保育料無償化で思うこと①
2019年10月1日。
今日から保育料が無償化される。
保育園は無償、幼稚園は月額2.57万円が補助される。
給食費や設備費については自治体により異なるが、基本的には個人負担のままであるため、全くお金がかからないわけではない。しかし月々2万〜多い人は10万ほど支払っていた保育料が無償化、または補助となると家計への影響は良い意味で大きいだろう。
今回の無償化は、少子高齢化対策のひとつとしてなされた政策だ。子育てに費用がかかりすぎるがために、子どもを産む、というより産める大人が限られ、結果人口がみるみるうちに減っていく。すると今の50〜70代の未来を支えていけなくなるという訳だ。
だったら、保育料を無償化し、まずは乳幼児期にかかる費用を国が負担しよう
そうして税金の使い道のひとつとして挙げられた。
出産のためにかかる諸々の費用はまだ課題が残っているように思えるが、保育料が無償化されるならば、子どもを産むことに対し前向きな姿勢を持つ人は多少増えるだろう。
全て公立の場合だが、単純に3歳〜義務教育終了までの約15年間、子どものための貯金が少し多くできるのだ。生活水準は人それぞれということは置いておくが、結婚・出産をするまでに大金を貯めねば、と苦しみ、子どもがほしい気持ちを躊躇する必要はさほどないようになってくるのではないだろうか。
このように思うと、結婚・妊娠の平均年齢が下がる可能性はある。となると、先述した事態はある程度避けられ、いわゆる若い世代である私たちの未来は明るい。そう思った。
しかし、考えなければならないことがあるように思う。
子どもを産み、育てるということがどういうことなのか。またその覚悟ができているのか。深く考える人が減るのではないかということだ。
現代の日本では夫婦共働き世帯がほとんどの割合を締める。大学または専門学校を卒業すると、男女は問わず社会に揉まれ、年数を追うごとに経験を積み、ある程度自信が持てたところで結婚する。きっと、子育てもできる!そう信じて子を産むことを決意するのだろう。
しかし、実際に産んでみると、想像の何倍もうまくいかない子育てへイライラ。自己嫌悪感に陥り、子どもを育てることの楽しさや面白さが感じられず、ただただ辛く苦しい日々になってしまう。そんな人は少なくない。
実際、理由は様々だが、これまでの仕事を続けるため保育所へ子どもを預け、日中は自分のことで精一杯。仕事を終え、保育園へお迎えに行くも、心の余裕が足りずいらいら。そんな日々が苦しく、帰宅後はベビーシッターを雇う。お迎えからシッターを頼む人も少なくない。
子どもとのかかわりを少しでも楽しむためにシッターを雇うことは決して反対ではない。しかし、親子で過ごす時間は1日のうち何時間だろうか。ほとんどが、3時間以下ではないだろうか。
はじめて寝返りをした瞬間、はじめて歩いた瞬間、はじめて自分で食べた瞬間。その時は一度きり。二度とない瞬間だ。
その子どもの、たった一人の父親・母親として、その瞬間を自分の目でみることは、極端に言うとほとんどできない。
単純に、なんだか寂しい。
保育所は、担任だけでなく、職員全員でで子どもを見守り、育てている。大勢の大人が育てている。ある意味こんなに安心できる場所はない。しかし、立ち止まって考えてみてほしい。
自分の子ども。たった一人の親。その存在は子どもにとって何にも変えられないものだ。
しかし、親が悪いのか、というと、それもしっくりこない。
というのも、私はこう思う。
現代の日本の環境は、自身が子ども時代を卒業してしまうと、子どもとのかかわりが持てる機会が本当に少ない。
どういうことかというと、子どもとかかわる仕事をしていないほとんどの大人は、子どもとかかわる機会がほとんどないまま親になってしまうということだ。昔は、といっても昔時代を実際に体験したわけではないが・・・地域ぐるみでの子育てが当たり前であった。
