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映画 『ぼくが性別「ゼロ」に戻るとき〜空と木の実の9年間〜』を観て

映画 『ぼくが性別「ゼロ」に戻るとき〜空と木の実の9年間〜』を鑑賞しました。

女性起業家仲間の、藤本加奈さんが広報を担当している映画です。



生まれついた体の性を「間違っている」と感じた主人公が、はじめは誤りを解消しようと行動、その後「男女」という枠からも解き放たれ、新たな「ゼロ」から再び歩み始める。

職業や結婚、その他、なんらかの分野で、ひとたび生きる道を定め、それを見直し、新たな方向へ歩み始める、という映画はいろいろ観たことがある気がしますが、性別、という分野でそれを観たのは初めてでした。

映画を観て、当事者の方々の生の声を聞けたこと、また、主人公のナレーションと、その時々の主人公の心情に丁寧に寄り添った映像により、主人公の気持ちを感じることができた気がします。

映画に出てくる、「ジェンダーブレッド」という考え方は、とても分かりやすく、腑に落ちるものでした。姓を、男女を結ぶ一本の線ではなく、男性性、女性性の2本の線で表すものです。


もともと私は、性は点ではなくグラデーションである、という考え方を持っていました。

14歳を過ぎたとき、生理が始まらないのは遅すぎるのではないかと調べた記憶があります。調べると言っても、インターネットのない時代のこと、情報源は学校の教科書、新聞、図書館の本、くらいしかありません。

そんな中で、どうにかして私は、
・14歳の誕生日までに生理が始まる子がおよそ9割
・個人差はあるものの、身長、体重と初経時期には関係がある
という調査結果を手にします。

当時の私は、身長160センチくらい、特にやせ型でもなかったので、身長体重から考えて、生理が遅い要因は特になさそうでした。自分が遅い方の1割に入っているのはなぜだろうと考えました。

そして、「私はぎりぎり女性だったのだ」という考えを持つようになります。

中学、高校のころ、いかにも女性らしくなっていく友人たちを見ながら、私は、「性別とは点ではなく線であり、人は男女を結ぶ線上に分布している」「世の中には、普通の女性を中心に、より充分に女性の女性と、ぎりぎりで女性側になった女性がいる。」という考えに至ります。そして自分は、ぎりぎり女性、くらいの位置に生まれたのだろう、と。

それは、決して喜ばしい解釈ではなかったのですが、少なくとも自分なりに納得のいく考えでした。それからの私は、自分の体や心に関する様々なことを受け入れながら生きてきたように思います。


映画を見て、久しぶりにそんな自分の中高時代を思い出しました。
そして、もし、多感なそのころに、心の性と体の性が違っていると感じていたとしたら、どんなに大変だっただろう、それこそ人生の一大事だっただろう、と感じます。

若いころから様々な経験をしてきた主人公のこれからの人生が、光り輝くものであってほしいと、心から願います。

また、そんな主人公の気持ちを受け止め、寄り添ってきたお母さまも、とても素晴らしいと思いました。自分も母として子どもたちの心の声をきちんと聞き、世の中の常識にとらわれずにいこう、と改めて思いました。


性別という枠を飛び越え、一人の人間として生きる。
それはとても新しい生き方と感じます。

性別にかぎらず、既存の枠から飛び出して生きようとする方々を、インターネット上では時々見かけます。(自らの意思で、家を持たない方、電気を使わない方、等々)

この映画では、ジェンダーについて学ぶとともに、あらゆる枠は確固たるもののように見えても、実は超えられるものだと、教えていただいた気がします。とても勇気づけられました。


映画を観終わり、トークショーを楽しんだ後、常井美幸監督とお話する機会をいただきました。
とても優しそうな方で、主人公の人生や気持ちの変化に柔らかく寄り添ってきたのだろうなと感じました。
人から人へ気持ちを伝える、貴重な映画を作ってくださって、ありがとうございました。


映画は8月20日まで、劇場上映されています。

渋谷アップリンク
https://shibuya.uplink.co.jp/movie/2020/56106


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