大阪北部大地震から2年
2年前の今日。
あの時はまだ私は一人暮らし中で、ゴリラがまだ彼氏やった。
前日から泊まりに来ていて、朝からそれぞれ通勤するために
地下鉄の駅に向かって歩いてるところやった。
駅について地下に降りる直前にめちゃくちゃ揺れた。
ほんで携帯もけたたましく鳴った。
周りの人の携帯もめちゃくちゃ鳴ってた。
大通りの車も混乱してた。
少しして揺れが収まったので、会社に向かおうとした(社畜)。
電車は動いてなかったし、ゴリラにはめっちゃ止められたけど。
タクシーがたまたま目の前で人を降ろしたところやったから
ゴリラと二人で乗り込んで、心斎橋と本町に向かった。
タクシーの運転手さんは前の乗客を堺から乗せてきてたらしく、
「車に乗ってる最中にこんな大きな地震に合うのは初めてで
ハンドル取られそうになって、めっちゃ焦った」
って言うてはった。
幸いその後は大きな余震もなく会社に到着した。
会社がビルの1階なので、エレベーターの停止も関係なく、
出勤できた人に関しては、ほぼほぼ通常業務の開始となった。
数名は梅田で足止めになって汗だくで歩いてきたらしい。
タクシーは取り合いで捕まらなかったって。
(目の前で人を降ろしたタクシーに出会えた私はラッキーやった)
取引先の人は梅田の高層階に事務所があって、
非常階段でようやく到着したものの、帰宅命令が出て、
ものの1時間程度で、また非常階段を降りて、
電車もタクシーもない中、帰宅したらしい。
昼過ぎに電話を掛けた時、まだ疲労で膝が笑ってるって言ってた。
その日は取引先もみんな仕事になってなかったらしく、
こちらも仕事にならなかったので16時ごろに帰っていいよと言われた。
帰宅したところ、とくに部屋は荒れてなくてホッとした。
その後、ゴリラは、またうちに泊まりに来てくれた。
当分こっちに泊まる、一緒にいる、と言ってくれて心強かった。
ただ、一緒に暮らすには一人暮らしの家は狭すぎたので、
それならいっそ引っ越して同棲するか、という流れに。
その勢いで親に連絡して、6月中に同棲のあいさつ、
7月には家も決まり、8月には引っ越しも完了した。
生まれてからずっと関西に住んでいるものの、
阪神大震災当時は実家の奈良に住んでいて、
明け方の本震は寝ていて気付かないレベルやったし(寝すぎ説あり)、
登校中の余震も立ち止まっていればやり過ごせた。
さすがに通学路には親御さんが大勢立っていて見守ってくれていたけど。
大人になって大阪や兵庫の友人に聞くと、あの日は学校が休みなった、奈良はやっぱりそんなに大きい損害はなかったんかな。
東京で仕事していた時も頻繁に地震はあったけど、
電車が止まったり、会社が休みになるほどのことはなかった。
あの2年前の地震は、私の中で初めての大きな地震となった。
そしてそれがゴリラとの同棲へのおおきなきっかけとなった。
電車にまだ乗ってなかったこと、目の前にタクシーが止まったこと、
会社が1階だったこと、自宅が3階だったこと、
なによりケガや損害がなかったこと、
そしてゴリラがそばにいてくれたこと、
そのまま居続けるきっかけになったこと…
私にとっては幸運が重なって今があるというのを忘れずにいよう。
あれからすぐに防災セットの見直しをしたけど、今日も帰ったらしよう。
これからもゴリラと一緒におじいちゃんとおばあちゃんになるまで生きていくために。