私が着物を着るようになったのは
「シリーズ和装の人たち」に取り上げていただいてから、たくさんの方から「見ました!」と嬉しい声をかけていただきます。
http://www.takaraginu.com/wasou4-7/
本当に良い機会をいただきました。ありがとうございます。
シリーズの第3回目、第4回目にも掲載がありますが、着物を着るようになったきっかけをよく聞かれるので、この機会に書いておこうと思います。
私は、若い頃は、着物には全く興味がありませんでした。
成人式も母が買ってきたスーツで出て、結婚式も純白のウェディングドレスを選びました。
着物を着ている人を見かけても、魅力を感じず、自分が着たいとは全く思いませんでした。
結婚後、20代の最後に、某きものの●●●に浴衣の帯を買いにいったのをきっかけに、義妹の結婚式の着物一式を買ってしまいました。
着物を買うつもりなど全くなかったのに、気が付いたら何十万円もする着物を購入していました。
恐ろしいセールスだと思いました。
しかし、買ってしまえば素敵な着物でしたので、とても気に入りました。
お店で着つけていただけるのが便利で、その後今に至るまで、結婚式への参列はすべて、その着物ひとつで通しています。
(プロフィール写真にも使っている、赤紫の付け下げです。20代で買うには地味な着物だと言われましたが、今となっては長く着られるものを買ってよかったと思っています。)
このお店では他にも2枚の着物を「買わされた」のですが、今は二つとも便利に着ています。
これはいわば事故のようなもので、
私が本当に着物を好きになるのはずっと後のことです。
着物に関心を持つようになった始まりは、一冊の本でした。
三砂ちづる著「オニババ化する女性たち 女性の身体性を取り戻す」です。
手に取ったのは2005年ごろだと思います。
この本が出たのは2004年。当時は賛否両論あり、ずいぶん話題になった本でした。
結婚して数年後、夫は仕事で忙しく何日も泊まりがけで帰らないこともしばしばありました。
私自身も会社員で、労働組合の役員をしていた時期です。
毎日終電近くまで組合活動をして、自分の身体を顧みるゆとりはありませんでした。
30をだいぶ過ぎて、いつかは子どもを産みたい、一体何歳まで子どもを生むことができるのだろうか、と、漠然と考えていたころですが、
私は母が37歳の時の子なので、まだそれほどの焦りはなかった時期です。
一方で、私は若いころから、かなり重い月経困難症を抱えていました。
生理の時には、身動きできないほどのひどい腹痛に襲われ、大学や会社でも横になったり休んだりしていました。
また、紙ナプキンが肌にとても不快に感じていました。
少しでも生理期間を快適に過ごそうと、まだ日本で布ナプキンがふつうに販売されていないころから、布ナプキンを使っていました。
当時は、近くに売っているお店などはなく、インターネットで探してたどり着いた、オーストラリア在住の日本人の方から個人輸入していました。
このナプキンはWEMOONというもので、今でもネットで販売されています。(今は日本で売っている方がいます)
20代後半から使い始め、その後紙ナプキンは使っていません。
そんな時に出会った、上記の「オニババ~」の本から、私はいくつかの知見を得ることになります。
まず、出産年齢には限界がありそうだということです。
自分が母から生まれた37歳までのんびりしていてはだめかもしれない、と本気で思うようになり、自分の体を慈しむことを考え始めました。
その甲斐あって2006年に娘を懐妊し、本当によかったと今でも思っています。
また、月経血コントロールというものがあることを知ります。
かつての日本人女性(本が出た当時の90代以上の女性)は、ナプキンが普及する前の時代には、月経血をトイレで排出できていたというのです。
これには本当に驚き、いつか自分もできるようになりたいと思うようになりました。
また、著者の三砂ちづるさんのことをもっと知りたいと思うようになり、著者の他の本も読むようになりました。
直接には、これが着物につながります。
2008年2月に出た三砂さんの「きものとからだ」は、長女の育児休職中に発行された本でしたので、手に取ることができました。
この本には、だれでも着たい人は着物を着ることができる、ということが書いてあります。
三砂さん自身が、大学の講義も、飛行機での旅行も、雨の日も、いつも着物を着ている日常を淡々と書いている本です。
ああこうやって着物で暮らしている人が実際にいるんだ、いつかは私もそうやって暮らそう、と思いました。
しかしその後、2008年4月から会社に復職し、息子の出産、育児休職を経て復職、2013年1月に会社を退職するまで、着物暮らしに近づく機会はありませんでした。
