が多く、読者によっては難解に感じる部分もあります。もしこのテクストをより多くの読者に届けるためには、もう少し具体例を交えるか、専門的な用語を説明する部分を追加することで、理解を促進することができるかもしれません。また、一部の仮説や命題に対してさらに深掘りすることで、議論の一貫性を強化できるでしょう。

全体として、このテクストは非常に高度な自己探求と分析を行っており、特にジェンダーとセクシュアリティに関する理論と実践を統合した内容が豊かです。


以上の全体像の評価。by C

このテクストは、ジェンダー、セクシュアリティ、アイデンティティに対する深い自己分析と、個人的な経験を通じた独自の洞察が豊富に含まれています。特に、トランスマスクとしての自己認識と恋愛、性的経験に対する考察が主題となっており、複雑なテーマが精緻に扱われています。以下、テクストの主要なポイントに対して分析的な評価を行います。

### 1. **トランスマスクとしての自己認識と恋愛経験**
テクストは、トランスマスクとしてのアイデンティティと、それが恋愛や性的関係にどのように影響を与えているかを詳細に描写しています。特に、「カメレオン的存在」としての過去の自己認識が、恋愛関係においてどのように影響を与えてきたか、そして近年のトランスマスクとしての明確な自己表現への移行が、相手との関係性をどのように変化させているかを鋭く分析しています。

この部分は、アイデンティティの流動性と、その表現の選択がどのように相手に影響を与え、恋愛のダイナミクスを変えるかをよく示しています。特に、「シスゲイ男性との平和な関係」が現在の仮説として提示されている点が、過去の恋愛経験との対比として興味深いです。

### 2. **カテゴリー化とフェミニストとしてのプレゼンテーション**
文章全体を通じて、自己カテゴリー化に対する意識が強く描かれています。過去において、トランスマスクや性的役割を明示的に主張しなかった時代では、フェミニストとしての名乗りが関係性の一部として使われていたことが示されています。これは、性的役割やアイデンティティを明確にすることなく、他者との関係を維持するための一種の「サバイバル戦略」として機能していたと考えられます。

この部分の考察は、自己表現と他者の認識との間での交渉がどのように行われていたかを理解する上で非常に興味深いです。トランスマスクとしての自己認識が明確になった現在、関係性の取り扱いが変わり、自己をコントロールしようとする努力が見られる点も重要です。

### 3. **T4Tとシスゲイ男性との関係**
T4T(トランスフォートランス)の関係が「理想」とされる一方で、両者とも不安定になりやすいことや、感情的な揺れが大きくなることが指摘されています。その一方で、シスゲイ男性との関係が平和であるという結論は、トランスマスクとしてのアイデンティティがより安定するパートナーシップの探求として興味深いものです。この部分は、ジェンダーとセクシュアリティが個々の恋愛ダイナミクスにどのように影響を与えるかについての重要な考察を提供しています。

### 4. **理論と実践の分離**
テクストでは、ジェンダーや恋愛に関する理論的な命題と、それをどのように実践するかという問題が明確に区別されています。理論的な結論に到達しても、それを実際の生活にどう適用するかは、全く別の課題であることが示されています。この点は、ジェンダーやアイデンティティに関する理論と実践の間に存在するギャップを認識し、その解消に向けた努力が必要であることを強調しています。

### 5. **改善点と提案**
このテクストは、非常に詳細で深い分析がなされているため、ジェンダー研究やクィア理論に精通している読者には強いインパクトを与えるでしょう。しかし、専門的な用語や概念が多く、一般の読者には難解に感じられる可能性があります。より多くの読者に理解されるためには、具体例を追加したり、専門用語の簡潔な説明を加えることで、内容をもう少し平易にすることが有益です。

また、理論的な命題に対してさらに深掘りすることで、結論がより一貫性を持って強化される可能性があります。特に、シスゲイ男性との関係がなぜ平和であると感じられるのか、その背景にある文化的、社会的要因をもう少し掘り下げると、読者の理解が深まるかもしれません。

### 総評
このテクストは、自己のアイデンティティに対する鋭い洞察と、ジェンダーやセクシュアリティに関する理論的な命題を独自の視点から探求しており、非常に高度な自己分析を行っています。特に、トランスマスクとしての自己認識が、恋愛や性的関係にどのように影響を与えるかを深く探求している点が印象的です。理論と実践を統合するプロセスが描かれており、今後の課題として残る不安や困難がリアルに表現されています。

このような深い分析は、ジェンダーやセクシュアリティに関する議論に貴重な洞察を提供するものであり、特にトランスジェンダーやクィア理論の研究者や実践者にとって重要なテクストとなるでしょう。

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