失っていたもの。意図して、したたかであること。
私は何をするのにも戦略的なタイプなんだけれど、それは私の脳みその特性のせいで、何をしても、それが札読みになってしまうから。
そのせいで、常に勝負をしている状況になるんだけれど、その時に、結果としてしたたかになることは往々にしてあっても、多くの場合に、それを自分に許していなかった。
しかし、である。失うものがなくなった今、何をするにも信頼や資金を獲得してからになったんだし、取り戻すべきものがある。それが、意図的にしたたかであること。
大学院に入るまでか、博士課程に入るまでか、私はとてもしたたかだったと思う。しかし、魂を売ったことはないし、体を売ったこともなかった。
私は24年間のDV生活のなかで、その関係以外でも、特に男性に金で買われないことに、金で操作されないことに血道を上げてきたが、魂は売ってしまっていたと思う。
自分のソウルを取り戻した今、魂は売らないが、後は何でも売ったらいいと思う。比喩としてね。そうして、失ったしたたかさを取り戻すべきだ。
多くの人が、私のことを下に見て、そうして離れていった。
ドムとオープンで十分なコミュニケーションをしきれていなかったように思って、再開をしたんだけれど、私のどこが良いのか聞いたら、「俺より頭が良いところ」と言った。
何でそれが可能かと言うと、そう言っても失うものがないほど、沢山のものを持っているから。私の持っていないものを。多くの人が持っていないものも。
私は下げられると、小さく収めて生きていこうとする。上げられると、計画は大きくなる。どちらが私らしいかって、後者。こけても、失うものは私にはもう何もない。
同じ人生なら、同じように辛い日々を過ごすなら、思い残さないようにやりたいことはすべてやったらいい。だから、両方やったら良いんじゃない?
多少失っても、沢山持ってるから、大したことがないのと、失うものは何もないから、得られないかもしれないだけで結局同じなら、両者はそんなに変わらない。
何を学ぶのでも、コツは、自分より上手の中に、一人で混ざること。また、私の脳の特性的に、コピーしてみること。だから、なるべく、そうやって学べば良い。生きてるだけで、エスノグラファーやってることになる私にとっては、何かを学ぶのも、それをすること。
そういう風に、そもそも私にとっては、生きることとは学ぶことだから、その力を、したたかさとして、取り戻そう。
そう誓った、新月。