恐れは世界との分離。”現象”が起きる前から自分自身を信頼できる?
<Happyちゃんソロ配信>
それでね、怖くて…で、実際(お金を貸してって)やる時も、HTLの人たちに対してたけど怖かった。何かって言ったら、その時に怖かったのは、まず情報が外に漏れるのが怖かった。公の方に。で、もう一個やる前に怖かったのは、HTLの人たちが貸してくれなかったらどうしよう…っていう怖さ。信頼されてないって突きつけられた時って、私どうなるんだろう?みたいな。それもやっぱ超えたんですよ自分の中で。いやもし、それが起きなくても私は自分自身のことを自分が信頼できるのかどうか?っていうところに立たないとダメだな、と思って。”現象が起きたから、私は自分のことを信頼できる”っていうのじゃ甘い。それ本物じゃないじゃん。そうじゃなくても自分自身のことを信じ抜けるかっていう、信頼しきれるか?っていうところに、まず立ってからやんないとな、って思ったんですよ。それでね実際、自己対話をやった後に告知したらすごい勢いでみんなが「全然使って。貸すよ!」みたいな感じで言ってくれて、私はあの日、ゲシュタルト崩壊というのが起きたんですね。なんだったんだ?あれ?世界ってなんだったんだ?お金ってなんだったんだ?って。あのね、あのタイミングでも結構一般の人に比べたらお金の概念は壊れてた方ではあったと思うんだけど、あの晩に完全に私はリミッターを吹っ切りましたね。あの晩です。もう一晩もかかっていない、ほんと数時間の出来事。ぶわ〜って「100万円貸すよ」っていうその信頼のエネルギーをもらった時に、すごく自分の中で本当に分離感が解けたっていうか。
(コメント)「貸すのに抽選になってるってこちらもゲシュタルト崩壊」
そうなの。100万円貸すのに抽選が行われて、貸せなくて抽選はずれた人が泣き出すみたいな人もいて、悔し泣きみたいな。笑。なんかよくわかんないことが起きたんですよね。で、おかげさまでそれで自分の中の分離感っていうのがまた一つ外れたんですよ。で、そこから半年後、第1期のお金を返しました、ってなった時に、一回もうそれをやったじゃないですか。大量にみんなから一億円を借りるっていうことをやって、返して、次また借りるってなった時に、やっぱ感覚が変わってて、何に変わったかって言うと「あ、この内容が外に漏れてもいいな」っていうふうに変わってたんですよ。別に情報が漏れてもいいなって。
もう一度整理しますね。1回目の時は、情報が漏れることすら恐れがあったんです、私。でも1回目やったあと、2回目のタイミングでは、別にこの内容が公に知れ渡っても怖くない、に変わっていたんですよ。でも、公の方でお借りするっていうのは2回目の時はまだちょっと怖かった。HTLの人たちは、私も信頼しているし向こうも信頼してくれていることも分かっているから、最悪の最悪のことが起きたとしても、お互いの信頼があるのが、もう結構ガッチリ自分の中にあったんで、全然本当に何も。2回目は、それこそ1回目で感じた「HTLの人たち貸してくれるのかな?」とかもちろんないし、もっと深い信頼に変わってたんですよね。でも、やっぱ公の方でそれをやるのはまだちょっと怖い。私もその人のことを信頼できるか?って言ったら、HTLじゃない人をちょっとそこまで信頼しきらん。で、先方もたぶん、私がそうだから向こうもそうだろうって思った時に、やっぱちょっとまだ無理だな、怖いなと思ったの。でも、2回目の時は情報が漏れること自体は恐れがもうなくなってたんで、この内容を言っても良いっていうか、全然漏らして良いっていうか、話していいよみたいなふうに変わってたんですよね。
で、じゃあ今回3回目です。今回、3回目ってなった時、あれからもっと感覚が自分の中で変わっていて、こういうプロジェクトのことを公で情報が出回ることも何も怖くないし、公でお金を借りる、HTLの人じゃない人から借りることにも、全面的に信頼できている自分がいたんです。あら〜もうなんかこの一年半ですっごい自分の中の恐れがなくなって、本当に世界の分離感がまたなくなってるな!っていう嬉しさが出た。嬉しさが出たんですよ。
で、じゃあ、はいここですね。1回目2回目3回目でどんどん私は恐れをちょっとずつ超えてきているじゃないですか。自分の中の世界を信頼するっていう恐れのアクションをちゃんと起こしてきてる。で、3回目になった時は、あれ?公の方で告知することも、情報が出回ることも何も怖くないなってなった時に、公で告知して同じように100万円を預けてもらうってやり方、あれ?怖くないな全然、ってなったんですよ自分の中で。ぜんぜん怖くねぇな、みたいな。なんかそれって面白くないなって。だって予定調和なんですよそれって。私の中で怖くないから、普通に告知してまたブワーッて集まって抽選になるか、先着順になるか分からないけど、たくさんの人がたぶんお金貸すよって言ってくれるのが、もう目に見えちゃってるんですよね。なんか、全然それって面白くないなと思って。今の私にとって、この現在地から怖いことってなんだろう?って思ったんですよね。要は、恐れって世界との分離だから、まだ残っている自分の中のこの現在地からの恐れって何だろうな?って探してみた時に、あ、告知もしないで100万円っていうカートをプロフリンクに説明なしに貼り付けておくことの行動に、私はめっちゃちょっと恐れが出たんですよ。うわ、それ怖いな!みたいな。笑。だってこれ何?って何も本当に知らない人だったらギョッてするだろうな、みたいな。何やってんのこの人?ってきっと思うだろな、とか。なんかね、それこそエゴキンマンの声がいっぱい出てきたんですよ。で、これやるとめっちゃ怖いな〜って思ったから、だから今回、自分の中の分離感をまたなくして、世界と繋がるために、私は告知なしで何も言わずにいきなり100万円貸してくださいっていうあのフォームをプロフリンクに貼り付けといたんですよ。そしたら、何が起きたかっていうと、結局自分の中のふぁっていうこの感覚が、やっぱり当たり前だけど外に現れ始めるんで、結果としては何の告知もなしに、結局数時間でみんながメンションですごいCMしてくれるから。いま、募集リンク貼られてるよ〜みたいな感じで。もうそれで、自分が何も書かずに2億円が集まったってことなんですよ。
