#66 読書レビュー記事|~神様お願い~妻が願った「七日間の元気な時間」
(書籍のネタバレを含みます。ご注意ください。)
3年前のある日、X(当時Twitter)にシェアされていた小さな新聞記事を目にする。文章を読み始めてすぐにポロポロと涙してしまった。
妻が願った最期の「七日間」、この文章を書いた人はどんな思いで投稿したのだろうか。
その小さな新聞記事が書籍化されていると知り、すぐに購入した。
筆者の英司さんと妻容子さんの闘病生活。その中で振り返り語り合った夫婦の姿や、ガン闘病生活の実際が二人のそのままの言葉で記された書籍。
新聞記事と同じタイトルの
妻が願った最期の『七日間』
残念ながら、この「妻の願った七日間」は、実現されることはなかった。ただ、詩の最後に綴られた場面を除いて。
この二人の「人生の記録」。1人の女性の死をとおして、何一つ特別なものはなく、ごく当たり前の日常が幸せなんだと、気が付かされる内容となっている。
「妻が願った最期の『七日間』」より
この「七日間」という詩の中の「あなた」とは、詩を綴った容子さんの夫であり、この本の筆者でもある宮本英司さんである。
容子さんの死後、妻が最後に残したものを形にできないかとの思いで、朝日新聞の投稿欄が頭に思い浮かび応募したという。
掲載されるとすぐに、インターネット上のさまざまなメディアで反響を呼び、数日間で19万人が記事をシェア。テレビ番組にも取り上げられた。
容子さんの体験と言葉が必要な人たちに届き、少しでも役立ててもらいたいとの英司さんの思いで書籍化となった。
夫婦の交換日記の始まり
容子さんが亡くなる数か月前、ちょうど結婚50年を迎えたある日。
「“二人の物語”を書いてみたの。あなたも書いて。」と容子さんのほうから提案があった。
彼女が書き、それに返信する形で英司さんが書く。
本の中には、そんな交換日記のような二人の物語、容子さんの闘病日記、最後には筆者である英司さんの「夫婦について」という思いが綴られている。
容子さんの日記にはガンと向き合う中で、日々症状が進行していく不安、避けようのない死への恐怖が生の声としてしっかり言語化されている。
私は何度読み返しても涙無しには読み進んでいけない。
告知1カ月後には、「お願い」という題名の日記を記している。
延命治療を望まない、葬儀は家族だけで、棺の中には大切に取ってある留袖を、など詳細に記してある。
告知後、わずか1カ月という短い期間の中で記したこの文章からは、遺される者たちに迷惑をかけないよう、妻として母親としての覚悟が感じられ、またなんとも言えない気持ちになった。
二人のほっこりする交換日記は、「あなたと初めて出会った日のことを覚えていますか?」という容子さんの文章から始まる。
大学時代に出会ったエピソードを語り、英司さんが「もちろん鮮明に覚えています。」と続き、またそのエピソードを振り返る。
そんなやりとりからは、交際~結婚~出産~マイホーム取得まで、いわゆる世間一般の平凡な夫婦像が読み取れる。
容子さんは、夫である英司さんとの交換日記を通して人生を振り返り、何か形として遺しておきたかったのかもしれない。自分のためにも英司さんのためにも。
筆者の英司さんが伝えたかったこと
筆者である英司さんは、最良のパートナーと巡り合ったことで素晴らしいと思える人生送ることができた、切なさや苦しみを抱きながらも、今は亡き妻の分まで精一杯生きていきたいという気持ちを語っている。
「私たちは、ごく平凡な夫婦でした。」という表現からも「ごく当たり前の幸せな日常の中で、目の前の大切な人を大切にして過ごしてほしい」という筆者のメッセージも込められている。
私は、看護師という職業柄もあり、普段から「人の最期」に立ち会う場面が多い。ついこの前もお看取りに立ち会ったところだ。
その人それぞれの形で旅立つが、「この人は、自分の最期を選んで旅立ったんだろうな」と感じる最期がある。
容子さんもそうだったのだろうか。
唯一実現した詩の最後
容子さんが綴った「七日間」の詩には、続きがある。
この詩のとおり、「あなた」に手を握られながら、容子さんは静かに永眠した。
容子さんの願った「七日間」は実現されなかったが、詩の最後の場面だけは現実のものとなった。もしかしたら容子さんが一番強く願ったのは、容子さん自身が「選ぶ最期」だったのかもしれない。
補足:こちらはオンラインスクールSHElikesのライティングコース課題で執筆したものです。