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中西正男です。
昨日は木曜日ということで、レギュラー出演しているABCラジオ「ウラのウラまで浦川です」の日でした。
浦川泰幸アナウンサー、塩田えみさんと午後6時までの3時間、しゃべりたおし。
ねっちりしたグラウンドレスリングもあれば、場外に出てイスとラダーでどつきあう。あらゆるプロレスを展開し、心地よいヘトヘト感を携えて帰宅しました。
そして、午前2時2分。
ドキドキしているが、ドキドキだけでもない。
何とも言えない感情とともに枕元のデジタル時計の文字盤が目に焼き付いています。
昨晩は珍しく、本当に珍しく、8歳の長女が僕の寝室のベッドで寝ました。
寒暖の差がこたえたのか、体調があまり良くない。
熱はないし、コロナ禍で懸念されるような兆候はないが「寒い」と言ってお腹もゴロゴロ。
そんなこともあり、部屋が狭くてすぐに暖まりやすく、子供や妻が寝ている部屋のベッドよりも掛布団が重くて分厚い僕のベッドで一緒に寝ることになりました。
娘が「ママ」「パパ」「まんま」に続き、4語目の言葉として「キショイ」を覚え、なんの英才教育なのか「パパ、キショイ」という短文を早々に形成しだした頃から、寝る部屋は別々になりました。
数年ぶりの同じベッド。
いつも一人なので、横に人がいる感覚に慣れず、寝付くまでに1時間以上かかり、午前0時23分のデジタル表示を見たあたりで眠りの世界に入ったと思います。
ただ、心地よいヘトヘト感をアテにしながら、しっかりお酒も飲んでいたので、眠気を掴んでからはキュッと眠りの世界に引っ張られました。
そんなこんなで一気に眠りの奥地まで潜り込んでいたはずなのですが、ビーチフラッグの選手のように飛び起きました。
娘にかけていた羽毛布団が、今度は暑くなった娘に蹴り上げられ、普段はつけない電気ストーブに覆いかぶさっています。
火災実験のVTRで見るアレ、そのままです。
まだ火は上がっていませんが、煙は出始めています。
96歳で亡くなった僕のおばあさんはお金をもらうのが大好きでした。
僕が実家に戻っておやつ代という名目で1万円札を出すと、それまでは「まさおぉ…、かえってきたんかぁ~」と96歳らしい動きを見せていたのが一変し、紙幣を取る時の手の動きだけは、全盛期の長谷川穂積のジャブより速かった。
僕にもその血が流れているからでしょうか。
その時のおばあさんの手と同じ速度で布団をはぎ取り、煙が上がっていた部分をもみ消しました。
何のドラマチック演出か、緑の布団カバーが焦げかけて茶色になり、ちょうど万札と同じような配色にもなっています。
あと10秒、否、5秒遅かったら、事態はガラッと変わっていたと思います。
なぜ、あそこで飛び起きて反応できたのか。
それこそ、おばあさんが守ってくれたのか。説明の粋を超えた親の本能なのか。
こればかりは分かりませんが、そんなことも内包した、冒頭の「ドキドキしているが、ドキドキだけでもない」という心情でなかなか寝付けませんでした。
親と子の結びつき。
芸能の取材をしていると親子のドラマを垣間見ることも多々あります。
その一つが西川きよしさんと、息子で吉本新喜劇の西川忠志さん。
僕がデイリースポーツにいた時はきよしさんの連載担当をしていたこともあり、もう20年以上取材をさせてもらい、大阪・箕面のご自宅にも何度かお邪魔しました。
「忠志がお嫁さんにプロポーズしたのも、この家の仏壇の前やったんです。『ご先祖様にも見てもらう』言うてね…」
仏壇の前でうれしそうに、そして、誇らしげに話すきよしさん。
“相手の女性、絶対、断られへんやん”。
超高級シュークリームをいただきながら、そんなツッコミを頭の中で叫んでいたら、きよしさんの横にいる忠志さんも、その言葉で満足げに目を潤ませています。
生き様を見せるのが仕事でもある芸能人にとって、こういう味も、みんなが喜ぶ商品になる。それも痛感しました。
忠志さん、きよしさん、そしてご先祖様。
鏡の中に人が映り込み、それが奥の奥までズーッと連なっている。
そんな構図のように、西川家の思いが受け継がれてきたサマが可視化された気もしました。
そんなことを考えながら、見るともなく見ていた仏壇の線香。
きよしさんが熱弁をふるっている後ろで細い煙を上げて役目は果たしつつ、ほとんど長さが変わりません。ほぼ灰にならず、本体部分が屹立しています。
「小さなことからコツコツと!負けへんでぇ!」
その精神は線香にも引き継がれていました。
オチありきで走り出し、長い旅路を経て着地する46歳。