死について考える02
宮下洋一氏の「安楽死を遂げるまで」を読んでる。まだ途中だけど、めっちゃ良い本。
この書物のなかで、深く考えたいテーマはたくさんあるが、いまパッと思いつくのが、自己決定権について、キリスト教文化圏と、仏教文化圏において、捉え方の違い、違和感みたいなものがあるのではないかという投げかけ。
安楽死が認められている各国で、実際に安楽死を行なっていく人たちにインタビューをしまくっている。安楽死の処置を行うスタッフたちにも。
著者がインタビューをしまくるなかで、徐々に違和感を覚えるようになったそう。それが、安楽死を「自己決定権」を尊重すること。家族や恋人、周囲の人が、どれほど悲しんでも、本人の意志、自己決定権を振りかざして、安楽死をすすめる本人や処置を行うスタッフ。
ひとえに、キリスト教といえども、安楽死について、カトリックの反対派は「神の掟に反する」と考え、プロテスタントの賛成派は「紙の教えに適う」と解釈しているそうだ。もちろん、カトリックとプロテスタントのなかにも、もっと様々な考え方があるのだろうけど、大きく捉えるとそういった傾向になるのかと思われる。
自己決定権は、個々人と神との「契約」に、その根っこがあるのだと理解している。詳細なことは勉強しないといけない。そういった宗教の教えが文化となっている国々と、仏教的文化圏の我々では、自己決定権の捉え方にも差が生じてもおかしくない。捉え方は一緒かもしれないが、最後の納得感みたいなものが違うように感じる。
宮下氏が自分にわきおこってきた違和感をいかに分析したり、折り合いをつけていくのか。読み進めるのが楽しみ。