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蝶々のこと

週末、おじの持っている山の家に行った。
おじは死んでしまってもうずいぶん経つ。どんな顔、どんな声をしていたか、あらゆる仔細を忘れつつある。

山の家には薪で焚くストーブがある。
ふだん電気に囲まれているわたしにとって、スイッチを押さずに自力で焚べた炎は美しい。
小さな枝を拾ってきて新聞紙とともに火を起こし、やがて大ぶりの木に燃え広がっていくまでを、飽きずに見ていられる。

少し木を足そうと思い薪を入れ、扉をまた閉めようとしたとき、視界の端になにかがやわらかく飛んだ。蝶だった。
あっと思ったときには遅く、グレーがかった蝶はごうごう燃える火のなかに飛び込んでいった。なにもできなかった。しばらく羽ばたいた蝶はじきに影のようになって、ほかの灰に混じってしまった。わたしが焼いてしまったのだ。

虫がまったく得意でないとはいえ、ひどく罪悪感がある。しばらくその場で茫然としていたとき、ふと、おじのことを思い出した。

おじの葬儀はここではないほかの森の奥でひっそりと行った。人気がなくずっと薄曇りの、とても静かな場所だった。
久しぶりの人の死にやはり茫然としていたわたしは、棺を運ぶ列の途中で蝶を見かけたのだった。

それは先ほどの蝶とはちがう、もっと白くて小さな個体ではあったが、あのときわたしは確かに魂のようなものを感じ取ったのだった。生まれ変わりとかそういうものではなく、もっと近くにある、こんな風に浮かんでいる念のようなもの。

ひらひらと頼りなさげに、でもどこか一点へと向けて飛んでいくのを見ながら、わたしは自分の生の続きのことを思っていた。
あの蝶は夏を越し、どれほど生きただろうか。それから、いま目の前で死んでいった蝶はこれまでをどう生きてきたのだろうか。

わたしは何もさしだすことはできないし、ただ懺悔して救われたい一心でこの文を書いているのかもしれない。けれどかれらの羽ばたきについて、命のことについては、覚えていたいと思う。

池と木々、水面にはさかさになった木が映っている

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