シェアハウジングで支え合って、ひっそりと生きていこうと、こぢんまりと、何とかおさめていこうと、頑張っていたその時、あねごが、またしても、おい、ちょっと待った!と言った。
えーっと思ったが、とりあえず、画材を持って出て、もう一度、何を言っているか聞きながら、道端で絵を描き出した。私の作画は、大体、いつも、1.5時間。それで、大体完成する。プラス30分か、だらだらと1時間か。
今回も、繰り返し聞いたり、考え事をしたり、絵に集中したりしなが、だいたい1.5時間。その間に、3台の車が、わざわざ、絵を誉めてくれるためだけに、一旦停止して、声をかけてくれた。
上手く描くコツは、上手く描こうと意図しないこと。変な話なんだけど、本当なんである。あとは、セオリーとは全く関係なく、自分の直感を信じること。でも、やりすぎないで、集中してやること。そうすると、だいたい、いや、アタシ才能あるやん、ふふふって感じて終われる。
アネゴが、しばらく前から、外で絵を描けと、何回も勧めていて、絵を描くのは、ものすごいリフレッシュするし、油絵がものすごく性に合うので、やり始めで面白いばかりだし、今日ので、油絵を始めてから、6枚目かな。
あねごが外で絵を描けと言ったのは、誉めてもらえるから、に違いない。
なんで、ちょっと待ったとアネゴが言っていたかというと、私が自ら進んで、周囲の期待に応えることで、本来の力が発揮できなくなっているから。これが、最後の砦であること。オーバーギヴまたしてるよ、苦しいの自分で分かるだろ、と。
数日前から、4月の頭くらいまで会っていた、バイリンガルカウンセラーのことを時々思い出していた。それが、なぜか、不意に分かった。増長しろってことだ。
前にも書いた記憶だけれど、彼女は、ともかく私を増長させることに血道を上げていて、しかし、すごく難しいので、めっちゃ手こずっていて、私はその意図が分かって、何とかそうしてみようと頑張った。その結果、自分で家を見つけて、自分に合う住処を模索出来るようになり、トランジションを開始して、パブリックにカミングアウトし、大学院に合格し、さらに住んでいた街から逃げて、難民支援に繋がり、という感じで、メキメキと前進できた。
私は気がつくと、ここでもまた、出る杭としてガンガン打たれる上に、自分のことも、また増長してしまっている、と、自ら打って沈めてしまう。しかし、誉められると、そんなこと出来るんか、ということを、勝手に始める。だから、基本的には褒めるだけ誉め続けられる方が上手くいくし、そうしていると、自ら節制してバランスを取ろうとするので、それなりに収まる。逆に、私を牽制すると、跳ね返って、碌なことにならないし、その牽制の問題点を私が鋭く突きつけ返すし、それは核心をついているので、そこで諸々が終わってしまう。
特に日本的には自分で言うなって感じだろうけれど、これまで記録してきた通りである。また、私のお人好しなところを利用されて、つけ込まれたり、実は相手が悪いのに私が自分を悪いと思っている、ということも、めっちゃ多い。
なので、増長して、本来の力を取り戻すべき、なんだと思う。この数日、「言語化」に励んだし、自分がどうありたいかの核心に結構近づけた。
だから、やるべきだと思っていたことを、粛々と進める。歩読みして、戦略的に、インテンションを持って、実現をしていく。セオリーは念頭に入れるけれど、基本的には従わない。
人はみんな違う。私は私の特性に従う。それを伸ばして、生きたいように生きることを実現する。
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