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子どもの視点、大人の目線
『ロッタちゃんはじめてのおつかい』と、『ロッタちゃんと赤いじてんしゃ』を観てきました。
本当は赤いじてんしゃが一作目なのですが、日本での公開はおつかいのほうが先だったそう。

原作者のアストリッド・リンドグレーンはスウェーデン児童文学の代表とも呼べる存在で、数々の名作を世に送り出しています。
『長くつ下のピッピ』シリーズや『名探偵カッレくん』シリーズの作者ときけばピンとくる人もいるかもしれない。
わたしは小学生の頃からリンドグレーンの『やかまし村の子どもたち』シリーズが大好きでした。
正確に言えばリンドグレーンが脚本・監修をした映画版二作を観たときからではありますが、
七歳のリーサが語る、たった三軒しかない村のなかで繰り広げられる子どもたちの遊び……
隣り合った家の窓に紐を取り付け手紙をやりとりしたり、納屋の干し草の上に寝たり、それから喧嘩やいたずらの掛け合い、
そういう姿が楽しくて、夢中になって観ていました。
追って岩波の原作三冊(大塚勇三訳、本当に素晴らしいと思います)も読み終えたとき、ほぅ……と息をついて、新作や関連作はもうないのかなとウキウキしながら巻末の作者略歴を読んだところ、没年(2002年)が書かれていて普通に絶望しました。
え、もう今後供給ないの?
こんなにいいのにこれ以上はもう本当にないの……?
と悲しくなり、幼いながらもなかば厄介オタクになりかけていたとき、見かねた母がゲオで借りてきてくれたのが『ロッタちゃん』シリーズの映画だったのです。
前置きが長すぎる。
そういうわけでほとんど二十年ぶりくらいに観たのですがとても面白かったです。
ロッタちゃんはぶたのぬいぐるみバムセとお隣の赤の他人おばあさんのベルイさんが好き。
子ども扱いされるのが大嫌い、わがまま、強情、エグいキレかたをする五歳です。マジですごい周波数の声だす。

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子どものころは、ロッタちゃん家ことニイマン家の面々があんまりよく思えず、みんな仲悪りぃな……と思いながら観ていました。
兄(ヨナス)と姉(ミア)はロッタちゃんが話すとなんかニヤけていて邪悪だし、ママンはずっと怒っとる、パパンはこう、いつも間が悪いね……みたいな。

そもそもロッタちゃんに対しても、もっと我慢しなよとか、子どもは大人に従うものだよとか、自分のなかで結構腹を立てていたくらいなので、端的に言えばあまり好きではありませんでした。
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でもそれと同時に、別に大人なんてできることが増えただけの、ただ子どもに毛が生えただけの存在じゃないかとも考えていました。
だから何かが上手くいかなかったときや困ったときなんかに大人から、大丈夫だよと言われても、何が大丈夫なんだよとふて腐れ、何も分かっちゃいないなと思う子どもでした。
まるでロッタちゃんと同じように。
わたしの大好きだった児童文学作家たちは、特にリンドグレーンは、そんな「大人」とは違った。
子どもの頃の五感を持って、仲間に入れてくれるように話しかけてくれた。
これは大人の書いた創作で、実際にこの子たちはいないとわかっていても引き込まれて、秘密基地を案内してくれたり、一緒に風や水に触れたりした、そんな思いがしてなりませんでした。
なんでこんなにわかってくれるんだろうと不思議がりながらも、じんわり心をほぐされていったことを覚えています。

自分が大人になったいま、ふたたびロッタちゃんを観たとき、この映画が何を映し、何を伝えたかったのかがようやくわかったような気がします。
ああ、ミアやヨナスの目は優しかったのだ。
小さな妹のどうしようもないわがままや嫌味を笑って流して、ちょっと疎んでいながらも愛している目。
それはリンドグレーンの、子どもを経てきた大人の目線だったのだと。
叱ったあとのママの顔、パパの言う「強情っぱり」にも、きちんと愛はあって、
わたしはそんなリンドグレーンの描く目や言葉にずっと救われてきて、守られてきたのだと。
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そんなことを考えつつ、わたし自身も大人の目をもって鑑賞しました。子どものときの視点を思い出してそれを懐かしがりながら。
リンドグレーンは多作なので翻訳された本もたくさん出ています。彼女からもらったものを大切にして、今後はほかの本も読んでいきたいなと思います。
記事内の2-7、9枚目の写真は上記YouTubeより