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グアテマラに行きたい         

 スペイン語を勉強するようになって、そろそろ4年が経つ。自分ではまだ2年くらいだと思っていたが、さっきオンラインレッスンを受けているサイトで記録を見たら、初めてレッスンを受けたのは2020年6月だった。
 全然2年じゃない。どこで記憶を失ったんだろう。 

 だとしたら、だ。
 この進歩のなさはどうだろう。まだ2年くらいだし、と誤魔化してきたが、とんでもない、丸4年勉強しているのにこのザマだということだ。
 我に返ってちょっとショックを受けている。

 まさにコロナ禍の、四方八方塞がれたような気分になっている時、私は以前から気になっていたスペイン語の勉強を始めた。アプリを使って気軽に始めたつもりが、意外にも初めの頃、するすると調子が出てしまい、それと同時に欲が出た。ポチポチとボタンを押しているだけじゃなく、会話もしてみたい。

 数ヶ月アプリで学んだ後、私はオンラインレッスンを受けることにした。スペインの先生やメキシコ、そしてグアテマラの先生が在籍しているオンラインサイトで、私が初めてレッスンを受けたのはグアテマラの先生だった。

 グアテマラ。どこにあるかは知っている。コーヒーやチョコレートも連想する。でも、これまであまり関心を寄せたことがない国のひとつだった。

 先生は、完全にスペイン語しか使わないレッスンをした。最初から最後まで、先生が話したのはスペイン語だけだった。当然、その全てを理解することはできず、私はところどころ聞こえる、アプリで覚えた単語を繋ぎ合わせて意味を想像し、先生の指示を読み取ろうとした。
 間違えたり、わからなかったりしても、質問の仕方もわからないくらい、当時の私はスペイン語がわからなかったけど、なぜか、何もわからなかったとか、何も得られなかったとは思わなかった。毎回課される宿題を嬉々としてやり、レッスンを受け続けた。

 都合が合わずに、他の先生のレッスンを受けたこともあるが、ついさっき見たら、私のこれまでの受講回数は350回であるらしい。1回あたり25分という短いレッスンだから、これまで私がレッスンを受けた時間は145.8時間。
 4年も経ったのに、たったの6日間くらいの時間でしかない。
 なんだか、少ない。

 1日のうち起きて活動している間、たとえば12時間をスペイン語を話して過ごすとして、それでもたったの12日間くらいのものだ。
 とても、少ない。

 つまり、スペイン語を生活で使う環境にいれば、12日間で得られるものを、4年もかけてようやく経験した、というわけで、なんとものんびりしている。遅々たる歩みようだ。
 実はこの計算をして、私はまた軽いショックを受けている。

 もともと、スペイン語を勉強し始めたのは、コロナ禍の前に行ったスペイン旅行がきっかけになっている。自分へのお土産として、現地の本屋で買ったレシピ本を眺めるうち、あの歌うような巻き舌の言葉を話してみたいと思うようになったのである。中南米・南米の多くの国、端的に言えばブラジルをのぞくほとんどの国で、スペイン語が使われていることは知っていたけれど、スペイン語を学ぶ動機にそれらはあまり強く関与していなかった。

 


 しかし、先生のレッスンを受けるようになって、はじめてグアテマラという国に興味を持ち、先生の住む街、アンティグアが街全体を文化遺産に登録されていることを知った。
 アンティグア、とはスペイン語で古いという意味で、街は確かに歴史的な建造物で彩られた場所であるらしい。活発な活動を続ける火山があり、大きな爆発音が聞こえることもあるという。
 先生はあまり町の様子を語ることはない。聞いたら教えてくれるのかもしれないけれど、意外にも私たちはお互いの文化や生活についてよりも、もう少し内面的なことを話している。

 たかが6日間くらいの時間、スペイン語を話したくらいでそんなことが語り合えるのか、と思われるかもしれないが、これは事実である。
 先生は、私がごく基本的な語彙だけでなんとか示そうとしたことを汲み取って理解してくれる。おかげで、人生で自分の信念を疑ったことはあるか、それはなぜか、だとか、友人に助けの手を差し伸べる時、何が最も大切だと思うか、だとかいう、日本語ですらそれを意図して友人と語ったことがあるだろうか、と思うようなテーマについて、先生とお互いの考えをシェアしている。

 先生は、どうやら私と考えが似たところがあるらしい。ちょっと冷めたものの見方をするところがある。でも情が薄いわけではない。ごく一般的な捉え方から少し離れたところで、ごく個人的な感覚を持って景色を見ている。
 この語彙レベルで、深い話ができるはずがないところ、先生が私の拙い話を理解してくれるのは、間違いなくこの近しい感覚を持ちあわせているからに他ならない。いつもは淡々とした先生の表情が、私がなんとか意見をいい終えた、という時にふと緩み、よくわかる、と言ってくれるのが好きだ。

