「あんぎお日記」(1991年12月18日)
十二月十八日(水)
夜半目覚めると右眼からの涙。何かを夢を見て泣いたような気もするし、全くそうでないような気もする。
昨夜はガーゼを減らした右の鼻の穴から幾分の出血があった。点滴も八時半以降突然入らなくなった。この体が拒否しているのかのように。
錯乱から安定へ。未だに顔の中には十枚程度のガーゼが残り、もの凄い顔になっているのは相変わらずなのだが。
金曜以来ステレオフォニックに音楽を聴いていなかった。左耳が良く聞こえなくなっていたからだ。
アンドレ・イゾワールのオルガンの音を想像しただけで内臓がすっとするほど興奮している。フランス人の弾くオルガンに自分がこんなに感動できるのも不思議に思える。
ラジオのフランス語講座。思いの外、勉強になる。フランス語の最初の壁を乗り越えたようだ。そして英語の講座も連続して次から次へと聞いている。
自彊不息(自ら勉学に励み休むことがない)
新しい歯ブラシを買うこと。
『ウイ・ウオント・マイルス』を聞く。見つめる天井が水面のように揺れる。このCDは今まで何度も聞いたはずなのに、これまで全く聞いたことがないような音が延々と続いていく。音の把握方法・分節化が入院前とは変わってしまったということ?
体重測定。手術前よりも二キロ減っている。母が見たという腫瘍は親指大のものが二つだったという。それぞれが一キロもあったかのような思いに一瞬囚われる。
ピカソの自伝を読む。彼は二十歳にして未知の世界に飛び込んでいったのだ。恐怖を感じながらもそれが自分の栄光につながるものだと確信していたと書いてある。根拠のない自信とも呼べるもの。
「重要なのは芸術家が何を為すかではなく、彼自身が何者であるかだ」というピカソの言葉を私は肯定できるのか。
ピカソと付き合った女性はみな精神に異常を来したという。
オルガンの各声部が繊維のように聴こえてくる。新しい体験。
看護婦の着る白衣は彼女たちの体型を隠す。みな細めの牛乳瓶のように。
夕方になり私の相貌はようやく以前のものを思い起こさせるものへと回帰している。みるみる変容していく。
病院での生活もあと僅か。