「丁寧な暮らし」にあこがれはあるのに


親元を離れて15年になるのに、いまだに雑な生活を送っている。
部屋は汚いし、取りこんだ洗濯物をすぐたたまないから服はわりといつもしわくちゃだし、部屋は汚い。

インスタとか見てるとさ、雑誌の広告かな?と思うような物のない部屋で、ライティングもカンペキな映える食事のお写真とかが出てきて。
そこまでじゃなくても、たとえば会社の先輩の家が、小学生の子どもふたりもいるように思えないほどきれいに整えられているとか、同年代の友達がペット自慢でツイッターにアップした写真の、背景として写った部屋の床にものが落ちてないとか。

単純に、本当に短絡的に、

いいなあ

と思ってしまう。うらやましいなあ。わたしも、そういう生活がしたいなあ。


わかってはいる。うらやんでないでわたしもやればいいだけなんだ。なにも特別なことではないはずなんだ。
出したものを片付ける。食べたあとの食器をすぐ洗う。なにも特別なことではないはずなんだ。
収納に入りきらない服は捨てる。ごはんだけは炊くようにする。なにも特別なことではないはずなんだ。
土曜日の午前中に、まとめて洗濯を片付ける。なにも特別なことではないはずなんだ。

なにも特別なことではないはずなんだ。

なにも特別なことではないはずなのに。


できない。


朝にあわてて選んだ服の、選ばれなかったほうのスカートを丸めてそのへんに置く。
トイレで読んだ本をそのまま床に積む。
たまに料理にめざめて、はりきって買った野菜を余らせて腐らせる。
土曜日は昼まで寝て、家事から逃げるようにすぐ出かける。
シンクに洗いものがたまっていくのを、いまいましい気持ちで見ている。
古くなった羽毛布団から飛び出した羽毛が部屋のそこかしこに散らばる。
給料が安いのに作るのが面倒で毎食コンビニで買って帰る。
飼ってるねこの写真がうまく撮れたのに、背景として写る部屋が汚すぎて、誰にも見せられない。

やりゃいいんだよ。
知ってるんだよ。
わかってるんだよ。
でもやらない。できない。ポリシーがあるとかそんなことではなく、なにかそういう精神的なストレスでどうこうとかそういうことでもなく。

本当に心の底から、ズボラなのだ。


ただのズボラだから、必要に迫られることは、ひととおりやる。
さすがにゴミ屋敷にはしたくないので燃えるゴミは指定日に出すし、浴槽がヌメっているのはさすがに不快なのでお風呂掃除はやる。シンクにあふれた食器が蛇口に届いてしまったらさすがに洗うし、会社に着ていきたいと思っている服がしわくちゃだったらさすがにアイロンをかける。
「さすがにこれはなあ」とか思いつつやる。それ以外は、やらなきゃなあと思いながら、ため息をつきながら、目をそらす。

だからつまり、本当に「やらないだけ」なのだ。

これじゃいけないだろうなあ、とは、つねづね思う。
35にもなって、こんなことではいけないよなあ。
シンクにあふれる食器を見て、いやんなっちゃうなあ、と思うし、実際に声にも出している。

とはいえ。
とはいえ、自分のズボラを目の当たりにして死にたくなるとか、そういうこともない。
もちろんズボラな性格を好きになんてなれないが、日常生活にめちゃくちゃ支障が出るとか、周囲にあからさまに迷惑をかけるとか、そこまでではないので、「まあいいか」と思いがちだ。


今日も疲れて家に帰って、雑然とした部屋に寝転がって、「最高に落ち着くな」とか思っている。


これじゃいけないんだよなあ、と思いながら、何がいけないのかという理由を、わたしはまだ探せていない。



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