love letter from K. Season8-5「ジャパンな気分」
突然ですが、みなさんは「渋谷」と聞いて、どんなイメージを持ちますか?僕の周りの知人からは「いや、無理無理、あんな人の多い所。」「ここ数年は行ってない。」「もうそんな年じゃない。」などなど、結構な感じのリアクションが返ってきます。
全国的には、若者の街のイメージとして定着をしていますよね。ハロウィーンの印象も強いですし、最近ですと外国人の立ち飲みが問題になったりと、何かと話題に事欠かないのが、若者の街「渋谷」。今回はそんな渋谷についてのお話。
ニューシブヤ
今、渋谷は100年に1度の大規模再開発が進んでいます。渋谷+カタカナ4文字の新施設が次々と駅前に建ち、既にどこがどこに繋がっているのかわからない状態。汚かった場所は、次々とピカピカでクリーンになり、駅前に昔の渋谷の面影はもはやありません。
僕が渋谷駅沿線に住んでいるというのもあり、昔からなぜか渋谷が好き。センター街はあまり歩かないし、109なんて絶対に入らない。でも、他の街にはない「活力」を感じるんですよね。若者達が「ここが渋谷だ!」と言わんばかりに底から湧いてくるパワーがあります。年齢を重ねたら、いつかは嫌いになるだろうと思っていたのですが、それがいつまで経っても訪れない。目的は特になくても、メガシティとしての貫禄のようなものを感じに、たまに行きたくなるのが渋谷の不思議な魅力。
そんな渋谷にも、実は隠れた名料理店がいくつも存在します。ただその多くがコロナ禍と再開発の煽りを受けて、移転・閉店を余儀なくされている現状。飲食店は移転すると内装も綺麗に新しくなり、どことなく違うお店に生まれ変わってしまったようで、また通おうという気にはなりません。ひとつまたひとつと、お気に入りのお店がなくなっていくのであります。
本当は教えたくない洞穴
そんな中でも、渋谷では珍しい純和食を提供している店がありました。昭和42年に開店、50年以上続く小料理屋「しぶや三魚洞」。渋谷駅は、南口歩道橋の下にある雑居ビル。細い階段を地下へと降りた先にある提灯が目印。そして暖簾をくぐると、そこには昭和な小上がりの座敷が並ぶ、和風の造りの空間が広がっていました。店内中央には大きな木の柱が立ち、天井には立派な梁(はり)がむき出しになっている。15年程前、当時の就職先の上司に連れて行ってもらったのが鮮烈な記憶として残っています。それ以来、何か特別な事があると誰かを連れて訪れていました。僕が好きだったのは、そこにあるテーブルの幅の狭さ。おそらく漁師さんが使う魚を捌く用の台の尺だと思われるんですが、奥行きが40cm位。逆に、その狭さが居心地のいい距離感を作ってくれて、唯一無二の雰囲気だったのです。
ただ、渋谷の再開発に伴うビルの建て替えで2018年秋に閉店を余儀なくされ、現在は移転した新しいお店で営業中。ここ数年は会食も少なかったので、なかなか機会がありませんでしたが、先日ようやく訪れることができました。
新店はいかに
新しいお店は、地下ではなく大通りに面した1階にありました。どこかで見た記憶のある暖簾を目印に中に入ってみると、やっぱり昔の面影はない白い壁。ここも新しくなっちゃったか…。と少し悲しい気持ちで席に通されると目の前にあったのは、昔と同じテーブル。
これですこれ。どう見ても真新しい内装とは不釣り合い極まりない、55年の貫禄感じるヒノキの一枚板。手触りも当時のまま。半分はこれが触りたくてお店に行っていたようなもの。なかなかない寸法は新しく買おうと思って探しても見つける事はできません。そして、ふと壁に目を向けると、
昔から飾られていた、書や魚拓などがそのまま壁に。この写真とサインは「ハナ肇(はじめ)とクレイジーキャッツ」のもの。1960年代に一世を風靡したコミックバンドでドリフターズの先輩と言えばわかりやすいだろうか。僕ですら、俳優の植木等さんを知っている位ですから、今となってはかなり昔の芸能人ですね。ただ、ここ三漁洞の女将さんが、クレイジーキャッツのメンバー、故・石橋エータローさんのご夫人なんです。とても気さくな方で、こういう方がいらっしゃるから常連さんが離れないんだろうなと。
「前とメニューは変わってないんです」と女将さん。刺身の盛り合わせに始まり、あさりの酒蒸し、ぶり大根、豚の角煮、お茶漬け…。どれもシンプルな和食ばかりですが、これが予想の三段上を越えてくる美味しさ。
刺身の盛り合わせは、必ず最初に頼むのですが食欲に負けて大体写真を撮り忘れます。そして今回も…ごめんなさい。次の料理は必ず、ということであさりの酒蒸しがこちら。
あさりってもうちょっと小さくなかった?これ…はまぐりの間違いじゃないですか?と、あまりに綺麗なので俯瞰でもう1枚。
しっかりとしたあさりの出汁にほんの少しニンニクの香り、そしてネギのアクセントが絶妙に効いていて、薄味なんですがコクがあり、どことなく洋風なお味。序盤はビールかなと思っていたのですが、こんなものを出されては、ジャパン(日本酒のこと)を召喚するしかありません。
お店の名前がついた日本酒、嬉しいですね。奈良のお酒だそうです。相性は…言うまでもありません。日本に生まれてきて良かった、そう思える瞬間がここにあります。
そして、ここに来たら、絶対に頼まなくてはいけない、義務ともいえるメニュー、ぶり大根。
女将さんが丁寧に取り分けてくれているのを横目に撮影していると、「あら、ごめんなさい!写真撮る前に取り分けちゃって。」なんて言われますが、いいんです、いいんです、全然。それより、左奥の大根よーく見てくださいよ。中までしっかり味が染みた茶色だというのに、しっかりピーンと角が立っているではないですか。これ、指で触れたらきっとケガしますよ(笑)。
あぁ、なんと美しきかなぶり大根。大振りの大根の高さは約8㎝。どうやったらこんな綺麗な形をしたまま煮込めるのだろうか、なんて考えながらついつい全員が黙ってしまいます。温かいうちにと口へ運べば、ホロホロに溶けていく食感。でもその中に、大根を大根たらしめる繊維感は残っている。口に入れるたび、言葉を失います。大根さん、あなたは染みているでしょうが、僕だって、今、負けない位染みています。
だって、ここがあまりにも変わっていないんだから。
三漁洞へ
お店の由来を聞くと、創業者の音楽家・福田蘭堂が大の釣り好きだったようで、「釣りには、海、川、湖と3つあるでしょ。それと地下の店だったから三漁洞なんですね。」と女将さん。
そしてどうやら、このテーブルは当時「舞台美術の巨人」と呼ばれた伊藤熹朔(きさく)が手掛けたものらしい。
これを知ってから食べれば良かった!とその時は後悔しましたが、また訪れる楽しみが増えたと思って良しとしましょう。みなさんも、渋谷を訪れた際は、例の洞穴へ。
つづく
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