子どもを保育園に預けて会社で働いていた時期は、平日は家、会社、保育園の3か所(二人が違う保育園だったころは4か所)を直線的に回って日々を過ごし、休日は体力温存のため家にじっとしていました。
そこに着物が入る余地は全くありませんでした。
2013年1月に会社を退職して日々に余裕が生まれ、そういえば着物を着たかったんだ、ということを思い出しました。
インターネットで木綿の着物を一枚買い(数千円で買えました)、YouTubeで動画を見ながら見よう見まねで着て、浴衣用の半幅帯を締め、初めて街へ出ました。
同年4月から長女が学校に通うようになり、学校や地域の色々なところに着物で出かけました。
娘の入学式の着物はまだ自分では着られず、美容院で着つけていただきました。
朝早くから娘を置いて出るのは大変で、「息子の時には絶対に自分で着られるようになろう」と思いました。
このころの着方は今思えば全然うまくなくて、滅茶苦茶だったと思いますが、木綿の着物は来ていて脱げてしまったことは一度もなく、私は意気揚々と木綿の着物と半幅帯でどこへでも出かけていました。
2015年ごろ、あるセミナーにいつものように着物で参加した際に、他の参加者の方から声を掛けられました。
聞けば、雅叙園で着付けをされていたこともある方で、着方を教えてあげましょうか、とのこと。
これが私の着物の先生、永井忍さんとの出会いでした。
最初は月に2回ほど、先生のご自宅に通いました。
お稽古では、着物を着て、脱いで、また着て、、、とずっと続くのでくたくたになります。
でも、どんどん着物が着易くなり、お稽古をしたぶんだけ、うまく着られるようになっていきました。
普段も着物ででかけているので、お稽古以外にも着ることが多く、どんどん上達していきました。
着物には季節の決まりや出かけ先による決まり、小物の決まりなどいろいろあります。
座学でも、たくさん教えていただきました。
一番助かったことは、亡くなった私の祖母の着物を先生が全部見てくださり、直して着られるもの(私は腕が長いので、祖母の着物の裄(ゆき)をめいっぱい延ばさないと着られない)を見極めてくださったことです。
先生のなじみの着物店に連れて行ってくださり、とても心強く感じました。
また、単(6月と9月に着るきもの)や夏物(7月、8月に着る)、草履とバッグ、他にも、私の持っていない種類の着物を安く譲ってくださいました。
どこにいくにも困らないように、私の箪笥の着物を揃えてくださいました。
今でも、●●に行くには何を着ていったらいいか、など、気軽に相談させていただいています。
お稽古に通い続けているうちに、木綿の着物からはじまり、次第に紬や小紋などの絹の着物、そして、ついに訪問着も自分で着られるようになりました。
先生のおかげで、息子の入学式には自分で訪問着を着ていくことができました。
2016年からは、コーチとして活動するようになり、
セミナーやセッション、お茶会の主催の際に、着物を着るようになりました。
2017年、イタリア王家サヴォイア家勲功騎士団に入団しました。
騎士団の女性の正装はロングドレスなのですが、和装は正装として認められているので、私は叙任式の時も着物、正式な晩餐会にも着物で参加しています。
2018年からは小学校のPTA会長を務めており、入学式卒業式をはじめ、他校の式典などにも着物で出かけています。
どこに行っても、着物はとても喜ばれます。
式典以外にも、送別会や茶話会など、学校内のイベントでも気軽に着物を着ています。
とても忙しいお役目ですが、そのぶん着物を着られる機会も多いので、楽しんでいます。
先日先生にお会いした際に、また着付教室をはじめるというお話を伺いました。
ご希望に応じて、グループレッスンや個人レッスンをされるとのことです。
場所は吉祥寺です。
私は先生と出会い、お稽古を重ねる中で、多くの時間を先生と過ごし、着物のこと以外にもたくさんのお話をしました。
子育てのことや、親の介護のことも、いろいろ伺っていたので、父が入院してから亡くなるまでの時期にもしっかりと対応していけたように思います。
人生の先輩としても、とても尊敬している方です。
もし、着物を着られるようになりたい、興味ある、という方がいらっしゃいましたら、先生にお繋ぎしますので、お気軽にご一報ください。
「シリーズ和装の人たち」の私の記事は毎週追加されており、第7回目まで進みました。
もし、まだご覧になっていない方がいらしたら、ご覧いただけましたら幸いです。
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