人の経験の形式

不思議だなと思っていたYouTubeでのカードリーディングなどが人気の理由なのだけれど。

あるいは、聞いたり見たりした時に、自分のことを言われているとかなり多くの人が思うのは、どうして可能になっているのか、についてなのだけれど、

みんなが類似の経験をしていると思うのは、あまり用意でないが、人の経験には、ある種の形式があるからだ、と考えると分かりやすい。

例えば、トラウマ経験に影響された経験、というのは、一定の形式を持っているので、トラウマ自体や、それによる影響は、それぞれい色でも、こうなったら、次にこうなるとか、こういう理由でこういうことになりやすい、というような、形式が共通している。そのために、自分に当てはめて、自分なりの読み解きをすることができる。

これは、経験の構造、と呼ぶこともできるだろうし、多くの質的研究が探求してきたことだろう。

そのことを持って、量的研究のエビデンスに相当するものだと考えられるのではないか。

つまり、多くの質的研究の方法論の理論が、同じ説明の形式や構造を持つことになっている、ということをある種のエビデンスとして考えられるのではないか。

エスノメソドロジー式に考えると、経験の仕方の差異により、採用されているルールが異なることの影響を、包含するのが難しくなる。それは、最近書いているように。

方法論や理論の書き手の経験で、異なるルールが採用されていることに気がつかないことを、デコロナイズする、ということのために、これを書いているし、これを書く試みそれ自体をデコロナイズと名付けたい、という感じでおります。

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