友の母の葬儀の夜に
私は友の葬儀の夜に、baobab+Haruka Nakamuraを聞きながら、『エンパワーメントの鍵』を読んでいる。その一節に、
「いいえ。天才に“なる“のではありません。私たちは皆、“すでに“天才なのです。私たちはそれぞれ意識を持っており、ボールやカシミールの指導者が書いたような意識の一部なのです。しかし、私たちの多くは社会化され、“教育された“考え方と知識に閉じ込められたところから、どうやって自分自身を解放したらよいのか、忘れてしまっているのです。これまでの教育システムは、論理、分析、分類など、分離や収縮に基づいた特定のプロセスの学習に、あまりに重点を置きすぎてきたのではないか、と私は思っています。そのことによって、全体像を把握したり、また変化を理解したり、変化に対応していくためにの基盤となるその他のプロセスの学習を排除してしまったのです」 320p
とあった。先日、井本陽久さんのNHKプロフェッショナルを見た。そして、ありのままを受け入れることの大切さを感じた。そんな中、自分の中の矛盾を感じながらも、学校に来れていない子を、卒業アルバムを撮ることを理由に学校に来るように声かけしたり、保健室登校している子に、現状を知るためと思って、今どのような状態なのかを試すように、これからのことについて話してみたり…。現実を受け入れられないことを知りながらも未来のことを話すことで何かしらの刺激が与えられるのではないか、何かしら現状を打破できるのではないか。そんなことを思いながら、待てない、信じぬくことができていない自分と向き合っている。
友の母が亡くなられたことで、私も私の家族、そして、私自身が死ぬという現実を考える。そして、何もできていない自分のままでいることが大切なことと思いつつ、友のこと、子どものことを信じ続ける自分であろうと思うのだ。感謝。
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