当事者が語るHIV感染症②
前回は、HIVの治療を中断したお話までを書きました。前回の内容については、下記リンクからお読み下さい。
今回は、HIVの治療を中断している時にどんなことがあったのか、治療再開後どうなったのかをお話したいと思います。
ddI(ジダノシン)が服用できない
A型肝炎の感染が判明
と、いったことがあり、HIVの治療を中断したことにより、薬を服用するストレスがなくなりました。それでも身体の状態を確認するため病院には通院はしていました。通院はしていたのですが、HIVの指標であるCD4の数値はあまり高くありませんし、HIVのウイルス量は高いままでした。
そんな状態が1年ほど経ったころころ、主治医から
「そろそろ、薬飲むのを考えたらどうや」
といったようなことを言われました。
主治医から治療再開に関して言われなければ、治療再開を考えることはなかったと思います。なので、今になってみるとありがたかったなって思っています。
主治医に治療再開を促されてから程なくして、治療再開に踏み切ることとなりました。この治療再開の時に処方された薬の組み合わせは
d4T(ゼリット)
3TC(エピビル)
NVP(ビラミューン)
でした。薬剤耐性がなかったので、NVP(ビラミューン)が再度使えたのはありがったかったかもしれません。また、d4T(ゼリット)、3TC(エピビル)、NVP(ビラミューン)の組み合わせは高脂血症の問題が出るまで使うことになるのですが、副作用が少なくていい組み合わせでした。
NVP(ビラミューン)は、飲み方がちょっと変わっているので、ちゃんとした飲み方が出来ない人が多いと言われている薬なんです。どういう飲み方をするかと言うと、
最初2週間は朝のみの服用
その後問題がなければ、3週間目からは朝夜の2回服用
となります。
正直なことを言うと、この1日2回の服用ってわりと朝か夜のどちらかを飲み忘れしてしまうもんです。朝夜どちらかを飲み忘れしたとしても、薬剤耐性で薬が使えなくなることがないってのが利点だったなって思います。
僕自身、夜に飲み忘れすることが多々あったかもしれません。なので、NVP(ビラミューン)をわりと長い期間飲んでいたかもしれません。
治療を再開して、CD4の数値やウイルス量はどうなったかと言うと、順調にCD4の数値も良くなりましたし、ウィルス量も減りって検出限界以下に向かっていきました。
ですが、主治医に『HIV陽性の当事者がHIVの勉強をしなければいけない』言われていたのですが、この頃は全く勉強することも、診察の際に聞く検査結果も良ければイイくらいにしか考えていませんでした。まして、CD4の数値やウイルス量を国立国際医療センター病院の専門外来(通称 ACC)が患者向けに配布している患者ノートの中のデータシート/受信記録表に記録することもありませんでした。面倒くさかったってのあったかもしれません。
そんなこんながありましたが、薬を飲んで治療することを再スタートできたのは良かったです。
ただ、再スタートして5、6年くらい経った時に平日休みではなく、土日祝が休みの職場で働くことになりました。その時は、平日に通院するのがしんどいので土日に通院できる病院に転院しなければならなくなってしまいました。
これが一番大変でした。と、いうのも、僕が飲んでいたNVP(ビラミューン)がない慈恵医科大学病院に転院することになったからです。慈恵医科大学病院に転院したことで、薬を変えることになりました。
慈恵医科大学病院での処方されたのは、ABC/3TC(エプジコム)、RTV(ノービア)、FPV(レクシヴァ)です。RTV(ノービア)、FPV(レクシヴァ)は、プロテアーゼ阻害剤と言って、ACCの頃の主治医には何かあった時の為に残しておこうと言われた種類の薬になります。
RTV(ノービア)、FPV(レクシヴァ)を飲むことになってどうなったかというと、毎日下痢をするようになったのです。そして、中性脂肪の値が高くなってしまったのです。これによって、RTV(ノービア)、FPV(レクシヴァ)を止めて、NVP(ビラミューン)に戻すことになったのです。ですが、慈恵医科大学病院にはNVP(ビラミューン)がありません。
なので、慈恵医科大学病院から土日に診療を行っているしらかば診療所に転院することになったのです。この転院で、NVP(ビラミューン)を再度服用することになったので下痢は止まりました。ですが、上がってしまった中性脂肪の値は、下がることはありませんでした。
その後は、中性脂肪の値が高いまま、何とか自分の身体と付き合っています。
しらかば診療所に転院してからどうしていったかについては、次回以降お話させて頂きたいと思います。