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「一光年」という言葉 (Free)

(実験でアップしていた有料記事の無料・改訂版です)

いつの頃からだったでしょうか「一光年」という言葉が、その響きも、その見た目もとてもロマンチックに感じられるようになりました。

最初にその言葉に出会ったのは宇宙に関する図鑑だったと思います。

「光」というキラキラしたものに、「年」という時間の哲学的な意味が掛け合わされ、「距離」という空間の意味を持つ言葉が「一光年」です。

そんな言葉に魅了された私が、その先で「写真」に夢中になるのは自然なことでした。

もう一つ気になる言葉があります。「音速」「マッハ」です。

どう見てもカッコよくて強そう。正義のロボットであり、未来のテクノロジーという感じです。

そんな言葉に魅了された私が、その先で「カメラ」に夢中になるのもまた、自然なことでした。

そして私は 「撮影家」になったのです。


一瞬の光をとらえる

私にとって写真は目的ではなく、「撮影」という目的の結果出てくる答えのようなものです。

撮影はいつも楽しいものではなく、写真という答えがイメージ通りに写っていることで初めて満足を味わうことができます。

2018年4月20日 昭和記念公園のチューリップ畑で撮影
この週末はちょうど満開で写真を撮る人が沢山いました。


上の2枚の写真は、風で木漏れ日が絶え間なく動きまわる中で、一瞬を撮影したものです。

自然のものを被写体にする場合には、どの日に、どの場所に行くのか。それによって撮影できるものが変わります。

ただし、美しい被写体を前にしても、それを記念写真のように単純に撮ってはいけません。

太陽の位置を見て、影がもっと良い状態にならないか。

何か変化しているものがあれば、その最高の瞬間はどんな状態なのか想像し、撮影の全ての準備を整えて、それをじっと待つ必要もあります。

奥の花の方に強い光があたるのを待って、手前の深いワインのような色を強調しました。

そして最高の時期<トキ>と出会う

2018年4月30日 昭和記念公園のチューリップ畑で撮影
これらの枯れかけのチューリップは、満開の10日後に再び昭和記念公園を訪れて撮影したものです。

チューリップの中には、無限の色彩が隠されています。

満開のときにはそれが若さの輝きによって隠されていますが、時間をかけその中にある深い色彩や個性が見えてくるのです。

この写真を撮影したときには、インスタ映えを狙った撮影者は誰もいませんでした。そばを歩いているだけでは、単なる時期の過ぎた花畑にしかみえないのです。

ところが、カメラのという眼を通すことによって、ただの枯れかけたチューリップに無限の色と表情があることに気付かせてくれます。

時間をかけ、立ち止まり、物事の本質と最高の瞬間を捉えることこそ、撮影の悦びであり、写真の価値なのだと改めて感じることができました。

写真は瞬間をとらえるものであると同時に、長い時間をかけて作り上げたその時間を写すものでもあるのです。

あなたは、このGWにどんな<トキ>を見つけることができましたか?

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