しかし今はどうだろうか。近所に住んでいる子どもに声をかける?同じマンションに住んでいる子どもと遊ぶ?そんなことはほとんどないだろう。むしろ、親側も、見知らぬ人に声をかけられると、恐怖すら覚える世の中なのではないだろうか。
となると、社会人になってしまったその瞬間から、ほとんどの人が子どもとのかかわりが全くなくなるのだ。
一時、保育業界ではイタリアのレッジョエミリアという都市の保育が話題となった。検索をすればすぐにたくさんの紹介サイトが出てくるため省略するが、簡単にいうと
子どもは地域の宝であり、老若男女みんなで育てることが当たり前。そして子どもたちも、地域に開けた保育園で生活をする。その保育園では、地域に対しての愛が深まるような、自分が生まれた地域や人が好きになるような、そんな保育がなされている。
世界から見ると、日本の保育はきめ細やかで丁寧。そう言われ、もちろんいいところはたくさんある。しかし、地域に開かれたという点で比較するとどうだろう。
そんな環境に置かれている以上、子どもどういう存在で、育てるとはどういうことなのか、理解しろと言っても無理がありすぎる。
だからこそ、子どもが増え、さらに歓迎される世の中を目指すのであれば、大人、主に若い世代が子どもに親近感を持てる環境をつくっていくことが必要だと思う。なんでもいい。興味が持てる仕掛けやきっかけをどんどん作っていくのだ。
人間誰でも、何に対しても、「興味を持ってください、好きになってください」と言われてなれるものではない。だからこそ、直接的な言葉で伝えるのではなく、なんとなく心が動くようにアプローチするのだ。
難しいといえば難しいが、保育者の仕事はまさにこれだ。預けている保育園の先生たちが毎日していることはこういうことなのだ。
今ある子どもたちの姿から、こうなってほしいという願い(ねらい)を立て、それが達成されるように日々PDCAサイクルを回し続ける。その具体的な方法は、大人が教え込むのではなく、子ども自身が興味や関心を持てるように環境を整え、ある意味ではそちらの方向に仕向けていく。子ども主体の保育とはこういうことだ。
保育にかかわる仕事をしている、もしくはしたことがある者は、この方法を子どもとのかかわりがほとんどない大人たちに実行していけると少しずつ歯車が回るのではないかと個人的に感じている。
歯車が回るというのは、全世代の人々に、子どもって面白い、かわいい、不思議、など、ポジティブなイメージがついていくということだ。
子どものことはわからない、興味もない、なんなら自分の生活を守るためには不必要、子育て大変、保育士ってすごい
そんな状態だと、子どもへのイメージがまるでつかないどころか、ただ大変なものとして捉え続けたまま時間が過ぎる。そしてその時を迎えてもなお、心のそこでは厄介者のように感じてしまうこともあるだろう。
とはいえ、保育士ばかりが「子どもってかわいいですよ」と発信しても、「あなたは子どもが好きだから、そりゃそうでしょ」と感じる人がほとんどであろう。
さらに、保育者はそこまでできる余裕が正直ない。
だからこそ、子どもにかかわる仕事をしている者だけでなく、それぞれの個人が感じたことを、少しでも人に伝えてみてはどうだろうか。
様々な世代の人が子どもについて知るきっかけが作りを、みんなでしていけたらどうだろうか。
なんでもいい。
例えば、たまたま甥っ子姪っ子とかかわったらその時感じたこと、たまたま電車で見かけた子どもの面白かった姿、出産したらその時の気持ち、イヤイヤ期に変なこだわりを持つ子どもらしい姿、それをふらっと身近な人に発信して共有する。そんな程度でいいのだと思う。その共有が当たり前になれば、少しずつ温かい雰囲気に変わっていくのではないかと思うのだ。
現実離れしているように思えるかもしれないが、今感じている素直な思いをここに書き留めておきたい。
私自身、具体的にこうしましょう!と提案することは好きではない。たまたまこの文章を読んだ方が1人でもいて、その方の心になにかが残り、少しでも何かを感じて、それを周りに共有してくれたら嬉しい。
いち保育者として、子どもたちとその保護者の明るい未来を祈る。