 グアテマラにはスペイン語学校がたくさんある。北米からやってきたバックパッカーたちが滞在し、スペイン語を学んで南米旅行に備えることもあったらしい。比較的廉価でマンツーマンレッスンが受けられる環境は、スペイン語を学びたい人にはうってつけで、言葉の勉強だけを目的にグアテマラを訪れる人もいる。
 先生も、もともとそのような学校で教えていた。コロナで学校での対面レッスンができなくなり、オンラインで教えるようになったという。今はもう学校でのレッスンも解禁されているらしいけれど、先生は今でもオンラインレッスンをメインに教えている。戻るつもりはないのか、聞いたことはない。

 もし、私がグアテマラまで行ったらどうなるだろう。いつも、画面越しに教わっているあのレッスンを、対面で受けることができたらどんな感じだろうか。直接会って話したら、私の言いたいことはもっと先生に伝わるのだろうか。
 ちょっと確かめてみたい気がする。初歩的な単語をつなぎ合わせただけで、あんなにも理解してくれる先生と面と向かって話したら、もっとたくさんのことを拾い上げてくれるのではないかと思う。実際はどうだかわからない。もうすでに先生は最大限に理解してくれていて、これ以上は期待できないのかもしれない。


 グアテマラは遠い。

 調べてみると、どうやったって24時間、丸一日はかかる。また、アンティグアは標高の高い街である。標高約1500メートル、個人差はあるものの、高山病の影響が出始める高さであるらしい。
 ふだん、ふにゃふにゃとした生活をしている私には色々とハードルが高い。ただ、先生に会いたいという望み以外にも、もし私がグアテマラに行ったらどうだろう、と想像する理由が他にもある。大人の語学留学なんて、面白そうじゃないかとちょっと思っているわけだ。若い頃のように、冒険心だけで動くわけにはいかないのだけど、もう少しのんびりと余裕を持って、知らない場所で何かを勉強するのは刺激的な時間になるのではないかと思う。大人だからこそ焦らず、多少思い通りにならないことがあっても、まぁこんなもんかと適度に距離を置いて眺められるような気もする。
 もちろん、体力的なところは不安がある、なにしろ大人だから。ただ、旅行で1週間、みたいなことじゃなくて、ちゃんと学校に申し込みをして、数週間スペイン語を勉強してみる、火山と古い町を眺めながら。
 どうだろう、ちょっとやっぱり、素敵じゃないかな。

 私は一人旅は好きだけれど、中南米に一人で行こう、とはこれまで思ったことはなかった。行き先が行き先だけに、ちょっと物おじするし、実際にひとりでは心もとないように思う。ただ、このアンティグアという町なら、中南米初一人旅はできそうな気がする。勝手な予想なのだけど。

 先生にグアテマラに行ってみたいと伝えたら、どんな反応をするだろうか。これまで受けたレッスンの時間が、たったの12日間分なのだ、と言ったら、なんて言うだろうか。それよりもっと長い時間をグアテマラで過ごしてみたいのだ、と話したら、どんな答えが返ってくるだろうかと想像している。

 なぜもっと早くそうしなかったのか、と言いそうな気もするし、全然違う反応が返ってくるような気もする。
 なんでだろう、感覚が近いように感じているのに、私はあんまり先生のことを予想できない。私のことは見透かされてすらいるように感じるのに、私は先生のことが理解できていないのだとしたら、これはちょっと悔しい。
 内緒にしておいて、実はもう着いている、とレッスンで話してみたらどうなるだろう。自分だったら、ちょっと怖い気がするから、これは先生も同じかもしれない。

 ただ行きたいだけだったはずなのに、今は、どうやってそれを先生に話すかのほうが、楽しみになってきてしまった。現地で学校に申し込むなら、オンラインレッスンをメインで教えている先生のレッスンは受けられないので、それも考えどころだけど、いい大人になってからこんなことをやってみるのは、やっぱり楽しそうだと思う。

 Googleフライトという、航空券のルートや料金を検索して条件を保存しておくと、その区間の料金が変動した時に知らせてくれる機能がある。とりあえず、グアテマラを登録しておいた。実は他にも、行きたいと思って登録している場所があって、わりと頻繁に知らせてくれるのでちょっと煩わしいこともある。ただ、忙しさにまとわりつかれて旅への情熱を忘れかけてしまっても、行きたいと思った時の気持ちを思い出させてくれるので、私はこの機能をまぁまぁ気に入っている。

 先延ばしして後悔しないうちに、私はあの街にたどりつきたい。
 これはちょっとやっぱり、素敵じゃないかな。


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最後まで読んでくださって、本当にありがとうございます。
私がオンラインの向こう側に辿り着くのはいつになるでしょうか。
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