これです。目醒めってこういうことです。
私、こういう細かいことをめちゃくちゃしてるんですよ。だから、バンジーって、みんな、なんか大きいことばっかりやってないですか?ってすごい思ってて。こういう細かいことをやってたら”バンジー”って言い方ってたぶん出てこないと思うんですよ。だってめちゃくちゃ練習してるから普段。バンジー飛ぶような、そんな恐れにならないはず。
これが目醒めです。だって今回だって、眠ったままの意識だったら恐れの中に埋もれていくから、何かって言ったら、HTLの人からお金を借りるっていうことが、いつまでたっても人に知られたくない、怖い怖い怖い怖い…で、だから未だに私は超えることをしないで、HTL以外でこのプロジェクトを回していることを知られるのが怖すぎて、情報が漏れるのが嫌だってなってると思うんですよ。それを一個ずつ超えて行ってるんですよ。それが”目を醒まして生きる”ってことなんですよ。(コメントに)「やっぱりすごく丁寧に自分のこと見てるんだね」ってあるんですけど、本当、当たり前なんですよ!じゃないとこんなこと起こせないです。なのに、なんか(外)側だけ見て、爆買いしてたら…とか、鶏鍋食べてベローンってしてたらとか、全然そんなんじゃないんだよね。自分の中をしっかり見るからパワーが出るんですよ。世界との統合が起きるから、人知を超えたエネルギーの動かし方ができるんですよね。今回だって、予定調和で行くんだったら、告知して「お金を貸してください」って言うことは何も怖くないから、そりゃ楽しいですよ。気も楽ですよ。でも、何も言わないで誤解されるかもしれないのにインスタのプロフリンクに貼り付けておくっていうそっちの怖さを、普通の人はたぶん見つけにも行かないだろうし、そしてわざわざやらないだろうし、でも、だから気持ちのいい自分の恐れの城壁…要は進撃の巨人みたいな感じ。恐れの壁の…ウォールの中で生きてる感じですよ。それが、今コメントに「フォームをポーン(投稿)で2億円か」ってあるんですけど、そういうことができちゃうんですよ。だからね、ほんとね全然浮ついてないですね、私。なんならどこの誰よりもめり込みながら、血に足つけてやってると思う。本当に自分のことを見ないとできないんで。
(コメントに)「怖さを見つけに行くのは拡大するため?」ってあるんですけど、私の場合は、ちょっと変態性がすごいんで、世界との分離感、恐れっていうものを自分の中から徹底的に超えて行った時に、どういう現象が起きるのか?っていうのが、すごく…もう、人生で一番の興味。そして好奇心なんですよ。だから、どこまで行けるんだろう?って感じでやってます。恐れが一生なくなることはないと思うんですけど、なんかこういう小ちゃい埃(ほこり)みたいな恐れを見つけたときに、パッてそれを丁寧に払いながらやって行った先にすごいことが起きちゃうんですよ。なんかこれって、どこまでこの埃が取れるんだろうか?みたいな。だから目醒めるというのは…恐れの中にいることが意識が眠ってるってことです。恐れのなかで怖い怖いって幻想で、その中で物事の選択・判断をする。恐れの選択をしていくことが眠ってるっていう状態ですね。その恐れに気づいたときに「じゃあ、何も気にしないんだったら?あと、世界のことを信頼しているんだったら私はどっちの選択をするんだろう?」っていう、その”愛の選択肢”の方をいつも選択していくんですよ。で、なんか”恐れ”とか”怖さ”とか言うと、ブルブルって震えるものってみんな思いがちなんだけど、全然そうじゃなくて、ちょっとしたことです。本当にこういうちょっとしたこと。それをたぶん、みんな”恐れ”のカウントに入れてないってことが最近分かって。泣くほどの恐れじゃないですよ。死ぬかもしれないみたいな恐れなんてないですよ、私、そんなの。ちょっとした「うわっ。これやっちゃったらタブーだな」みたいな怖さ。そのレベルです。その小さいレベルです。それをいきなり、日常の選択もできていないのに、いきなり仕事辞めて人生を逆転させる!とかやって、それめちゃくちゃ怖くない?みたいな。それ、いきなり準備運動もなしに真冬のプールに飛び込むのと一緒じゃない?って思うんですよね。
(コメントに)「マジで変態だわ。世界で一人だよ、ハピちゃんのやってること」ってあるんですけど、そうでしょ?変態なんですよ私。だから数年一緒にいるパールちゃんと船長に、もう本当に最近ね、前田塾始まって、具体的に自分がやってることを事細かにシェアしたりとか、あとアドバイスとかやってるんですけど、「ちょっと異常だった」って言われますね。なんか「思っていたより、本当に全然違ってた」みたいな。笑
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